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【LA備忘録】「映画の都、Hollywood」という認識は正しいか?

Hollywoodは、映画撮影の中心地といわれることがよくあります。
たとえば、最近読んだみずほ産業調査 Vol.69の注22には「「ハリウッド」とは、米国カリフォルニア州ロサンゼルス北西部の地区。多くの映画撮影所が集中する米国映画製作の中心地である。」と書かれていました。はたしてこうした認識が正しいのか、これが今回のテーマです。

なぜLAに映画業界がやってきたのか

陽光?

まず、「映画の街、Hollywood」という認識が生まれたのかを辿る前に、なぜLAにおいて映画業界が花開いたのかを考えますと、映画が発明された最初期は、映画の多くはNew Yorkや近傍のNew Jersey等で撮影されていましたが、冬が寒く、天候も悪いため、温暖で晴れた日が多い土地が求められており、晴天が多く、温暖なLAは当時映画撮影に最適だったことがあります。

エジソンからの逃避?

また、よく言われることですが、映画業界を牛耳って高額な特許料の支払いを求めてくるエジソン陣営(Motion Picture Patent Company)の影響力から逃れるため、という理由もよく語られています。内藤篤『ハリウッド・パワーゲーム』(1991)で触れられているように、エジソンはキネトグラフ(撮影用カメラ)とキネトスコープ(フィルムを見る装置)の特許を取得し(1891年)、いくつかの映画に関連する重要な特許を保有しているほかの者たち(バイオグラフ社等)とパテントプールを構成し(1908年)、コダックからの生フィルム提供をライセンシーのみに限定するなどして独占を図っていました。(このパテントプールはDOJから独占禁止法(シャーマン法)違反の訴追を受け、1918年に違反が確定し、その後この業界から力を失っていくこととなりました。)
内藤先生はLAに映画会社が進出したのはどちらかといえば前者の陽光に理由があったとしていますが、いまだに後者の「神話」も語られているところです。

「Hollywood=映画」のはじまり

上記の理由からLAが映画の街になったことは説明できますが、LAの中でもとりわけHollywoodが映画の街とされるようになった歴史を振り返ってみます。

Hollywoodとは

まず、Hollywoodとは、という前提をみてみますと、HollywoodはもともとLAとは別のHollywood市でしたが、水道施設や下水施設のニーズから1910年にLos Anegeles市と合併して、Los Angeles市の一地区(district)となりました。
現在のLA市のMapが以下のとおりです。Hollywood(オレンジ色)がDowntown(ピンク色)から北東に少し離れた位置にあることがお分かりいただけると思います。(ちなみに、UCLAがあるのがWestwoodです。これはHollywoodよりもさらにDowntownから西に離れている郊外であることがわかります。また、薄緑のBeverly Hills、Burbank、Santa Monica、Culver City等はLAとは別の市となっています。)

https://ontheworldmap.com/usa/city/los-angeles/

1880年代には、単なる農地・牧草地であり、やや開発がすすめられた1903年の段階でも人口は700名程度であったといいます。("Hollywood: The Movie Lover's Guide: The Ultimate Insider Tour of Movie L.A." pp.1-2)

LAの最初期の映画製作

LAで撮影された最初の映画は、シカゴで映画プロダクション会社を経営していたWilliam Selig(1864-1948)が1908年に公開した”The Count of Monte Cristo”(モンテ・クリスト伯)とされています。このとき、Downtownのオリーヴ・ストリートに室内セットを作り、野外シーンはSanta Monicaで撮影したとのことで、Hollywoodとは無関係でした(海野弘『ハリウッド幻影工場』(2000)16頁)。さらに、1908年、Seligは映画監督のFrancis Boggsとともに、LAのEdendale地区(現在でいうEcho Park)にスタジオ施設を設けました。これまた、Hollywoodと映画は関係を持っていませんでした
(なお、"Hollywood: The Movie Lover's Guide: The Ultimate Insider Tour of Movie L.A."は、LAへの映画業界進出の最初期はHollywoodではなく、DowntownとHollywoodの間にあるEcho ParkやLos Feliz近辺に映画人が集ったことから、これらの地域を"The Original "Hollywood""と呼んでいます。)

