適応症害で3ヶ月休職した話

私は、訳あって人生で色々足踏みして、所謂大卒の人達が世間にでる年数よりも4年かかってしまいました。

社会にでたら頑張ろうと思っていました。
しかし、私はコツコツ勉強したり、研究をずっとし続けることはできたのですが、人とのコミュニケーションが苦手でした。

コミュニケーションと言っても、話すのが苦手なわけではありません。私の価値観に合わないものに適応するのが苦手なのです。

規則や法律は順守するべきです。事故が起こる可能性のある行動は控えて、なるべくリスクが減るようにするべきだと考えていました。
しかし、現実はそんなものではなく、多少の不正はまかり通るし、物は言いようと上手く誤魔化したりする現実に胸が痛くなりました。
バレなければ不正ではないと言わんばかりの環境……要領のいい人が上手く言葉を使って相手の疑いをはねのける社会に困惑していました。

相手にも相手の考えがある。だから相手の言い分を聞こう。そう思って相手の言うことを聞いていました。そうすれば、相手の考えてることがわかるはずだと思ってました。

でも、相手はもっと厳しくなりました。そのうちに、相手の要求は高くなっていきました。「社内の試験では9割とれ」「なんでそんなことも知らない?」「やる気あるのか?」
そんなことを言われ続けるうちに、私は頭がおかしくなりました。

1日中、吐けないのに吐き気が襲ってきてえずいてしまうのです。食事も殆ど摂れなくなりました。

それでも私は頑張りました。

仕事が終わると私は土手の川の近くに行きました。どうせ食事は摂れないので、そこで数時間ボーッとしてました。
川の近くならいつでも○ねるので、安心できました。嫌な光景がフラッシュバックした時に、いつでも終わらせられるという救いがありました。

雨の日は土手にはいけなかったので、「完全自○マニュアル」や「自○できそうな道具」をインターネットで探してました。

もうこの辺りから、明日を何とか乗り切るというよりは、「どこで幕を引こうか?」「どうすると迷惑はかかりにくいだろうか?」ということしか考えてなかったです。

職場では何をしていたのか記憶にありません。吐き気を抑えて何とか動くので精一杯でした。「本当にどうしようもなく辛くなったら早退して、帰りの電車に飛び込めばいい」と思って何とか耐えてました。

そんなある時、仕事でミスが発覚しました。よくあるミスです。
私がそのミスに気がついたのですが、他人のミスを報告すると揚げ足を取ってると思われるのが怖くて上司に報告できませんでした。

気がついたら、そのミスは私がしたことになってました。私は反論したのですが、「そんなミスするのは君しかいないよ」と言われてしまいました。

その言葉で私の世界は真っ暗になりました。

食事も摂れず、吐き気に教われ、夜に眠れないなか布団で震え上がる日々……どんどん惨めになってく身体……それでも報われるかもしれないからと耐えてました。

何も報われませんでした。

帰りの電車は、頭がボーッとしていて、飛び込む気力すらありませんでしたが、頭のなかで、「いけ……潔くいけ!」と声がし始めて怖くなりました。

家に帰って、私は発狂しました。
潔く○にたいのに、○ぬ勇気はない。
そして、頭が動かなくなりボーッとしました。

その翌日に心療内科にいきました。
何を話したか覚えてません。というか、自分の現状を話すことすら困難だった気がします。

結果、適応障害で休職になりました。

会社に行かなくていいといわれてとても嬉しかった記憶が残ってます。

○ぬかどうか毎日悩む生活からおさらばして、ボーッとしてるだけでよいのでひたすらボーッとしてました。でも、あまりに暇なので本を読もうとしましたが、文字が読めなくなってました。自分の変化に、驚くというより惨めに感じました。

そのうちに外にでるようになりました。人は怖いですが、話さなくていいなら気が楽です。
ボーッとゾンビのように歩きました。どうしてそこにいるか、わからなくなる時もありましたが、リラックスできてた気がします。

プラモデル作ったり、遊園地行ったりして気がついたら3ヶ月経ってました。

その頃には、ぼんやりしてた頭が、少し霧が晴れて、未来が怖くなりました。

結局私は休職している会社をやめました。
会社には意見を言いましたが、聞く耳をもってもらえませんでした。
こんな私ですが、社会人として最後にちゃんと自分の意見を言えました。
意見を受け入れてもらえない怒りよりも、もうここにいる理由はないという、なんかきっぱりした気持ちで退職しました。

そして、退職してから、数週間後に違う会社で働き始めました。

現在はあれから、5年くらい立ちましたが、昔の私の能力は戻りません。
今の仕事もあとどれくらい続けられるのかわかりません。

でも、あの時は「○ぬか生きるか」みたいな壮大なことを考えていましたが、今は「ダメなら違う仕事探すか」、「本当に辛いなら1年くらい働かなくても失業手当がある」と図々しく思えるようになりました。

メンタルの不調は、なる人の考え方にも原因はあります。社会人として自己管理ができなかったり、意見が言えなかった自分も良くなかったなとは思います。

でも、一度なってしまうと、視野が狭くなり自力で抜け出すのが困難です。メンタルの不調は孤立を招き、余計におかしくなっていきまく。私は、○ぬことでしか救いが浮かびません。

正直今も○ななかったことが良かったのかわかりません。
○んだら悲しんでくれる人がいるといいますが、そんな人も本当に困った時になるまで助けてはくれませんでした。その人も忙しい中で、できる限り私を助けてくれたのでとても感謝しています。しかし、現実はそんなものです。

転職してもハッピーにはなりません。
薬を飲んでも病気は完全には治りません。


でも、私は生きてます。
能力が昔に比べて落ちてしまった私ですが、人間には人権はあります。なら、こんな生産性の落ちた私にも生きる理由はなくても生きていてよい権利があるのです。

図々しい理論ですが、そもそも理由がなければならないということが、変なのだと私は思います。

逆に、○ぬのにも理由はいらないのだと思います。だから、今の私は生きてもいるし、○んでもいるような状態だと思うようにしています。

もし、適応障害で苦しい人がいたら、できることをやって、ダメなら逃げてしまっていいと思います。必要なら休んでいいと思います。

自分の病気にも理由は求めなくていいと思います。心の奥底に閉じ込めた記憶が思い出せず、理由がわからない人もいると思います。

理由、理由と他人は理由を聞きたがります。

そんな理由を聞いても、相手は自分が納得するために聞くだけです。適当に相手が納得する理由を話すだけでいいと思います。

本当の理由は、そこにないことも往々にしてあるのですから。

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