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アラフィフおじさん転職記

もうそろそろ50歳になるんだが、転職することにした。
そして転職先からは年末に内定をもらっている。

私にとって正規社員になってからの転職は、コレで3回目だ。

いまの会社では昨年、グッと昇進した。
しかし、「(組織が"若返り"を図っているなかで) 役職定年までに事業部長、あるいは役員まで行けるか」という社内キャリア的な観点、企業体としての会社の将来性に明確な限界が見えている点、それに伴う「やりがい」を維持できるか、などについて考えた結果、辞めることにした。

氷河期と呼ばれる私の20代は、不況および自身の怠惰な性質もあり 「社会人」 としての積み上げは無に等しかった。
30歳くらいで家庭を持ち子供が出来て、そこからは必死で働いた。

30代と40代は家族の扶養(つまり労働)、そして子育てをしているあいだに、あっという間に過ぎた。
自分だけなのか、皆がそうなのかはわからないけれど、人生の時間は20代半ば (自分のためだけに生きていた時代) くらいまでが物凄く濃密で、30以降 (家族ファーストで生きることになった時代) は、びっくりするくらい一瞬だった。

私にとって子供を育てるということは、本当にかけがえのない、奇跡のように美しい時間だった。
子を持った以上育て上げるのは責務だと思っているが、肉体的/精神的/金銭的リソースをそこに注がざるをえないということは、一個の大人としての自由が制限されるということでもある。むろん、親とはそういうものだと思っている。

我が子は「あっという間」に大きくなり、上の子が春から大学へ行くことになった。
つまり "子育てプロジェクト" は終わりが見えてきている。

40代後半に入ったころから、「自分の人生の残り時間の使い方」 というものを強く意識するようになった。
お金を少しずつ稼げるようになり、自分のために生きようと思うようになった。

仕事は (40代に入ってからは特に) ずっと激務だけれど、その合間に好きなことをするようになった。
たぶん、多くの人がイメージするより遥かに好き放題やっていると思う。年々自由度が増している。

子供とは 『自分』 の中身を形成する大切な要素だし、最も大事な存在なのだけれど、いつまでも子供だけでは満たされてはいられない。(少なくとも近年の自分は)
子が親から離れていくのと同じように、親も子から離れなくてはいけないとも思っている。
「それまで子供が占めていた場所」に余裕、ゆとりが出来てくると、その隙間を何かで満たしたくなるようだ。

50を前にして、自分がしたいこと、まずはこの先10年をどう生きようか、と少し前から猛烈に考えるようになり、転職することにした。
自分の能力で新しいことをしたいという思いが日に日に増してくるようになった。

まあそういうわけで、自分を充実させるために、今まで以上にハードに働くという選択をした次第であります。
働くことは苦痛だけれど、私は喜びも感じるタイプなようだ。
別にこれが最後の会社だとも思っていない。やりたいことは他にも少しずつ生まれてきている。

この文章は「中年の転職テクニック」みたいなものではない、個人的な生き方の話です。

しかしちょっとだけ 「どういうふうに転職したか」 を書いておくと、

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