これにやや後れて1910年、D.W. Griffithが、Biograph Companyを率いて、Grand AvenueとWashington Streetの箇所(Downtown)にスタジオを作り、1911年にはDowntownの南側に移ったようです(”The New Historical Dictionary of the American Film Industry” (1998) 22頁)。したがって、1910年の時点でもHollywoodと映画は関係を持っていなかったといえます。

Hollywoodへのスタジオ進出

Hollywoodに最初にスタジオができたのは、1911年の(New Jerseyの映画会社のThe Centaur Film Co.の西海岸のプロダクションである)The Nestor Film Company(ネスター社)のスタジオがはじめてのようです。したがって、このネスター社がはじめてHollywood映画を作った、ということになります。(ネスター社は翌年の1912年にドイツ系ユダヤ人のCarl LaemmleのUniversalに買収されます。)

そして、そこから時間を置くことなくその時期にHollywoodには多くのスタジオが立ちどころにできたようです(以下で詳述するUniversalのスタジオ等)。映画関係者が集まったこともあり、1903年には700名程度だった人口が、1920年には36,000名にまで膨れ上がっていました。こうした異常なHollywoodへの映画業界の集中とそれに伴う熱気により「Hollywood=映画の都」という印象ができあがったのでしょう。

メジャースタジオはHollywoodにあるか?

かつては、5大メジャースタジオ(MGM、Paramount、Warner Bros.、20th Century Fox及びRKO)と三大ミニメジャー(Columbia、Universal及びUnited Artists)といわれましたが、その後やや勢力図が変わり、現在では、(Columbiaを買収した)Sony、Paramount、Warner Bros.、Universal及びWalt Disneyが5大スタジオとされています。これらのスタジオを取り上げ、映画製作スタジオがどこにあるのか、またはあったのかを見ていこうと思います。

なお、United Artistsは、Chaplin、Mary Pickford、Douglas Fairbanks及びD. W. Griffithが、自らのスタジオ等で作った映画を配給させるための配給アームとして作った配給会社なので、スタジオを持っていませんでしたので、ここでは論じません。

Paramountの場合

ハンガリー系ユダヤ人のAdolph ZukorによるFamous Players Film Company(Paramount社の源流)は、1915年にHollywoodのMelrose AvenueにFamous Players Fiction Studiosを設立します。(これは現在のRaleigh Studiosです。よく見るとギリギリHollywoodの外のようにも思えますが、道隔てているだけなので、目を瞑ることとしましょう。。)なお、そこで撮られた最初の作品の主演女優は、最初の映画スターの一人といえるMary Pickfordでした。

その後Paramountが作り、現在でも利用してるスタジオもHollywoodのMelrose Avenueにあります。Paramountは一貫してHollywoodのスタジオであるといえます。

Warner Bros.の場合

ポーランド系ユダヤ人であるワーナー兄弟が、ピッツバーグで映画配給で成功したものの、エジソンのジェネラル・フィルムの買収攻勢に遭い、売却し、西海岸へとやってきたことがWarner Bros.の発端でした。1919年にHollywoodのSunset Boulevardの農地を買い、最初のWarner Brothers Studioを建てました(これが現在のSunset Bronson Studiosです。)。

ワーナーは、1925年にGoldman Sachsからのローンで全米の配給網を擁するVitagraph Studiosを買収し、トーキー映画(特に1927年のThe Jazz Singer)で成功し、トップスタジオの仲間入りを果たします。
Vitagraph Studiosは、1911年にSanta Monicaにフィルムスタジオを建て、その後1913年にLA市内のLos Feliz地区にフィルムスタジオを移しました。そのスタジオは、その後The Warner East Hollywood Annexとして、1948年にABCに売られるまで利用されていました(なお、現在もthe Prospect Studiosとして生き延びています。)。
映画The Jazz Singerは、もともともっていたWarner Brothers StudioとThe Warner East Hollywood Annexのいずれも撮影に使われたようです。

1928年、その当時巨大スタジオであったFirst Nationalの株を、William Foxと争って得て、WarnerはFirst Nationalを手中に収めました。そのFirst Nationalが保有していたスタジオが、Burbank市に所在する現在のWarner Bros. Studiosです。

