子供から大人に

コロナが流行している今、5ヵ月ぶりに帰省をすることとなった。

今回の帰省で大人になる、ことを実感した。

事の顛末はひとつのジッポから始まった。

父に煙草を吸っていることがバレたのだ。

車から降りた瞬間にジッポが座席に落ち、父がそれに気づいてしまった。

僕は遠くからその様子が分かってしまい、もうどうとでもなれと思っていた。

時が来たのだろう、と。

煙草は吸わないと心に決めていた過去もあったが、その志は大学2年の夏に儚く崩れた。

元恋人の影響で。

話は元に戻り、きっと父から絞り上げられるだろうと覚悟をしていた。

しかし放たれた言葉は意外にも喫煙を認めるものだった。

「煙草を吸うなとは言えない。自分も吸っているし。それにもうそんなことで怒られる歳ではない。もうお前は自由なんだから」

だそうだ。僕はもう自由らしい。

特に縛られて育てられた記憶もないが、その日突然手綱から手を放された気がした。

これからは自由に生きれる。

親のしがらみを考えなくてもいいというのは心が軽くなるものだろうと思っていた。

しかしその言葉をいざ告げられると「責任」の2文字が重くのしかかってくるのを実感した。

煙草を吸うのは自由だが、体に害があるという自覚を持たなければならない。

自分の健康管理は自分でしなければならない。

煙草なんてものは序の口で。

これからは自分を律して、1人で生きていくことを肝に銘じる必要があった。

あれほど望んだ自由はひどく窮屈だった。

就活をしている今、社会人になることの重みはなんとなく想像が出来ているつもりだ。

お金は自分で稼ぎ、自分で管理し、自分の裁量で使う。

新卒の手取りの少なさに怯えている僕には父の言葉が恐怖の追い討ちでしかなかった。

それでも生きていくしかない。

誰しもがそうやって日々を過ごしているから。

自分にも同じことが出来るだろうか。

生活費を賄い、貯金をして、車を買い、家庭を持ち、家を買う。

それをこなしてしまう両親はなんとも偉大な存在であるのだ。

自分もそうなりたいと思うのは難しいことではなかった。

その姿は格好いい。

輝いて映った。

両親から、世界から、解き放たれた。

自由になった。

同時に自らの全ての責任を負う。

当たり前のことと思えたのはやはり両親の育て方が素晴らしかったからだろう。

人生の細かな設計は出来ていないがこの「自由」と「責任」の組み合わせを忘れずに生きていこう。

それに則り人生を全うするのが両親への恩返しにもなりうるだろう。

生きるとはそういうことだろう。

父親と共に味わう煙草は格別だった。

消えゆく煙を見ながらその日僕は大人になった。

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