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”萌え”のツボ

子どもが手を離れてきたからか、コロナ下でいっとき時間を持て余していたからか、はたまた”星のせい”か、20年前にドハマりしていた競馬の私的リバイバル・フェス!がこの春あたりからやってきていて、何の因果かリアルタイムでも漫画でしか起こり得ないようなストーリーが中央競馬で展開されており、これはもう一過性の回顧フェスではなく、フツーに競馬好きとして追っかけてみようかという気持ちになっています。


で、このフェスをきっかけに物置にしまいこんでいた競馬の雑誌や資料を整理していたら、何冊か競馬コミックの同人誌が出てきました。

競馬マンガというと、この辺り↓が有名なわけですが…

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そして、ドキュメンタリータッチでは、こんなのもあるわけですが。
(サラブレ1999年1月号・「うままんが日記」作:荒川耕 より)

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久々にページをめくって胸キュン☆してしまったのは、こちら。
(「競馬ねこやなぎ 98秋」 ねこやなぎ出版 より)

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ちなみに、上で挙げた「うままんが日記」と「競馬ねこやなぎ」は同じ馬(セイウンスカイ)と騎手(横山典弘騎手)を描いています。

ヤバい。50歳目前にして、萌えのツボが微動だにしていない。

競走馬を擬人化するというのは、一番上で挙げたよしだみほさんの漫画で広まったと思うのですが、ここまでヒト化が進むと理解できない人もいるかもしれません。
ちなみに。この競走馬は2001年には現役を引退、2011年に他界しているのですが、最近「ウマ娘プリティダービー」というゲーム&アニメで登場しています。牡馬(ぼば・つまりオス)なのにセラムンのような衣装をまとった女の子キャラになっていて、さすがの私もこれにはついていけません。

といったところを見渡していて、いったい「理解できる」とか「理解できない」とかいう線引きって、意味があるのだろうか?と思い始めた訳です。

性教育の話を保護者向けにしていると、萌え系、巨乳系キャラに対する嫌悪感を愚痴のようにこぼすお母さんと接することが多く、私自身も多少共感できる部分もあることから、「私は好きじゃない」くらいのメッセージは伝えても良いのでは?と応じてきました(ちなみに、その愚痴は息子に対してだけでなく、半分くらいはパートナーに対するものだったりします)。

目がやたら大きいのは自分を見てほしいから、口が小さいのは自己主張されたくないから、幼児体型なのは支配しやすそうだから、巨乳なのは…おっぱいが好きだから…。
萌え系キャラがもてはやされる理由について、男性の欲望にスポットをあてて語られているのを、私は「うんうん、そうだろうね」と冷ややかに眺めてきたのですが、同様に私の萌えのツボは、どのような欲望に根差しているのだろう?と考え出すと、そもそもそんな目線で批評まがいに言われてしまうのってちょっとツラいかもなぁと思ったわけです。
(別に防衛線というわけではないですが、件の同人誌はアダルト系の表現はゼロです)

いいじゃん。好きなんだから。ダメ?
それこそ、ひとりひとりの「性(さが)」だとしたら、そこにずかずかと踏み込むのは野暮ってもんだよね。

こういう風に思えるようになったのは、性をフラットに語り合う『はぐ♡ラボ×もっくん珈琲お茶会』にいつも参加してくれているTさん(男性)の性をめぐるコンテンツに対する考え方に触れることができたから。
もちろん、人権を踏みにじるような表現がお金目当てで撒き散らされることには反対だけど、パートナーや子どもの「萌えのツボ」にはもう少し温かい目線で接してあげたいなぁと思う今日この頃です。

あ、次回お茶会は今週金曜日です(画像からFacebookイベントページに飛びます)。

はぐラボお茶会チラシ10

子どもに性を語るとき、どんな目線でいたらお互いを大切にできるかなーなんてことも考えながら、楽しくおしゃべりできたらいいなと思います。


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