霧の向こう、輝く星 1998/10/11 京都大賞典 (GII)

※この記事は1998年の2冠馬セイウンスカイのファンサイトに掲載していたものの再掲です。

 朝からずいぶんと良い天気だった。綺麗に晴れた空を見上げて、私はほけっと座り込んでいた。まだ、1Rが始まるまでには時間がある。パドックに張った「蒼穹の果てをめざせ SeiunSky」の横断幕に目をやりながら、今日、目の前で繰り広げられるであろう、メインレースに思いを巡らせていた。陽射しは強く、暑い一日になりそうだった。

 この日に到るまで、彼の周辺はいささか迷走気味だった。9月に入り、私はセイウンスカイの秋緒戦を楽しみにしていた。セントライト記念も近づいたちょうど一月前、「セイウンスカイ、天皇賞へ」という報道があった。当然、菊花賞に向かうだろうと思っていたので、私は少なからず驚いたが、「まあ、天皇賞なら応援に行くのも楽でいいか」と思い、「距離も2000mの方が合うのかもしれない」と、早速、毎日王冠の応援に行く算段を巡らし始めた。そう、私も菊花賞の距離は彼には少し長いかもしれないと考えていたのだ。ダービーの時、直線で一瞬先頭に立った後、あっさりスペシャルウィークに交わされた彼の姿に、菊花賞でスペシャルウィークを逆転するのは難しいだろうな、と感じていた。

 朝、開門と同時にダッシュし、ぜいぜい言いながら整理本部の列に加わり、何とか横断幕の受付を終えた。よろよろとパドックに横断幕を張る私の背後から、階段に腰を下ろした中年のおやじさんが話しかけてきた。「それ、セイウンスカイのかい?」。問われて嬉しくなった私は、笑顔で振り向き「はい」と返事をした。おやじさんはそんな私に「ふーん」と無愛想に返し、「ありゃあ、ダメだ」と続けた。「えー、そうですかねえ」と手を動かしながら私は言った。横断幕の紐をぎゅうぎゅうと引っ張りながら、「このおやじは、何を言うのか」と少しむっとしていた。おやじさんは「ダービーを見ただろう、距離だよ、距離」と諭すように言った。「あれは、持たねえよ」。痛いところを衝かれたが、私は背を向けつつ「そうですかねえ、でも、あんまり惨敗するような所は見たくないですよね」と応えた。すると、おやじさんはいかにも慰めるような口調で「まあ、掲示板はあるかもな」と言った。
 「掲示板はあるかも」と言われ、全く貶されたわけではないのだと気を取り直しつつ、横断幕を張り終え、私はレーシングプログラムを取りに行った。前日忙しく、未だ新聞も手に入れてなかったのだ。歩きながら、ぱらぱらとレーシングプログラムを繰り、メインレースのページを開いた。メインは・・・7頭立てであった。「あの、くそおやじーっ!」と心の中で叫びつつ、パドックにきびすを返した。が、既におやじさんの姿はなかった。

 「毎日王冠から天皇賞へ」という報道は、一週間も経たない内にあっさりと覆された。「クラシック馬はあくまで王道(菊花賞出走)を歩むのが筋」というオーナーのコメントと共に。「天皇賞はいいけれど、古馬と対等に張り合えるのだろうか」と、早くも千々に心乱していた私は拍子抜けした。しかし、それでも陣営が選んだのは、やはり古馬と張り合うことになる京都大賞典であった。それも、去年の有馬記念を征したシルクジャスティスや、春の天皇賞馬メジロブライトなど、古馬は古馬でも半端ではない相手である。何故、京都新聞杯ではないのだろう・・・と首を傾げたり、ひょっとしてここで勝ったらこれは凄いことになるぞ・・・と胸躍らせたり、いやいや、好きなシルクジャスティスが4歳馬に先着されるのは見たくない・・・と思ったり、更に心乱されることになってしまったのだ。

 パドックの周りをうろうろするうち、1Rが始まった。いきなり万馬券。2着馬から人気薄に流していた私はがっくりと首を落とした。人気薄に流していた筈なのに、1着馬の馬番を買っていない。ため息をつきながら、新聞を眺めた。関西の競馬場に来たのは今回が初めてで、馬柱は名前も知らない馬で埋まっていた。連敗に次ぐ連敗で、私の馬券は殆どかすりもせず、午前中のレースは終わった。 

 そう、思えばセイウンスカイも初めての関西遠征なのだ。メインレースの紙面を眺めても、GI馬の素質は認めてもここでは買えない、といった記事が並ぶ。距離、斤量、休み明け、初の長距離輸送、経験の浅さ・・・買えない材料ばかりが目に付いた。新聞を広げ、私はレースの様を頭の中で思い描こうとした。が、霧に包まれたようにイメージは判然としないままであった。何しろ、位置取りさえ想像できないのだ。一週間前のとある競馬番組で、「セイウンスカイは、ここで控える競馬を覚えるのでしょうね」と番組の解説者が言っていた。セイウンスカイの逃げるスタイルが好きな私は、その言葉にがっかりしたが、友人に「いや、セイウンスカイは差せる脚も持っていますよ」と言われ、そうかもしれないとも思った。それでも、差してくる彼の姿を想像するのは私には難しかった。

