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描く未来と東京でのvision

おはようございます。社会人なりたての山本です。
ついに今日から出社です。なので決意というか、覚悟というか分かりませんがnoteを書きます。

今日はタイトルにもあるように「今後どのようなキャリアを思い描いているのか」と僕が状況した理由にもあたる「ビジョン」とについて書いていこうと思います!最近知り合った方も多いので少しでも自分のことを知っていただけるnoteになれば幸いです!

(JAM noteとかインタビューされて記事になってる人が羨ましいので自分も書きます。誰か取材してください待ってます。)


1,就活を振り返って

今はもう少し違うのですが、一年前の僕の就活の軸は「自由に生きる」という自分軸の延長で「自分に関わる全ての人たちが自由に生きられる社会を創る」というミッションのもと就活をしていました。

そして新卒の会社に求めるものとして
①お金を稼げる会社(3年で年収1000万)
➁営業力を磨ける会社
③人脈を広げられる会社
の3つに当てはまる企業を探しました。なので自然と金融商品を扱う資産運用関連の会社を受けていました。

この3つを求めた理由としては
①お金:そもそもお金が無いと不自由だから
➁営業力汎用性が高い、強みを活かせる、起業するとなったときに活かせそうだから
③人脈:転職や起業したときに可能性が増すから

実際に選考を受けた会社は3社(マザーズ上場IT系、資産運用コンサルのスタートアップ、東証一部上場不動産ベンチャー)でそのうち二社内定をいただき、東証一部上場不動産ベンチャーに内定承諾しました。春からは営業をやります。

ここに決めた理由は正直「」でした。受けた3社は先述の条件をどこも満たしていたので「あとは2月末までに自分が自然と働くイメージをした会社にしよう」と思ってこの会社にしました。企業名は隠すほどでもないのですが、先輩方が出してないので個人的に聞いてください。


2,今後のキャリアについて

正直どうなるかは全く分からないのであくまで仮ですがざっくり言うと

子どもができたら旭川に帰ってコメ農家になりたい

というのが今思い描いているセカンドキャリアです。その他にも医者など保有資産が多い方の資産運用不動産業スポーツビジネス転職・就職支援、漠然と教育関連の事業などなどあらゆる事業で

とにかく旭川を住みたいまちから住めるまちにしたい

北海道第二の都市として誇れるまちにしたい

と思っています。なぜなら僕は大学4年間を旭川で過ごしてきて、泣く泣く旭川を出なければならない人、または旭川に住むために選択肢の幅を狭めてきた人をたくさん見てきたからです。そして僕も結果的にその一人になりました。

旭川に「確実に住む」ための手っ取り早い方法の一つは「旭川市役所」に就職することです。同期や先輩でも「旭川に住みたいから市役所受ける」という人を今まで見てきました。

一概に悪いとは言えませんが、色んな業種から進路を選ぶことができた上でかつ、旭川に住めた方がもっと良いだろうし、僕はそうあって然るべきだと思っています。なぜなら北海道第二の都市だからです。そして僕自身が旭川に溺愛しているからです。

とにかく今の中間目標は「より良い旭川市をつくる」ことにおいています。とてもいい街だけど、まだまだポテンシャルだらけで、それを引き出そうとしている人がたくさんいます。そこに早く加勢できるよう東京で力をつけたいと思っています。


3,新卒でのVISION

ここまで聞くと「じゃあいつになったら北海道帰るんだい?」って話になると思います。最終的にどうなったら帰れるかどうかはまだ分かりませんが「新卒で僕が成し遂げなければいけない2つのこと」については明確にあるので書きます。

①借金完済

まず一つ目が「借金の完済」です。ここはキレイごと抜きにやらなければなりません。僕は決して裕福な家で育ったわけではないため(それでも親のおかげで好きな学校に行かせてもらえた)大学の学費や生活費その他諸々の出費は全て奨学金と自分のバイト代で賄っていました。

