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ゴダール、シネフィル、映画を通して世界をみる目

ジャン・リュック・ゴタールが91歳で亡くなった。

僕は20代半ばをピークとして、まぎれもなく「サブカル糞野郎」、しかも「俺は映画に詳しくて映画の見方がムチャクチャわかっちゃってるもんね系の悪しきシネフィル」だったので、当然観られるゴダールの作品はすべて観た。7~8割の作品は意味が殆どわからなったが、ゴタールと言えばシネフィル、シネフィルと言えばゴダールなので、わかったような顔をしていた。当時は、何なら"それなり"にゴダールやヌーヴェル・ヴァーグについて語ることすらできた。これは映画だけではないが、その種の言葉(ディスクールと呼んでいた)は訓練によって操れるようになる。そういう言葉に満ちた「場所」に自分は何年もいた。要するに蓮實重彦という一人のインテリ映画オタク爺を中心とした界隈の影響を受けすぎて、自分もいっぱしの映画マニア面をしていたというわけだ。
ゴダールという名は、いつ頃からか口に出すのが恥ずかしくなっていった。しかし『勝手にしやがれ』も『気狂いピエロ』も、マジでカッコよかった。『女は女である』も好きだ。オシャレだから。もう今はこれくらいしか言えなくなってしまった。

以前ココに書いたのだけれど、僕は斜に構えて知識をひけらかすサブカル糞野郎時代はとっくに克服して(したつもり!)、いろいろな映画を自由に楽しむことができるようになった。何が自分にとって面白くて、どんなものをつまらないと感じるのか。そういう自分の価値基準をハッキリと自覚したうえで、好き嫌い問わずたくさん映画を観ていって、良かったと感じたものを明るく話していこうと思うようになった。また、感じ悪いシネフィルがウザいというのはわかるけれど、そういうシネフィルをいつまでも憎んでいる人たちも似たようなものだと思うようになった。楽しく映画みようぜ。
『勝手にしやがれ』を観たことがない人がいたら、一度観て、何を感じるか試してみてほしいと思う。なぜアレが当時新しかったのか、わかるかもしれない。

蓮實系映画言論がなければ、僕はいまのように映画を、もっといえば世界を味わうことはできなかった。
(一気に名前を挙げるが"ひけらかし"じゃないよ) ゴタールも、トリュフォーもヒッチコックも、タルコフスキーも、小津も、ルノワールも、フォードも、ワイルダーも、ロメールも、ジャームッシュも、カサベデスも、エリセも、カラックスも、キアロスタミも、侯孝賢も、トラン・アン・ユンも、エドワード・ヤンも、クストリッツァも、カウリスマキも、彼らを識り、世界には様々な国に様々な映画作家がいて、すばらしい映画が見切れないほどたくさんあるということを知った。
別に知ったからといってそれが何なのだと言われるかもしれないし、映画など観なくたって人生に愉しみなどいくらでもある。しかし知ってしまった自分にとって、それはかけがえのない出会いだった。
20代を中心に、大好きな映画作品に心の底から震えながら感動する経験をくりかえした。それはこの実際の世界を、人間たちが生きる悲喜劇の社会の清濁を、より鮮明に、最終的には「肯定的に」映すまなざしを育ててくれた。

貧乏なひとり暮らしのころ、都内に当時はたくさんあった小さい映画館で昔の映画の複数上映や上記の監督たちの新作を観に行ったり、初めて降りる駅で小さなレンタルビデオ屋をめぐって歩いたりもした。そういう経験も、いま思い出すと多幸感しかない。

究極的にいえば我々観客にとってゴダールとマーベルシネマの間に何も違いはない。どっちも好きだ。悪しきシネフィルでも、映画の面白さは観たものが自由に語るべきものだ。自分が面白いと思った作品をつまらないと言う人がいようが自分がつまらないと思った作品が爆発的にヒットしようがそんなものはどうでもいい。僕は良かったものについて熱く語りたい。上に太字で書いた人たちのことなんてオオスメしたすぎて逆に何を書いたらいいか悩んで何も書けないくらいだ。いっぽうでジャッキー・チェンの凄さについても一晩は語れる。
ゴダールのような作品を体験することから映画の世界がどんどん拡がり、自分にとって生きることのよろこびが増えたことは確かだ。

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