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二世信者が考える新興宗教の意義

私はタイトルの通り二世信者である。

生まれたときから両親と母方の祖母が入信していたので、必然的に物心つくときには宗教に通うのが当たり前になっていた。

最近の私は宗教には全く通っておらず、両親と祖母だけ通っている状態だ。

ずっと宗教には恨みなどの負の感情しか持てず、なんども恨みつらみを綴ったブログを書こうと思った。

でも、最後まで書ききれなくて下書きにずっとあるままだった。

ここ最近自分の中でようやく、負の感情をもっとかみ砕いて消化できたことと併せて、宗教への自分の考えを感情だけではなく、自分の中で消化した考えで言葉にできるようになったと判断できたので書くことにトライしてみる。

きっかけ

入信したきっかけは、母が学生の頃に父と弟を亡くした後に祖母が知人に紹介してもらったことから始まり、結婚後父も入信した。

宗教の流れは施設に行きお祈り→教祖の幹部的な方がお話→信者の人の体験談を聞くような流れだった。

当時の通う頻度は土日のどちらかで、祖母に関しては週3~4で通っていたと思う。

文面だけでだとそこまで厳しそうでもない宗教だと思うし、Twitterで流れてくる過激な戒律の宗教よりマシだと思う。

私が一番嫌だったのは、進学先や就職先、悩みなどを宗教の幹部に手紙を出してどうすればいいか聞くことである。

幼いころはこれが当たり前だと思っていたが、恥ずかしながら20歳を超えて今までを振り返ってみた時に「みんなは自分なりに考えて今までの自分の行き先を考えてきたのか」とわかると、今まで考える権利や選択する権利を奪われてきたと感じ、虚しさと怒りがわいてきた。

その後はじぶんで考えるようになり、就職先は自分で決めた。

始めて大きな決断を自分ですることに恐怖と緊張の気持ちがあったけど、なにかあっても自分で決めたことだしじぶんのせいだししょうがないと、やっと自分の人生に責任を持てた。

自分で考えると、こんなにいろんなことを考えたりしなければいけないし、今まで考えてこなかった分考えて導き出したストックもないので、労力がかかって大変だったが、このほうが生きてる気がするし自分に自信もついてきて私にとってはこの生き方があっていると実感できてうれしかった。

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この経験を経て

子供のころから親がすべてで、家のルールが常識だから外のことに気づくのって個々によって違うからこそ、子供にはなるべく自分で考えて広い世界を見せてあげることが必要だと私は思う。

でも、子供のころから宗教に通っているとそれ以外を見る機会ってぐっと減るし、入信するしないの選択しすら用意されていない。

親にとっては救いであり、子供のためにという気持ちだったかもしれないが、それは親の自己満足であって子供のためになっていないケースの方がほとんどではないかと経験から感じる。

入信したことによって、宗教について知って考えるきっかけになったのはいいと思うが、入信しなくていい道があったのならその道を選びたいと即答してしまう。

でも、宗教は1人でどうしても立てなくなってしまった人や自力で生きれない人の依り代としてあるのだなと理解できた。

そういう人が活用するのはいいことだと思うので、外野がとやかく言うことではない。
ただ、そこに関係ない子供や周囲の人間まで巻き込むと一気に害として認識されてしまう。

宗教はずっといても自立できる場所ではなく、依存体質にしかなっていかないので、自立を考えるのであれば周囲に相談したり学問に基づいた診療内科や本を読んで自己分析をして変えていくなどの方法が将来的には自分で乗り越えられたという気持ちが自信に繋がり、次に何かあっても以前より強い気持ちで乗り越えて行けると思う。

この記事は自分の気持ちの消化もあるし、二世信者ってなかなか相談できないと思うので困った人の何かきっかけや助けになれることが目的だった。

あとは、現実的に見てくれる可能性が低いだろうけど何かの偶然で見てくれた子供を二世信者にしている親御さんがこれを読んで少しでも考え直してくれたらいいなと思っています。

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あの時の気持ちの吐露

嫌だったことは、土日のどちらかに宗教施設に行く際に県を超えて車で片道2時間を毎週繰り返していたことが一つある。

これは、直接的に宗教に関係ないのだが、朝早くバタバタしながら用意をして、きちんとした格好で行く。

父は仕事の疲れが残っているから何かあるとすぐ車にピリついた空気が流れて、母はあきれて放置するか口喧嘩みたいなのを一回して険悪な雰囲気になる。

子供として昔から察知していたし、これを言葉にしてわかるようになってからも自分のやりようのない気持ちをどこにも吐き出せずにいてしんどかった。

少しでも雰囲気を明るくしようと楽しくもないのに歌ったり、妹も渋滞にはまると機嫌が悪くなるので少しでも楽しませようとしていた。

帰宅後も家全体が疲れた雰囲気で母が家事を手伝わない父にイライラしながら食べる夜ご飯は味気がなかった。

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