 午後になって、またしても強烈な万馬券が飛び出し、私はついに馬券を取るのをあきらめた。既に、メインレースの資金も危うかったからだ。当初の予定から2割減の額となってしまったメインレースの馬券を買い、パドックに張り付いた。既に人が多く、写真を撮る場所を確保するため、一歩も動かずにメインレースを待った。

画像1

(パドックで立ち止まるセイウンスカイ)

 立ったままの足が疲れてきた頃、ようやくメインレースの馬達がパドックに現れた。馬番1番のセイウンスカイが先頭である。その姿を見て私の胸は高鳴った。実のところ、間近に彼を見るのはこれが初めてだったのだ。カメラのファインダー越しに彼が目線をくれたような気がして、そんな筈はないのだが、私はどきどきした。しかし、そんな思いもすぐに吹き飛んでしまった。周回をする度、セイウンスカイは何かに気を取られ、同じ場所でぴたっと立ち止まるのだ。一度などは後続の馬達が絡みそうになり、パドック周辺はざわめいた。「もう、セイウンは消しだな」という声も聞こえてくる。しっぽをばたつかせたり、チャカついたりする彼の姿を見ながら、どうか落ち着いてくれ・・・と祈った。横山典騎手を背に去っていく彼の姿を見届け、ゴール板前に走った。人が多く、何度も転びそうになった。あんなに強烈だった日は陰り始めており、いよいよ、私の頭の中で霧が深くなっていくようだった。

 彼はゲート入りを嫌がった。今回は、今までで一番長く感じた。尻っぱねまでし、レース前だというのに、既に鞭で尻を叩かれている彼をターフビジョンで眺めながら、こんな事はいつものこと、と自分に言い聞かせた。パドックで立ち止まっていた彼の賢そうな眼差しを思い出し、「繊細な馬なのだ・・・」と胸が震えた。ようやくゲート入りし、スタートが切られた。一体どうするんだ、と考える間もなく、彼はすっと先頭に立った。・・・いや、どんどん突き放していく。おーっとスタンドがざわめいた。「うわー、行っちゃったよ」という声を背に受けながら、私はターフビジョンの中で、気持ち良さそうにすいすいと駆けていく彼の姿を見た。「大丈夫だ、掛かってるわけじゃない」と拳を握った。しかし、距離の不安が無くなったわけではない。3角を過ぎた辺りで、急に後続の馬達との間隔が詰まった。背中が冷たくなっていった。まるで、セイウンスカイ一頭が止まっているように見えた。「何だ、もう終わりか」という、吐き捨てるような声が聞こえてきた。朝のパドックで会ったおやじさんの言葉が、頭の中でそれに重なる。「あれは、持たねえよ」。そんな事はないっと心の中で叫びつつ、最終コーナーを回ってくる馬達を見つめた。まだ、先頭だ。

 「そのままあー、持てえー、そのままあー」と、声を限りに叫んだ。そんな風に我を忘れて叫んだのは初めてだった。その後は、そう、まるで、魔法に掛かったようだった。抜かせない、抜かせない・・・抜かせない。メジロブライトの猛追を、目の前のゴール板で凌ぎきったのを、私は、見た。

 ぶるぶると拳が震えていた。歓びの声を上げつつも目の前で起こったことが信じられなかった。ターフビジョンでゴール板前の映像が流れ、メジロブライトに先着している彼の姿を見、ようやくそれが本当のことだと分かると、頭の中の霧が一気に晴れていった。「星だ」と私は心の中でつぶやいた。霧の向こうには一つ、星が輝いていた。

 レース前にHPのコラムで―「残り物」だったらしい彼だが、その掌には父から幸運の星を授かっていたのかも、しれない。父は星を預けて何処かに行ってしまったようだが・・・。―と私は書いた。その時は父の名「シェリフズスター」に掛けて思いつきで記したのだが、ゴール後、私は確信した。「彼は掌に星を握っている」と。シェリフズスターの産駒で、父が得意としていた2400mを勝ったのは、私が知る限り彼が初めてなのだ。ダービーで限界を露呈してしまったかに見えた彼には、父の血が確かに眠っていたのだ。鞍上の素晴らしい騎乗と彼自身の走りが、その星を初めて輝かせた―。

 私はぼろぼろと泣いていた。競馬場で泣いてしまったのも初めてだった。人目も憚らず・・・。

 のどの奥に残るしゃっくりを堪えながら、私はパドックに向かった。最終レースも待たずに、私は競馬場を後にしなければならなかった。今夜のうちに帰らなければならない。人混みをかき分けて、横断幕を外した。あのおやじさんに会ったら、にっこりと笑いかけるつもりだった。が、会えるはずもなく、駅行きのバス停に急いだ。

 深夜、高速を走りながら、何度も暗い道の向こうにレースをリプレイさせた。眠気は、全くやってこなかった。

 次は、菊花賞。更にその向こう、星は輝くのだろうか。

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