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【小説】ある技官、その妻とトキのぬいぐるみ 第26話

第26話 知らない俳優たち

「あ、リョウ君だ!」
 食後にテレビを観ていると、突然妻が大きな声で言いました。なんだか少し嬉しそうです。画面は、再現ドラマっていうんですか、あれの真っ最中でした。ある夫婦が掃除機を新しく買うか買わないかで揉めています。その夫の方が、妻が演劇人だったとき、妻の劇団に出演したことがある役者なんだそうです。
「はあぁ~~、まだ続けてたんだ、リョウ君……」
 妻は画面を凝視しています。そして、ふふふ、と笑いながら「演技変わんないなぁ」などと言っています。
「知らんばい」
 つい、私は言ってしまいました。これは本心です。
「ん? ああ、普通知らないよね、こういうのに出ている役者って」
「うん」
「リョウ君は事務所に所属してるし、妻役の人だって、きっとどこかの劇団か芸能事務所に所属してるよ」
「へええ」
 私は今まで、この手のものを、わざわざ役者(役者と俳優ってどう違うんだ? 妻はよく「役者が」とか「俳優が」とか言っていますが)がやっているなどと考えたこともありませんでした。まあ、確かに、素人がいきなりテレビに出ている訳ありませんね。
「リョウクン、リョウクン、テレビ、テレビ」
 きいちゃんが興味津々で喋り出します。
 ふふふ。と妻は弥生人のような顔の眉を下げて笑います。少し困ったようにも見えました。
「きいちゃん。あのね、リョウ君は、あたしの仲間だったの」
「なかま?」
「そう。仲間。うーん、友達みたいなものかな」
「ボクタチハ、トモダチダ。カゾク、デハナイ」
 きいちゃんは、私と一緒によく観るアニメの台詞を引用します。すっかり覚えちゃったばい。
「そうそう、その友達、友達」と妻。
「ソーラー、ジュウデン、オーケー、ワザ、カケチャウゾ」ときいちゃん。
「技かぁ。技っていえば、リョウ君は殺陣たての稽古にいってたな」
「たて? けいこ?」
「うーん、殺陣っていうのはねぇ、こうやってぇ」
 妻は両手を合わせて頭の上まで大きく振り上げ、勢いよく振り下ろします。
「……」
 きいちゃんは黙ってしまいました。きっと妻が何をやっているのか、わからないのでしょう。
「何か持ったら?」と私は提案しました。
 缶車の中を見回して、私は独身のとき100均で買った布団叩きを掴み、妻は台所のサランラップの一番長いやつを掴みます。笑うしかなかばい。
「たぁてぇ、たぁてぇ」
 きいちゃんの期待は高まります。妻はサランラップを刀のように持ち、きいちゃんを切りつける振りをしてみせます。かなりゆっくりとして大げさです。
「えいいっ! きいちゃん、まいったかぁ」
「きゃきゃきゃきゃきゃ」
 大喜びするきいちゃん。私は布団叩きを置き、素早くきいちゃんのぬいぐるみの体を背中側から持って天井の方へ掲げます。きいちゃんは自分では動けませんから。
「バサバサバサァ~」
 ときいちゃんは飛んでいるつもりになります。
 サランラップの刀を振り回して、きいちゃんを狙う妻はノリノリで、そしてけっこうしつこいです。私はきいちゃんをあっちこっちに飛ばし、刀から逃げ回ります。自由自在に飛び回るニンジャトキと、そやつを追い回す女剣士ごっこ。こんな姿、職場の人間には絶対見せられません。いえいえ、それより皆さんが心配です。こんなものを読まされて呆れていないでしょうか……。いつも、お付き合いくださりありがとうございます。
 遊びに飽きて、はたとテレビ画面を見る私達。リョウ君の再現ドラマはいつのまにかラストシーンになっています。なんと、リョウ君演じる夫が、妻役を演じる女優に…、あれ? 夫を演じるリョウ君が、女優をやってる女に…、ん? とにかく、夫が妻に土下座をして必死に謝っているのです。新しい掃除機を買うか買わないかの話だった筈なのに、ちょっと見ないうちにいったい何が起こったのでしょう?
 私はこう思いました。もし、そういう役だとしても、土下座はしたくなか。というより、そもそも妻に土下座をするような事、しなければよかばい。
「この土下座、リョウ君の演技プランじゃないな、きっと。シナリオに書いてあったか…、それか、ディレクターの指示っぽいな」
 と妻が珍しく冷めた口調で呟きます。普段は温和な弥生人のような顔が、眉間に皺を寄せた演劇人の顔になっているような気がしました。(あくまでも筑後川敦の観察によるものです)
 私はきいちゃんの両方の翼を前で合わせ、その間にシャープペンを挟ませました。小さな刀のつもりで、「えい、えい」と言って、素振りのまねごとです。きいちゃんは大興奮。そんな私達のことを見て、妻はやっと笑ってくれました。はあ~、よかぁ~。
 こんな夜もある、筑後川家なのでした。


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