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【母の遺作】 すすきの村で その3

泣け、泣け、おもいつきり泣け

「八重子ちゃーん、八木先生の手紙、持ってきたよ」
 市子は、八重子の家にとびこんだ。
「いつも悪いねえ、市子ちゃん。八重子、ちょっと風邪ひいたらしくて…、熱があるのよ。ねかせてるんだけど、あがっていってくれる」
 八重子のお母さんが、家の奥からでてきた。
「うん。おばさん。その前に教えてくれる?今、伸一兄さんと正吉じいさんにきいたけど、八重子ちゃん、祭りがすきだって?」
「幼稚園の時までは、よく、おどったもんだけど」
「外でも?」
「うん。でも、小学校に入ってからは、はずかしいって…」
「おばさん、家は、どうなの?」
「ああ、今年の秋祭りの時にゃ、たいこにあわせて、へやで、こっそり、おどってたみたいだよ。田んぽをわたって、たいこの音が、ここまで聞こえてくるだよね。あんまりかわいそうなんで、わたしゃ、知らんぶりしてたけどねえ」
 おばさんは、髪をかきあげるふりをして、そっと涙をぬぐった。
「じゃ、おばさん、八木先生の手紙、わたしてくるね」
市子は、わざと、明るくいった。
「ああ、このいもきりぼし、持っていってお食べ。へやの電気ストーブでやくと、うまいよ」
おばさんは、みずやの、いもきりぽしを、一袋、市子の手のなかにおしこんだ。畑仕事をいつもしているおばさんの手は、ゴツゴツとほねばって、しわだらけだった。
「たのむよ、市子ちゃん」
その手が、やさしく、市子の背中をおした。
「八重子ちゃん、あがるわよう。ぐあいは、どう?」
 市子は、階段の下から声をかけて、トントンと黒光りのする板をのぼっていった。納屋の
上にある、八重子のへやは、静かだった。
「寝てるの?八重子ちゃん、あけるわよ」
市子は、載 重い引戸を、グイッとあけた。
 八重子は、青白い顔で、目をきゅっとつむって寝ていた。手紙をおいて、市子は、そっと、ひきかえそうとした。その机の上に、
「ごめんなさい、お母さん、お父さん、八木先生、市子ちゃん」
という、文字を見たとたん、市子は、叫んでいた。
「おばさん、119番、はやく、はやく!」


 ピーポー、ピーポー、ピーポー。
 救急車がきて、八重子をはこんでいくまで、市子は、八重子の顔をたたいたり、腰が抜けたおばさんをはげましたり、動きまわった。なにをしていいのか、わからなかったが、なにもしないと、市子自身が、たおれてしまいそうだった。
「八重子、死んだらいかん。死んだらいかんでえ」
おばさんは、泣きさけびながら、八重子ちゃんを、ゆすりつづけていた。
 救急隊員は、くつのまま、とびこんできた。
「大丈夫、おちついて、おちついて!」
 ガーゼを、手に、すばやくまきつけ、八重子の、のどの奥深くまで、つっこんだ。八重子は、ゲエー、ゲエーはいた。もう、はきだすものが、なくなると、八重子は、たんかにのせられ、おばさんといっしょに、病院へはこばれていった。
 ピーポー、ピーポー、ピーポー…。
 救急車がいってしまうと、市子は、力が抜け、へなへな、へたりこんだ。頭が、ガンガン痛んだ。
 八重子ちゃん、死んだらいかんよ。ほんとよ。死んだらいかんと、じゅもんみたいに、つぶやいている市子を、妹の和美が、そっと、だいてくれた。
「姉ちゃん、かえろ。うちで、まっとろう」
 和美の手は、あたたかかった。正吉じいさんと、伸一兄さんが、外に、まっていた。
「あとのことは、心配せんと、よう、休み。今日はえらかったでえ」
 正吉じいさんにいわれて、市子の心のつっかえぽうが、ポーンと、はずれた。市子は、わあわあ、泣きながら、正吉じいさんの胸に、とびこんだ。
「泣け、泣け。おもいっきり泣け。泣いていいぞ」
 正吉じいさんの声は、やさしかった。


