見出し画像

【星の子】インタビュー・レビューから

監督のインタビュー記事の中でこの箇所がすごく胸に響いた。

――その“水”や“あやしい宗教”に対しても、ちひろの親友なべちゃんは容赦なく「あなたはどう思うの?」と問いかけます。その度に、逡巡しながら考えを巡らせているちひろの姿が印象的でした。
(中略)というのも、最近は大きい声で正しいことばかりを言う人が多くて、僕はそれにも嫌気がさしているので(笑)、もう少し小さな声を拾いたいと思いますし、ちひろは、宗教と思春期になった自分、宗教を信じている両親について、なかなか明確な答えは出ないけれども、考え続けるんですよね。考え続けるということは、わかりやすい答えを選ばないし、考え続けていれば間違わないと思うんです。何かが起こったとしても、受け止めて考える力があることが一番大事なことだと思います。一般的に、正しいこととされるのは、両親をあの宗教からやめさせることになるかもしれませんが、ちひろは正しいことよりも、両親が自分を愛してくれたから宗教を始めたのを知っているので、それを否定できない優しい子なんですよね。そういう優しさがいいですよね。この世の中には、分かろうとしたって分からないことはいっぱいあると思うんですよね。ちひろはそれをずっと考え続けているので、それがこの映画の核になっていますし、僕が一番好きなところです。


「あれ、宗教があるのって普通ではないし、私は必ずしもこれに従わなくていいのかな」と気づいた時から、ちひろみたいにずっと考え続けていたが、答えは出ないし両親は宗教をやめるわけでもないし、明確な答えは出なくて、なんとか距離を少しづつとりながら逃げてきた。
考え続けることに苦しくなってしんどくなっている時期が何回もあった。

でも、監督の考え続けることに対する見解が今までの私を強く肯定してくれたような気がするし、今までの考え続けたことは決して間違っていなかったと思えた。

この方のレビューは私が言語化できなかったこととをわかりやすく言葉に落としてくださってて、深く共感した。
https://ameblo.jp/moji-taro/entry-12633264683.html


生まれた時からその水を飲んでて、宗教があることが当たり前だったちひろにとっては、宗教はあって普通の自然な存在。
そのスタンスは、盲信とか狂信とかいうのではなくて、当たり前にあるものを当たり前に受け入れているだけ。
宗教の家庭に育った子供って、こんな感じなのかなと思います。リアルですね。
その一方で、小さい頃なら何の疑問も持たずに受け入れたことも、大きくなっていろんなことを知っていくと、また別の見え方になっていく。
それは、成長というものに必ずついて回ることですね。宗教に限らずとも、当たり前だと信じてたことが「うちだけ」だと気づいて愕然としたりする
ちひろの中学3年という年齢は、一般的に言っても、そういうことが起きてくる時期と言えるのかもしれません。
いろんな分別がついて、今まで見えなかったことが見えてくる。
お姉ちゃんがどうして出て行ったのかが、わかってくる。
叔父さんがどうしてあんなことをしたのかも、理解ができてくる。
両親が、一般的な世間からはどう見えているかがわかってくる。絶対的な存在だった両親というものが、揺らいでくる。

まさに、気づいた時の私の心情だ…。
信じる信じないより、当たり前にそこにあることだし、気づくまでは宗教の存在について考えもしないんだよね。

距離感が絶妙なんですよね。なべちゃんは幼い頃からちひろを知っていて、だから宗教のこともよく知ってるけど、それをいちいちどうこう言わない。「あんたそれ信じてんの?」というようなスタンスだけど、ちひろが「信じてるよ。当たり前じゃん」と答えたら、ふーんと言ってそれ以上何も言わない。
ちひろに同調するわけじゃないけど、かと言って毛嫌いしたり、馬鹿にしたりするでもない。
(中略)
でも、なべちゃんはちひろに接する態度を変えない。何かを問い詰めようとしたり、説得しようとしたり、論破しようとしたりしない。
何よりも、評価しようとしない。それって、友達関係でいちばん大事なことなんですよね。

なべちゃんの存在についても、私がいいなと思った点をわかりやすく説明してくださっている、、、
本当に昔からなべちゃんのような存在がいてくれればよかったなと心から思う。
あと、私はつい審判的な態度や良かれと思っていろいろしてしまいがちだ。
でも、なべちゃんのようなやり方を知って、今後はこのやり方をできるようにした方が、周囲も私も幸せだと思った。


宗教とは、人の心を入れる箱なんだなあ。
その箱を壊す権利は誰にもない。

主人公のちひろは、両親の「箱」を壊さないよう
そろりそろりと生活している。
両親の服はちょっと臭うけれど
いつもこんなだし、飢えてる訳じゃない。
別に、困っていない。
周りの子たちみたいに流行ってる物とか
たくさん買えるわけじゃないけど、
だからといって、別に困っていない。
この「別に困ってない」は凄い力を持つ。
周囲から見れば明らかに正常ではないのに、
当事者はずっとその生活に慣れているから
「困ってないよ」と言ってしまう。

もし変われるなら、それもいいかな?
という程度で、認識が止まってしまう。

太文字の箇所は(太文字は私が勝手にさせていただきました)特に強く響いた。

「箱」という表現は結構しっくりきた。
気づかなければ箱の中は居心地がいいけれど、気づいた時にはあまりにも閉鎖的なところにいたことに気づき愕然とする。
私は箱を壊して違う場所に生きだした。その時に親も引っ張り出してもっと広い世界で一緒にリスタートしたいと思って、涙を流しながら必死で気持ちを伝えたけど一向に変わらなかった。
箱を壊す権利は本人にしかないんだなというのをしみじみ感じた。

そしてもう1か所の太文字の「困ってない」というのもその通りだった。
慣れというのは怖い。
じわじわ困っていた現状に気づく。
でも、困っているって認めたくない気持ちもある。
現状を拒否しながらも、これまでのことへのやるせなさや怒り・恨みの感情もでながら、困った現状をどう乗り越えていくか向き合うのはしんどい(過去形でもあるが現在進行形であるきもするのでとりあえず現在進行形で)


今回他の方の感想などを拝読して、(きっと書いている方は非入信者だと思われるので)宗教と縁のない方から客観的な視点はすごく勉強になった。
改めて小説が書かれて、映画化して、それを見に行けてよかったと心から思った。







この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?