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コロナへの復讐としての家族旅行に行ってきた。

家族で5日ほどタイのバンコクに行ってきた。
高級リゾートホテルに泊まって、観光名所をまわって、東京よりよっぽど進化している巨大オサレショッピングモールにいくつか行って、東南アジアの (よい意味で) ゴミゴミした露店商の並ぶ通りなどにも行った。タイはこいつらと若いころに行ったころがあるが、バンコクは異様な大都会に変貌していた。
僕ひとりならテキトーなプランで旅をできるのだが、未成年の家族を連れて行くとなると、出国前のもろもろの準備段階から帰国まで、思いのほか大変だった。僕は意外と慎重で心配性な側面があるのだなと知った。現地でPCR検査を受けるための病院探し、実際の検査や日本入国時の手続きなど、ほんとうに面倒くさかった。自分しかできないツアーコンダクターとしての任務のせいで、死ぬほど疲れた。体力も落ちているし。トラブルはいくらかあったけれど、それでもこの旅行は完璧だった。

旅行をすることのきっかけは2つあり、「コロナで娘の中3/高1のころの学校イベントがことごとく潰れたこと」がまずあった。コロナ騒動への我が国の対応については言い尽くせないくらいほど文句があるけれど、若い世代、特に10代の青春の思い出の機会を奪ったことについてもとにかく腹が立っていた。上の子 (娘) は修学旅行、文化祭などがなくなってしまい、かなしみに暮れていた。僕は親として、その損失にかわる楽しい、日常の外での体験を絶対に作ってあげようと思った。文句だけを垂れていても仕方がない。それで「海外旅行でも行くか?好きなところへ連れて行ってやるよ」と言った。GUCCIの財布は買ってやらなかったけれど、やるときゃやるのである。いろいろと話し合ってタイになった。

もうひとつは、ちょいちょい書いているんだけど、僕は老後を考えず「いま」を愉しむことに全てを注ぎ込もうと決めていて、別にエリートでも金持ちでもない自分自身がやりたいことのひとつに、それなりにリソースをぶっこんだ家族旅行をしておきたいというのがあった。労働が常にハードだと、なかなか出来ないことだ。仕事に余裕のできる時期を狙っていた。僕は親に連れて行ってもらった旅行は車で行ける近場ばかりだったし、そのことには何の不満もないのだが、自分にできる限界をやっておきたかった。
家族サービスであり、30過ぎから必死こいて働いてきた自分へのねぎらいでもあった。

結果として旅行は家族全員にとってかけがいのない思い出になった。ほぼあらゆる瞬間が、妻、娘、息子それぞれの記憶に同じように刻まれたと思う。一生モノだ。写真や動画を見返していると、既になつかしくて感傷的になってしまう。修学旅行に行けなかった娘の心のリカバリーは出来たんじゃないか。彼女がダントツでこの旅を愉しんでいた。ありえないくらい喜んでいた。よかったよかった。

コロナに限らず、生きていればいろいろな理不尽な災厄に見舞われる。当然そういうことは仕方がない部分もある。しかしダメージを癒したり、補うことは可能だ。自分に出来ることは、絶対にある。今回は親として、また自分自身のしあわせのために、それをやった。


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