減点方式は病気を生み出す

みなさんこんにちは

私は社会人として頑張ってますが、生きていて中学生や高校生辺りから評価方法が加点方式から減点方式に変わったような気がします。

加点方式とは、ある意味その人のいいところを何とか周りの人達や大人たちが見つけてくれてたイメージです。
才能だけでなく、一つ一つの行動のなかで素敵なこと、その人らしいことを見つけて褒めたり、認めることになると思います。

しかし、ある日を境に評価は減点方式に変わってる気がします。
「挨拶の声が小さい」「空気を読め」「国語の点数が低い」など、出来ないことを出来るようにすることに主眼が置かれるようになります。

加点よりも減点の方が採点する人も楽ですし、採点される方もどうすれば点数が上がるか分かりやすいというメリットはあります。しかし、欠点を無くすことに労力を割きすぎるのはちょっとおかしな話になってしまう気がします。

大人の発達障害など、最近は「あれができないから俺ADHDかも」、「私HSPだから……」などという話も聞くようになりました。

ADHDなどの発達障害と診断されないと、守れない人が増える社会になってしまった気がします。

それと、HSPという医学用語はありませんが、これだけ多くの人が使うようになるということは、HSPというカテゴリーに当てはまることに、救いを求めている人は多いのかなと思います。

「○○できないならできるようにしないと評価を落とす!」というプレッシャーは大切だと思います。でも頑張ってもできない人はどうすればいいのでしょうか?

1.違うジャンルに行く(転学、転校、転部、転職など)
2.評価は落ちてもいいのでその組織に居続ける
3.その評価を覆せるくらい別のことで才能を発揮する

というのが現実的でしょうか?

学校やある程度余裕のある環境では、変わり者と言われる人も選択肢2として組織に居続けながら、組織内でその人の役割というのがあります。しかし、余裕のある組織が少なくなってきていることから中々苦しい気もします。

そうすると、選択肢1.3がでてきますが、それも選べない人もいるわけです……努力不足、親が悪いから可哀想に……そういう言葉で、社会のポンコツ扱いして見捨てる時代もありました。
しかし、社会のポンコツといわれる人が増えてきました。

更に、最近は「ジェネラリスト」などという呪いの言葉が使われているように、一人辺りに求められるスキルや能力の要求が高くなっています。

つまり、社会の減点方式はより厳しくなってきたということです。

極端なイメージだと、一昔前は80点だった人が、今の基準では40点位に落ちる感じですね。
今、自分の上司は無能だと思ってる人も、その上司も昔の基準なら、あなた以上に評価が高かった可能性はあります。

この減点方式は誰でもできるのが不幸です。
上司からあなたへ
あなたも上司へ
評価できてしまうんです。

この社会は60点→80点の人間になって高度な国を目指そうという気持ちはあって素敵です。
でも、極端な言い方をすると現実は皆が皆を減点しあって全員30点の、一億総赤点社会に向かってきてる気がします。

赤点は、ポンコツです。
ポンコツな人を助けるための口実とが必要なので、何かの病気に入れる必要があります。病気に入れるというと、聞こえは悪いですが、病気と診断されることで救われる人はいることは事実です。

しかし、これだけポンコツが増えてくると、そもそも悪いのはポンコツな人ではなくて、その人をポンコツと評価する社会ではないでしょうか?


私のこの問題に対する答えは、さっきの意見の逆です。
減点方式が誰でもできるなら、加点方式も誰でもできるのです。

「あの人は愛想は悪いが仕事はできる」
「あの人は能力は低いけど、責任感はある」
「あの人は成績は良くないけど、毎日練習に来ててすごいな」などと、思うことです。

では、なぜそれができないのか?

それは、私たちに余裕がないからです。そして、減点方式は、減点対象を見つけると落ち着くのです。

私個人としては、社会が悪いと思います。
しかし、社会を作るのは個人です。

まずは自分を加点方式にして生きていくことで自分に余裕を作る。

そして他者を加点方式で評価していくことで他者と自分の関係に余裕を作る。

そしてその生まれた余裕で、誰が言わずとも社会を加点方式に変えていく。

この変化は何年かかるかわからない、実現がそもそも可能かわからない大きな改革だと思います。

そんな社会が……もし、皆が皆を口を出して褒め合え、認め合える社会になれば、心の平和な時代が訪れるのだと信じてます。

劣等感や僻みを原動力に生きるのではなく、自分の中から生きる原動力を生み出すと言えば良いのでしょうか?そんな社会を私は欲しています。

もし、今○にたいと思ってる人がいて、これを読んでくれる人がいるかはわかりませんが、どんな形であれ社会は必ず変わります。
なぜなら、こんなにポンコツが増え続けたら社会は回らなくなるからです。

この社会は、強制されたサウナです。
ずっとサウナで耐えていたら誰だって苦しいです。
だったらサウナから出て、少し涼んで、嫌な顔をしながらまたサウナに入るしか今は生きる術が見つかりません。

今○にたい人は、サウナにずっと居続けてる人か、サウナの恐怖が忘れられなくてサウナに入れなくなってしまった人もいると思います。

だからって○ぬ必要はありません。ある日を境にブームが去るように、この強制サウナ社会も、誰もサウナに入らなくなり、また新しいブームが来るだけです。

今この時代が、数十年後に地獄の時代だったと笑ってられる日が来ることを願ってます。

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