見出し画像

パートナーが産後うつになって感じた「お母さんたちをサポートしたい」~母子保険はぐ誕生の裏側~

「母子保険はぐ」は、Finatextホールディングス代表の林がパートナーの産後うつを経験したことから「お母さんたちをサポートしたい」という思いを元に誕生しました。今回は、「母子保険はぐ」が生まれたきっかけにもなった、林のパートナーの産後うつについて、お伝えします。

産後すぐに不眠が続き「産後うつ」と診断

2019年6月、林家に長男が誕生しました。福岡県に里帰りしていた奥様は、産後2日目の夜から一睡もできなくなりました。それから1週間近く眠れない日々が続き、「もしかしたらマタニティブルーかもしれない」という思いが頭に浮かび、「それならば2週間程度で治るはず、早く直さなければ」と思ったといいます。
しかし奥様の不眠は治らず、さすがにおかしいと、心療内科へ行ったところ、「産後うつ」だと診断されたのです。

画像2

Finatextホールディングス代表  林 良太

そこで母乳からミルクに切り替えて、向精神薬、抗うつ薬などによる産後うつの治療が始まりました。両親の助けを得ながら、里帰り先で闘病と育児をしていた奥様でしたが、不眠以外にも、食欲の低下や過呼吸、胸の動悸や強い不安感など、さまざまな症状が次から次へと出てきます。
そこで、奥様は林がいる東京に戻ってくることになり、林と林の両親で奥様の闘病を支えながら、みんなで協力して子育てをする日々が始まったのです。

周囲のサポートを受けて次第に回復

それから約半年間はつらい日々が続いたと、奥様は振り返ります。
「本来明るい性格なので、その自分と産後うつの自分とのギャップがつらかったですね。常に世の中の終わりのように感じていました」

そして、周囲のサポートについては
「とてもありがたかったです。ただ、当初はサポートについて何を感じる余裕もなく、意識できるようになってからは、『迷惑をかけてしまって申し訳ない』と感じていました」と話しています。

これについて、林は「自分ができるのは、ただ側にいることだけだった」と振り返ります。
「産後うつがひどい時は、『大丈夫』とか『ずいぶんよくなってきたね』という言葉でも相手を傷つけてしまうことがあります。ただ、側にいてあげることが一番妻のためになると思いました」。(林)

その後、奥様は次第に症状が改善して、予防のためにも治療は続けていますが、現在ほぼ回復しているといいます。奥様が回復した今、林は「妻が生きているだけでありがとうという気持ち」だと話しています。
「産後うつで育児ができなかった分、他のお母さんと比べると遅れていると感じるかもしれないけれど、妻にはどうか無理はしないでと伝えています」と言います。

産後うつに苦しんでいる人や出産を控えた人に伝えたいこと

奥様は症状が重い時、テレビも本も読めなくなったそうです。しかし、産後うつの体験だけはインターネットで検索して読んでいました。

画像3

「つらいのは私だけじゃないんだ。私以外にも産後うつで苦しんでいる人はいると思うと、励みになった」と振り返ります。

そして、産後うつを乗り越える方法については、「元の自分に戻ろうとしなくても、新しい自分になればいいのだと思います。私も初めは以前の自分とのギャップに悩み、苦しみましたが産後うつを体験した自分は、以前の私とは違う新しい自分だと思うと、とても気持ちが軽くなりました。どうか、いついつまでに元の自分に戻ろうなどと、自分に制約をかけないでほしいと思います」と話していました。

また、林はパートナーの産後うつについて、このように振り返っています。「この病気のしんどいところは、出口がまったく見えないところ。うちの妻は、周りから全力でサポートを受けられましたが、回復までは10ヶ月くらいの月日がかかりました。もし誰の助けもなかったら…経済的に余裕がなかったら…それで命を断つことになってもまったく不思議でないくらい、産後うつというのは本当に地獄なのです。僕は少しでも妊婦さん、お母さんのサポートになれるよう、『母子保険はぐ』を立ち上げました。これから人生をかけてがんばっていきたいと思っています」。

元々大好きだったおしゃれも楽しめるまでに回復したという奥様の産後うつの経験が、林が母子保険はぐをつくるきっかけになりました。母子保険はぐは、いつでも妊婦さんやお母さんたちの支えになりたいと思っています。

ぜひ、詳しく知りたい方はこちらのバナーよりサイトをご覧ください

画像1