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バレンタインデーはおすき? その5

母さんの にがいチョコレート


その夜、母さんは、洋子たちが、カレーの夕飯をたべている時、やっと、帰ってきた。

いつも、おしゃべりの母さんが、みょうに、おしだまっているので、父さんが、からかった。

「おやおや、ボランティアおばさんでも、しょぼくれることがあるんですかね」

母さんは、だまって、ポロポロッと涙をこぼした。

「おいおい、じょうだんだよ。なにか、イヤなことがあったのかい?まず、めしを食えよ。そうすれば、おちつくさ」

父さんは、カレーライスをお皿に、おおもりにもってきて、母さんの前においた。

母さんは、スプーンをとると、半分ぐらい、いっきに食べた。そして、フウーっと、ためいきをついた。

「チョコレートにたいするおもいが、ぜんぜんちがうのよね。私たちの世代と、おじいさんたちと」

「なに?それ」

洋子は、母さんのコップに、水をつぎながら、きいた。

「バレンタインデーのチョコ買っていって、おじいさんに、どなられたの。おれの息子は、進駐軍が、ばらまくチョコレートほしさに、道にとび出して、車におしつぶされたんだって。チョコレートなんか、見ただけでも、はきけがするって。それから、母さんが、なにいっても返事もしてくれないの。ずいぶんなかよくなってきたのに。そしたら、老人ホームのほかのおじいさんたちが、次つぎにいうのよ、チョコレートなんて、ろくな思い出がないって。おれたち、人間あつかいされてなかったもんなって。そして、いまだってそうだよ、こんなところに、おしこまれてって。ボランティアのほかの人は、あなたがよけいなことをするから、交流がきれたって、攻めるし……」

母さんは、はなをグスグスいわせて、しゃべりつづける。

母さんが、ボランティア活動を、よろこんでやっていた時には、批判的だった父さんも、今日は、なにもいわなかった。自分のした事を後悔している人に、追いうちをかけるような父さんじゃないことは、家族のみんなが、いちばんよく知っている。

「大人になるって、たいへんだね」

いままで、だまっていた妹の幸子が、ポツンと、いった。

「あらあら、そんなことないわよ」

母さんが、あわてて、手をふった。

「ちょっと、今日は、つかれただけ……。そうよ。心配しないで」

母さんは、背すじを、しゃんと、のばした。

「あっ、洋子、おねがい。ハイビスカスのお茶、入れてくれない?のみたくなっちゃった」

母さんは、いつもの母さんの顔にもどっていた。

「オッケー。あつあつの、入れてあげるね」

洋子は、母さんのすきな、まっ白の大き目のカップをだしてあたためた。

お湯をそうっと、そそぐと、紅色のお茶が、カップの中にひろがっていく。

湯気のむこうで、ゆいちゃんが、にっと笑ったような気がした。

「ところで、洋子、バレンタインデーは、おすき?」

                             (おわり)


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