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感情の断末魔

本音が実際の会話で聞けることはほとんどない.しかし時に強く感情が揺れ動いた瞬間だけ思わず本心を口にする反射的な心の叫びがある.少女漫画で憧れの先輩が恋敵に奪われそうな場面.普段は内気なヒロインが咄嗟に「待って!」と2人の手をほどく.これを感情の断末魔と呼ぼう.

大学院2年生の頃、学会発表で秋田大学へ行き、その帰りの東北新幹線で研究室の同級生と少し遅い昼ご飯を食べていた.季節は木枯らし吹く秋の暮れ.まさか就職しないままこの年の寒気に触れるとは.身の震えが寒さなのか未来への不安なのか分からなかった.

その友達は僕の進路をよく気に掛けてくれていた.
「ハットリは就職すすんでるの?」
「いや、もういいかなってなってる」

当時の僕は絶望の淵に立たされていた.
他の学生は3月には就職を終えていた.しかし僕はと言えば一向に企業から貰い手が見つからなかった.保健所で殺処分される子犬の様に相手の慈悲心に訴えかける目で面接官を見つめても拾うのは決まって隣の東大卒エリートドーベルマンだ.

6月の初夏.うだるような熱気と共に内定を得ることなく僕は遂にリクルートスーツを脱いだ.脱いだというとプロ野球選手が昨シーズンでユニフォームを脱いだに倣った満了感を匂わせているが僕の場合は(まだ着てなきゃいけないのに勝手に)脱いだ、というステルス括弧がある.

最後と決めた企業から合格者に送る内容でないことが一目瞭然で分かる簡素なメールを見てうすうす気づいてはいた事をより克明に実感した.「あ、おれ普通の人と違う人生になるかも」

続けて友達は言う
「就活指導の先生がまだいける企業あるって言ってたよ?」
「うん..」
「一応ハットリの為に紙だけもらったから研究室帰ったらあげるわ」
「いやもうさぁ最後まで就職しない感じで行こうかな」
「なんでだよ!まだ間に合うんだから受けてみなよ!」

僕はその当時「就職しない」という非行に若干自己陶酔していた.反抗期すら経験しなかった僕にとって人生初の外道な生き方.僕の一挙手一投足が気になっているだろう.僕の就活体験記は集英社で出版され後に4度の重版がされるだろう.何より他人がちやほやと気に掛けてくれるのが嬉しかった.

でもやっぱり怖かった.
就職しないとどうなるんだ?同級生と同じペースで人生のイベントを経験できなくなるのか.入社式、会社の何期入社、違うくなるのか、、?その時自分はその状況を受け入れられるか?後々発狂しないか?電車を止めないか?

学会発表も終わったことだし.
どうしよう、もう一回就活やろうかな・・?

心の中で暫しの葛藤を経た後、先ほどの会話にアンサーを返すには時間が経ちすぎていることも十分承知の上で僕は言った.

「うん、やっぱり受けてみようかな・・・?」

すると友達はシートから背中を起こし弁当を持ったまま僕に体を向けて言う
「え!受けんの!?」

一瞬の静寂が場を支配した.
二人にとって無限の時間に感じられる長さだった.彼のまん丸に見開いた目玉はさっき食べた弁当の梅干しを連想させ不覚にも僕の口に唾液をためた.

「え・・・どっち?」

何となく相手の魂胆を見透かしてはいたが一応半笑いでコミカルに真相を聞く.

反射的に本音を言ってしまったことで何かの役から降りたように急にくだけた感じで僕に言う.
「いや正直言うと、ハットリの場合もう最後まで就職しないほうが面白くね?」

最後まで就活しない奴を外から楽しむのは卒業までの退屈しのぎになる.

相手の意表を突く答えは反射的に本音を引き出す.そしてそれを糸口に真意に迫れることを経験した.

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