 市子は、ふとんを、すっぽりかぶっても、なかなかねむれなかった。
「母さんのへやで、ねてもいいのよ」
 母さんは、心配そうな声で、ささやいた。
「八重子ちゃん、おわかれのつもりで、姉ちゃんにドングリゴマくれたのかなあ」
 妹の和美が、モコッとおきあがって、つぶやいたとき、リリリーン、リリリーン、電話のベルがなった。
母さんが、パタパタかけていく。
「はい、はい。そりゃ、よかったですね。市子は、だいじょうぶです。わざわざすみません。明日、おみまいにいきますからと、お伝えください」
 母さんが、かん高い声で、こたえている。
「市子、市子。八重子ちゃんは、もうだいじょうぶ。たすかったよ。おまえに会いたいって、いってるんだって。明日、みまいにいっておいで」
 母さんが、ろうかを走ってきながら、叫んでいた。
「姉ちゃん、よかったね。よかったじゃん」
和美が、ほわんと、だきついてきた。市子も、和美の背中に手をまわす。細い和美の肩が、こきざみに、ゆれていた。ほっぺたをさわると、涙がわいていた。涙は、和美のほほを、次つぎに、すべりおちていく。
「姉ちゃん、うち、こわかった」
(和美も、がまんしてたんだ。泣きたいのを、今までこらえていたんだ。私が、先に泣いちゃったから、せいいっぱい、こらえていたんだ)
 市子は、そう思うと、和美が、今まで以上に、愛おしかった。


リリリーン、リリリーン、リリリーン。
また電話がなった。
「市子、電話よ」
 市子が、受話器をとりあげると、いきなり、泣き声がとびこんできた。
「市子ちゃん?マリ子よ。八重子ちゃんが…、八重子ちゃんが…」

受話器のむこうで、マリ子が、泣いていた。
「私が、悪いのよ。私がo…。マリ子が、八重子ちゃんに、万引なんかさせたから…。八重子ちゃん、学校へこれんようにさせたの、私なのよ…」
「……」
「私、はじめは、麻子ちゃんのこと、こわかったし、いやだったの。でも、だんだん、麻子ちゃんの子分になってた方が、おもしろいって、ヒック、楽しいって…。みんな、私が、わるいのよ。八重子ちゃんが、死んだら、どうしよう。市子ちゃん、どうしよう」
「だいじょうぶ。八重子ちゃんは、だいじょうぶだから、おちついて。マリ子ちゃん、しっかりしてよ!」
「もし、もし、市子さんですか?マリ子の母です。今、マリ子が、いったことは、ほんとうですか?ほんとに、マリ子が、悪いんですか?」
じゆわきさけ
マリ子の母が、受話器をひったくって、叫んでいる。
「うそでしょう。うそだって、おっしゃって。うちのマリ子にかぎって、そんな、おそろしいことをするはずないわ」
「私が、悪いんだって、母さんの前では、いい子ぶりっ子してただけよ。市子ちゃん、どうしよう、私」
 マリ子が、ヒステリックに泣きわめいた。
「マリ子ちゃん、ほんとに、悪いと思ってる?」
「ほんとよ。あやまりたいの」
「じゃ、明日、私がみまいにいく時、つれてったげる。でも、きちんと、あやまれる?麻子ちゃんや、勝子ちゃんに、また、ひっぱられるんじゃない?」
「そんなことしない。ぜったい、八重子ちゃんに、きちんとあやまるから」
「じゃ、げんまんね」
 市子とマリ子は、電話のむこうと、こちらで、ゆびきりげんまんをした。
 廊下の柱時計は、九時四十五分をさしていた。(つづく)


☆☆☆☆☆☆

1985年度子ども世界・児童文化の会 年度別文化賞受賞作品

子ども世界No.140 141 86年3月号4月号 掲載
   

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