私はハートの女王なのかもしれない

私はハートの女王なのかもしれない。
性格診断みたいなのをしたんです。結果は出てませんし、知らされることもきっとないんですけど。で、それって頭に浮かんだ言葉を選ぶような、書くようなシステムで。時間が余って、自分の回答を見直したら、驚きました。「時間」「規則」「調和」「すべき」「しなければならない」というワードが私の頭の中には頻出しているようなんですね。
私、思いました。「このお堅い性格は直すべきだ……」とね。また、「すべき」の登場です。私の何が一体、こんな思考にさせるのでしょう。

まずは「時間」のワードから考えてみましょうか。まず、私は遅刻が嫌いです。12時に待ち合わせなら、11時50分に着くようにします。でも、焦るので11時50分より少し前に到着します。早く到着することで、周囲の迷惑になるケースは少ないので気にしなくていいと思うんですけどね。ただ、12時ギリギリに到着すると悔しいんですよね。何に対して悔しいのか分からないし、なんの目的で規則を守りたいのか分からなくなりますね。相手の方が先に到着してたら、待ち合わせ時間前でも申し訳ないですし。人を待ちたいのかもしれません。私が先に着いてれば、「私のところに来てくれる」ってことになりますからね。待たされるのって、人が迎えに来てくれるのと同じような嬉しさがある。

次、「規則」ですね。規則を守るのは当然のことですし、まあだいたいの人が守りますよね。だから、規則を守れない人が許せないんですよね。なんで規則を守らないんでしょうね。規則を守らないと、誰かが困りますからね。でも、誰も困らない規則違反は私あまり気にしないんですよね。例えば、深夜の車も人もいない歩道の信号無視とか、微妙なライン。深夜に一人で立ち止まってる方が危ないこともありますからね。いや、誰がいてもいなくても信号がある以上守るものなんですが。

ハイ次、「調和」。人と喧嘩する人、意地悪する人、許せませんね。全員仲良しじゃなくてもいいので、平穏な環境が望ましい。和を乱す人は、態度を改めない限り、どうなっても文句言えないと思うんです。具体的にいえば、多少嫌な思いをしたり追放されても文句は言えないのではないでしょうか。因果応報という言葉を上辺だけ信じています。

最後に「すべき」「しなければならない」について。私は時間やら規則やらに対する義務感や責任感以外にも、単純な感情で何か「やりたい」という欲求を大事にしてはいます。でも、「やらなきゃ……」って気持ちで、やりたいことできなかったり楽しめなかったりするんですよね。みんなそんなもん。珍しくもない。

ここまで書いて、自分を理解したような、自分を嫌いになるような、どちらかといえば不愉快な気持ち。私は世間知らずで、プライドが高い理想家だから、「時間」とか「すべき」とかどうでもいいこと考えちゃうんだなって、書いてて気づきました。考えるよりも、文字にしたほうが思考ってまとまりますね。この文書いてるのも、「ずっと放置していたから、そろそろ更新すべき……」と思ったからなんです。楽しんで書いているだけじゃない。その代わり、私は「自分がハートの女王なのかもしれない」ことを表したい、と思った。やりたいからやった。自己中心的、自己表現の願望です。
ハートの女王といったら、動物虐待みたいな遊びを楽しんで、異世界からやってきた女の子にも容赦のないおばさまです。ひどい人だから嫌い。でも、共感できるところもあるんです。時間に厳しいとか、ルールにうるさいところとか、少し。
少しだけ私、ハートの女王みたいかも。ツイステッドワンダーランドなら、絶対ハーツラビュル寮。また今気がついた。私は「絶対」「ほんと」もよく使いますね。もうよく分かんなくなってきましたね。
おわり。絶対ここで終わりにすべき。ほんとそう。