東京都知事選の選挙ポスター問題と人材開発における社員の自律問題
選挙ポスター枠の転売、肖像権侵害、不適切画像の頒布など、物議を醸している選挙ポスター問題。お怒りの面々も多いことと思うが、あえて倫理的、主観的な自身の評価判断思考を保留してみると、色々と学べるところが多い。
なぜ公職選挙法における想定外の事態が起きたか
専修大学の山田健太教授によれば、日本の憲法や法律は「機密性」が低く、曖昧さが特徴で、法律自体よりも行政運営(運用)によって市民生活を守ってきているという。
ここにもう一つ視点を加えるとしたら、日本人特有の「世間体」(世間型コミュニティ)により、「そんな悪用する人はいないよね〜、そんな恥ずかしことをしたら、ご先祖様に顔が立たないよね〜、世間の常識を守らん奴は村八分じゃ!」という、同調圧力という名の自浄作用(?)が働いてきたので、曖昧な法律で世界でも有数な安全立国ニッポンが成立してきたように思う。
しかしだ。世の中は、多様性と自律性とボーダレス化(ネットワーク化とグローバリズム化)とがいよいよ世間体コミュニティを壊し始めている。マーケティングの世界に目を転じれば、マスを取りにいかず、1to1で深く刺すために、マスでの炎上を厭わない方法すら一般化しつつある。世間体を気にしそうな大手製薬会社ですら、「えぐい画像」で衆目を集めるような健康食品のネット広告を配信している現実がある。(日本企業のマーケティングの実態の問題があるが、その点は別途)
そういう中で、今回の選挙ポスター問題は起きている。そして、この問題が一石を投じてくれたと僕は思っている。つまり、「公職選挙法」に抵触しないのであれば、何をやってもいい、世間がどう思おうが、法律に触れないのであれば正々堂々と主義主張を貫きますよという、今までは村八分に遭ってきた、二分の人たちが表に出てきたように感じています。わかってくれる人が少しでもいれば、もしくは、わかってくれなくても、認知してくれる人がいればいいという考え方だ。起きるべくして起きた問題ではないだろうか?
組織開発の課題
で、なんでこんな話をしているかというと、この問題はこれから組織の中で起きてくるからだ。
「ウチは自律社員が少ない!」とか「これからは多様な個人を大事にする組織を構築する」とか、最近の経営者がよく組織の課題や目標としてあげるテーマである。なぜか?と問えば、「今までに発想がなかったイノベーティブな商品やサービスを作りたい」と答え、どうやるか?と問えば、「そういう人材を採用して、抜擢する」という。
これらの考え方は、2、3割は当たっているのかもしれないが、大抵はおお外しであるケースが多い。そもそも、人間は多様であり、生きるために頑張っており(自律行動)、価値観も好奇心も行動特性も人それぞれだ。そういう人間を効率よく動かすために、求心力と遠心力をどちらかというと求心力側にバランスして同調圧力を醸成し、教育して、自律心を「うまく」制御して組織の成長に繋げてきたのがこれまでの組織ではないだろうか。経営者と経営陣だけが「自律性」を確保していれば、成長できていた時代の話である。
そして、事業環境が複雑となり、移ろいやすくなり、経営陣の自律性だけではまともな「事業戦略」や「経営戦略」が作れなくなり、これまで成長の原動力となってきた「同調圧力」の効果が薄くなる中で、必要になってきたのが、組織と構成員の「自律性」である。ある意味、「自律型人材渇望」の動きは、経営者と経営陣のGive Upという風に僕は受け止めている。
じゃあどうするのか?
「自律型人材の採用と育成」というテーマをいただくと、僕は必ずその覚悟ができているのか?という問いを返します。最近でいえば、あの「都知事選ポスター」のようなことが社内で起きると思うが、それで良いのか?もしくは、そういう多種多様な価値観や行動特性を無駄にせずに、問題が起きないように制御できるのか?と更に問います。
それでも、「やる」という覚悟の決まった組織に対しては、以下のような要素を提案している。ここでは、概略をお伝えしよう。
FBに投稿しようと思いながら、つらつらと思った通りに書いてしまったが、何を言いたかったかというと、組織のリデザインをしないままに、気軽に組織変革をしようとしないことである。これまで意見も出せなかった組織で、一夜にして、バンバンとクリエイティブな意見が出てくるようなことはまずないと思った方が良い。そして、出てきた意見に対して「寛容になりましょおー」(出典:「不適切にもほどがある」(TBS))という組織を作れるかどうかということなんだと思う。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?