新_魔法のコンパス__3_

感性は感動しない #気ままに読書感想文

できれば、この本をひと通り読み終えたあとでもう一度、この「感性は感動しない」に戻ってきてみてください。そのとき、あなたの感性もまたくるっと一回転して、少しずつ鍛えられるのとは別のかたちで、前とは全然違うものになっているはずです。



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「感性は感動しない」

最初の章にすベて持っていかれた。
この章のためだけに私はお金を払う。


ずっと、美術館に興味がなかった。

興味がないというよりは「見方がわからない」というのが正しい答えだと思う。
学生時代の美術の成績は良くなかった。
提出物と出席日数が足りてるので、「3」。
まぁセンスではなく、とりあえずあげるよ「3」。だ。

そこから十数年、いやもっと長い人生。
私の感性は完全に固まっていたと思う。
黒い泥だんごみたいだ。
手のひらサイズにちっちゃくまとまって、なんの輝きも放たない。というよりそこにその存在があることすら忘れてしまうほど存在感がない。

この数年で、なまじ「知識」を身につけて、これはこんな風に役に立つ。こんな知識を知っている自分はすごい。そう思っているうちに私の感性は忘れ去られていた。完全に。


美術品を見て「感動」しなければならない。なぜならばそれが「感性」だから。

でもその「感動」に行き着くことができないのならば、たくさん修行して、たくさんの知識を身につけなければいけない。
たくさんの知識があれば「感動する」ことができる。
私はきっとどこかでそう思っていた。


このエッセイは違う。わずか十数ページで私の「感性」への偏見を一瞬で取り払った。

私の泥だんごは小さな亀裂が入って、中から何か出てくるかもしれない。
いや・・・なにも出てこないかもしれない。
それはそれでいいかもしれない。だって小さな亀裂が入ったんだから。

私の愛しき泥だんごに亀裂を入れてくれたエッセイ。
これが感性が動くということかもしれない。

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