結果入学等々で親から借りた費用や奨学金を合わせるとどうやら700万前後の借金を今僕は背負っているようです。先述した「旭川を住めるまち」にする以前に「お前がまず最低限生きるのに困らないレベルにならないと説得力が無い」と自分自身に感じたので借金完済のために働きます。

なので必然的に「年収1000万オーバー」はマストになります。周りでは「お金を稼ぎたい」「早く昇進したい」という人が多いですが、そういう人たちとは僕は根本的に違います。

僕は「稼がないと死ぬ」「稼がないと東京という檻にぶち込まれ続ける」というデフォルトが危機的状況なのでとにかくやるしかありません。


➁共に旭川をつくる仲間を集める

二つ目は「仲間づくり」です。「早く行きたいなら一人で行け。遠くに行きたいならみんなで行け。」とよく言われますが、遠くに行くための仲間を見つけるのがもう一つの東京での任務です。

まだどうなるかは分かりませんが、独立しようが会社に属していようが東京で今後得る繋がりを使って大きなことをやっていく必要があると思っています。

そのためにもこうしてnoteやSNSではもちろん、仕事でも外でも夢を語り続け、そこに日々説得力を肉付けしていくことを続けていかなければなりません。

4月からの不動産会社での営業もそうです。もちろん雇ってもらっている以上数字は出さねばなりません。ただ数字だけじゃなくてそこからもう二押しして共創する仲間になってもらうことを心がけていきます。


4,僕のIdentity

アイデンティティ

僕が今日から働くにあたって大事にしたいことを最後に書きます。
前提として現時点のものであるので、変わることは「むしろ当たり前」だと思っていますが、いったん振り返れるものがあった方がいいと思うので言語化してみました。

理念、ビジョンの話はひとまず置いておいてvalueの部分だけ説明して終わります。


①プロ精神

言葉の通りです。「プロ」というのがどこからかはこれから働いていきながら掴んでいくと思いますが「これで自分自身をプロと呼べるのか?」という問いを常に投げながら、ひとつひとつの行動を突き詰めていきます。

もちろんやりたくないこともあるだろうし、その中でも本当にやらなくていいことも出てくると思います。そうしたときに「プロなら何をどこまでするか?」「これはプロならやるのか?」を一つの行動の価値判断基準にしようと思っています。


➁力愛不二

「りきあいふに」と読みます。力と愛を調和させよという少林寺拳法の教えの一つです。力というのは権力なのかカネなのか地位なのか名誉なのか分かりません。僕には力がありません。

しかし先述したように北海道や旭川を何とかしたいという「愛」はあります。だからこそ愛に見合う力をつけていこう、力に見合う愛を育もうという行動指針になります。

愛なき力は凶器であり、力なき愛は無力である


③My life,My choice

これはあるイベントに参加したときに見つけた言葉を自分で変えて作った言葉です。「自分の人生は自分で選べ」です。最終的には自分の人生のケツを拭けるのは自分だけだし、後悔が残っても結局、苦しむのは自分だけです。

これから色んな人と関わっていくと思いますが、自分自身を見失わないよう「最後は俺自身が選び取る」という気持ちを大切にしていきます。


5,最後に~今の心境~

現在4/1の7時半です。今の心境は昨日ツイートもしましたが「不安7:楽しみ3」です。確かにちゃんと仕事できるのか?ちゃんと自分が成績を出せるのか?という不安はもちろん大きいです。

しかし一番の不安は目先の利益や楽な道に逃げようとして

「人の道を外すこと」「自分らしさを失うこと」

だと考えています。それに仕事については自己完結できないものが多く、コントロールできないことも数多くあると思っています。それよりも「正しい道を行くこと」「自分らしく生きること」というコントロールできる部分をまずはしっかりと舵取りしていこうと思います。

そしてここまで22年間自分を支え、育ててくださった全ての皆さんに改めて感謝の気持ちを持って胸を張って出社しようと思います。

最後に未来の自分へ。
もし不安になったら未来の自分はこのnoteに帰ってこい。必ずデカくなろう。

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