社会的に評価のされてる人間を憎むカロリー

僕は築60年、家賃4.2万の木造に住んでます。外観はかなり老朽化しており、来訪する芸人は毎回「頑張ってるね」とねぎらいの言葉をかけてくれます。

隣の部屋はフィットネスジムです。そうとしか思えないほどの騒音です。一度、朝にものすごい衝撃音が聞こえ家屋全体が局所的な震度3を経験し死の可能性を察知した僕は体型に見合わず小動物的な反射でベッドから飛び起きました。寝起きで事態が呑み込めずおろおろしていると隣人がバッシーーーンと強烈にドアを閉めていきました。階段を荒々しく降り駐輪場でガシャンとスタンドを上げ自転車の何がどうなって発生してるか分からないけどもはやお馴染みのカリカリカリという、恐らくフリー音源で「朝」と検索すればすべて同じフォルダーに収録されている効果音達をなぜここまで一つ一つをクリアに聞こえるのだろうと不思議に思うほど爆音で打ち鳴らし出発していきました。むかつく奴が自分より早い一日のスタートに成功している腹立たしさと、さすがに睡眠を妨害された事実はこちらが負けることはないという自信から大家さんに電話しようと携帯をとると時刻は8時半で、ここ数か月で一番健康的な時間に起床してて、近くの道路では黄色帽の小学生が軽い絶叫とともに歩いてて、こんな時間に起きたならモーニングでも行ってみようかと思う自分が結果的に幸せになっていて、悔しいくらいにすんなりと溜飲が下がってしまいました。


先日僕のポストにたまたま隣の封筒が入っていました。相変わらず日々その住人への憎悪を高めていたので一瞬で名前を記憶しました。歴史の偉人名も憎悪とともに暗記すればよかったと、もう遅い学習方法を発見しました。日々の鬱憤も相まって、ふと出来心でその名前を検索ボックスに入れてしまいました。格闘技の日本代表でした。現役でした。適当に入れた名前でネットの記事があって、もうこの世のすべての人間は全員何かしらの人間なのではないかという錯覚に陥りました。

正直、それを知ってどこか腑に落ちるところもありました。常人の力加減で生活していないなら仕方ない。状況は同じでも理由がわかるだけで冷静になれる部分がありました、、、、と思うのも束の間、その後の度重なる騒音により、なぜそれを自分が受け入れなければいけないのか?とごく自然な疑問が沸き上がってきて、すぐにまた憎悪は最大値まで達しました。

まず管理会社に電話しました。最初は管理会社の方から連絡がいき、次連絡したときは住人の母親から注意を催促。しかしその後は「服部さん、もうこちらもできることはないので、次は直接会ってもらうしかないですよ」と脅しに似た提案を打ち出してきました。格闘家と直接話し合っても議論が白熱し次第気づけばスリーパーホールドを決められ還らぬ人となるのは目に見えています。これが木造賃貸の管理の限界、ここを越せば管理会社も敵になる。

泣き寝入りの数だけ厚みのある人生になると、こうなってなければ一度も考えることのなかった理論を自ら打ち立ててしぶしぶ引き下がりました。こうやって偶然自分が辿った経験にかなう考え方を蓄積して価値観が出来上がっていくと思えば、どの人の意見も論理的な思考の積み重ねで到達した主張ではなく、その人の人生を肯定するために主張している考え方程度のものだと思えました。

しかしある深夜、バイトの作業と次の日のライブの準備が重なりどうしても集中したいときに、いつもの騒音が聞こえてきました。もちろんトレーニングっぽい床を跳ねる音も聞こえるのですが恐らくオンラインゲームで興奮している感じが伝わってきました。負けると壁を殴る。実家の兄と同じでした。


管理会社はもう使い物にならない。部屋前に行きドアをノックしました。しばらくするとネットで見た人が出てきました。状況はおかしいですが日本代表に会えて素直に少し嬉しかったです。でも伝えるべきことは伝えなければ「すみません静かにしてください」ドスーーーン。思いっきりドアを閉められました。驚きすぎておしっこが出そうになりました。すぐ隣が自分の家だから着替えは大丈夫という冷静さはもちろんありませんでした。そして少ししてからすごく悲しくなりました。自分が気にしすぎなのか。。

部屋に戻って内鍵を閉めた途端、先ほどまでの恐怖がかき消え、恐怖に圧倒的大差をつけられながらも確かに存在していた微弱な怒りが水を得た魚のようにむくむくと膨れ上がってきました。そのあとはライブもバイトもそっちのけでその人がこういい返して来たらこう返すみたいな独り言を何パターンも妄想して想像のその人に語気こそ冷静なもののロジカルに組み立てられた論述で徹底的に追い詰めこれまでの罪を償わせるまで許さない構えで糾弾していきました。最後は裁判に勝ってその人の死刑執行のボタンを押す3人の執行人に執行後のカフェで感謝を伝える場面まで行きました。

少し落ち着いてからその人の試合動画を見ていました。自分でも何してるのか分からなかったです。ハクション中西さんの共感できない男みたいなコントで災難に合った後に家でDVDを見るコントを思い出しました。怒ってても意外とこういう時間あるよなと、そのコントのおかげでこの時間の存在に気づけました。

感情は憤怒に満ちてるのに昔見たコントを想起するとか、ふと自分が終始状況を俯瞰してることに気づきました。喜怒哀楽の中の一番本人の意識が乗る怒りの最中ですら俯瞰して誰かの目線を気にしてる自分は誰の人生を生きてるんだろうと思いました。

動画のその人はめちゃくちゃ強かったです。マジで本当に強くて。実況の人も「力持ちですね~」と舌を巻いていました。屈強な男が集まる格闘技の世界で、力持ちと称される価値は相当なものです。動画を見ながらふと、なんかすごく、社会的に称賛されている人物に憎悪を抱いている自分が間違っているように思えてきました。この人は日の丸を背負ってる。国を背負った人間がベストパフォーマンスをするためなら部屋の騒音くらい許されるべきだ、そう国民が叫ぶ声が聞こえました。少年野球で4年生の時、僕は6年生のエースに何故か嫌われてしまって試合でその子が活躍するたびに父兄やチームメイトが祝福するなか自分だけ同じように喜んでいいのか複雑な感情になって拍手の強さを少し弱めていたのを思い出しました。お前はこの幸せに入ってくんなと言われそうな気がして怖かったです。

世間がイメージする内容と違うものを自分だけが孤独に抱えている時、人はかなりのカロリーを消費すると思います。自立した意見を持つには思いと覚悟が必要でその二つはできるだけ群れで生活しようとする人間の行動原理に反するハードな行為です。大企業の内部告発もこういった精神疲弊から逃れようとする自然な心理から生まれるもので、正義という美しい理由だけでは行動まで至らないと思いました。社会の認識は民意であり全体が都合のいい方に決定されています。その大きな正解に異議申し立てるのはその集団全員に異論を唱える行為になります。もちろんスポーツは日本代表として世界で活躍してほしいと嘘偽りなく思っています。しかし公共物の使用においては社会の位置づけに関係なく平等であってほしいと願っています。

年収150万以下より




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