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おにぎり温めますか?

「おにぎり温めません」

とプリントされたTシャツを着て生活しようかと考えている.
「おにぎり温めますか?」の質問に「本当にそう思うかい?」と返したくなる.毎回「大丈夫です」と返答する時間を人生で合算すれば膨大なロスタイムが生まれる.審判がピッチ外から数字の表示された看板を高々と持ち上げる.「アディショナルタイムが出されました!アディショナルタイムは45分!丸々もう一試合!」

このロスタイムがなければ、大事な人が飛行機で旅立つあの日に空港へ間に合ったのかもしれない.部活の試合でマイクロバスに乗り遅れなかったかもしれない.まさに今、目の前で赤になった信号を渡れていたかもしれない.

「人生で通算すればトイレの時間って3年間あるらしいですよ?」みたいな面白雑学で話を膨らませようという魂胆はない.これは実生活に迫る万人に共通の課題.世界全体で考える17の課題に入ってたと思う.

「常温で十分うまい」に対し「でも温めた方がうまい」が合いの手の様に返答されるのは端から承知.温める側は異口同音にこれを主張.うまいは個人による価値観の為、この二択で議論が白熱すれば言葉巧みな弁論者がいるチームに軍配が上がることは目に見えている.

僕は温めてほしくない.その理由を明確にここに残す.
理由は食べ物に人の手を介すプロセスを加えたくないからだ.おにぎりは恐らく工場で機械で作られているだろう.工場内は殺菌済みとはいえあまたの工程を踏んで陳列されているおにぎりは微視的には様々な不純物を含んでいる.そういった考えても考えきれない不安が神経を尖らせ、自分でレジに持って行ったおにぎりを他人がつかみレンジに入れ温めるという行為にすら敏感に嫌悪感を抱くようになった.人の手が自分の食べ物に触れるのを見るや「ちょっとまったぁー!」とねるとんパーティみたく挙手したあと小走りで駆けよって「指一本触れさせない」とバトル漫画の主人公がヒロインを悪の手下達から守る時の様に阻止したい.

潔癖ではない.半年掃除をしてない.自分の汚れなら気にならない.これはマザコン性質に起因しているらしい.ママの母乳で鼻うがいしてるけどそんなに変?

とにかく既存の状態から手を加える行為が受け付けない.ゆえにマイ調味料というものを持ち出し塩や七味でカスタマイズする行為もこれに等しく忌み嫌う.カップ麺などに備え付の七味なら許せる.この状態に持ってくるまですべて機械がやったと信じられるから.しかしそこに自らの手で追加で七味を投下した瞬間「いてこましたろか?」と耳元でウィスパーしてやりたくなる.

「人のだからいいじゃん」
ちゃうねんなぁ、ちみぃ、じぇーんじぇん分かってへん.ええか?一緒の空間でメシくうてるっちゅうことは自分のちゃうくても目(めぇ)でそいつのくいもんは楽しんでるってことやねん.いわば目で食べてるっちゅっても過言ではないなぁ、おん.せやのにそんな意地悪されたらそりゃあきまへんわ、ほな、いてこましますさかい、ちょっくらがまんしてなぁ.ぐっさり.

頸動脈かっ切って噴き出す血液は七味の様に赤かった.ゆうてるばあいか.

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