したがって、Warnerは最初にHollywoodにスタジオを作ったことを除けば、LA市外のBurbankに本拠地を構え、LA市内ではあるものの、他地区であるLos Feliz地区のスタジオも併用していたことから、基本的にはHollywoodのスタジオとはいいづらいところです。

Universalの場合

ドイツ系ユダヤ人のCarl Laemmleは、上映、配給の世界から身を起こし、1909年に映画の製作を開始しました。
彼は、ネスター社がHollywoodに到着した翌年の1912年にHollywoodに進出し、ネスター・スタジオの向かいにスタジオを建てました

ただ、Carlは、1914年にSan Fernand Valleyの巨大なranchを買い取り、Universal Cityを作り、1915年にスタジオをオープンしました。それがUniversal Studios Hollywoodです。Universal Cityは、市制のないunincorporated areaとなっています(Universal Studiosの土地には一部LA市のHollywood Hills地区が含まれているようではありますが、実際のスタジオがある場所はUniversal Cityにあるようです。)。

MGM/Sony Picturesの場合

MGMは、オーストリア系ユダヤ人とドイツ系ユダヤ人の子としてニューヨークに生まれたMarcus Loewによって作られます。

MGM(Metro-Goldwyn-Mayer)の源流の一つであるGoldwyn Picturesが1918年にTriangle Studiosを買収し、(LA市外の)Culver Cityにあるスタジオを手に入れました。その後、1924年にMGMの発足により、MGM Studiosとなりました。ただ、MGMは1969年にこのスタジオを手放しました。

その後紆余曲折を経て、MGMスタジオは現在Sony Picturesの本拠地となっています。

なお、Goldwyn PicturesのSamuel Goldwyn(当時はSamuel Goldfish)は、1913年にCecil B. DeMilleとJesse Laskyとともに、The Jesse L. Lasky Feature Play Companyを作り、Hollywoodに移り、Hollywoodの最初の長編映画である"The Squaw Man"を撮りました。

Walt Disney Productionsの場合

Walt Disney(1901-1966)は、1923年の夏にカンザスシティからHollywoodに来て、1926年にLA市内のSilverlake地区にスタジオを構えました。その後、規模の拡大とともに、1938年に現在のBurbankに移りました

20th Century Studiosの場合

2019年にWalt Disney Studiosの傘下に置かれるまで、メジャースタジオの一角とされていたのが、20th Century Studios(旧20th Century Fox)です。

ハンガリー系ユダヤ人であるWilliam Foxは、興行で成功したのち、ニューヨークで配給会社を始めます。 このFox FilmとUnited Artistsを出たJoseph SchenckとDarryl F. Zanuckの率いるTwentieth Century Picturesが1935年に合併してできたのが20th Century Foxです。

1926年にFox Filmが、LA市のCentury City地区(上記LA市地図の2番)のranchを買い取って作ったのが現在も使われているFox Studio Lotです。なお、1961年に経営危機にあった20th Century Foxは一部土地を売り、現在のCentury Cityの再開発の元となりました。なぜかはわかりませんが、Century Cityには有名なローファームがかなり多くオフィスを構えています。

なお、Fox Filmは、Fox Studio Lotに先立って、1917年にFox StudiosをHollywoodを少し外れたEast Hollywood地区にオープンさせており、もともとはこちらが本拠でした。1935年代の合併とともに、Fox Studio Lotに本拠を移したようです。スタジオがなくなったあとも、この地には、William Foxが創業したDeluxe社のフィルムラボが残りましたが、2014年にはそのラボは閉鎖され、現在はNetflixのオフィスが置かれています(NetflixのWeb記事参照)。

RKOの場合

かつてのメジャースタジオで、現在はもう存在していない唯一の会社がRKOです。
RKOが本拠地としていたのが、現在のthe Culver Studiosです。こちらも名前の通り、Sony Picturesのスタジオと同様、(LA市外の)Culver Cityに所在しています。このスタジオは1918年に建てられ、1924年にCecil B. DeMilleが買い取り、1928年にRKOが取得しました。その後、『キングコング』、『市民ケーン』がここで撮影されました。

なお、このスタジオは、Amazonにリースされ、Amazon Studiosの拠点となるようです。その他にも、HBOやAppleがCulver Cityに拠点を構えるようで、今後エンターテイメントの(古くて)新しい中心地としてCulver Cityが注目されることになると思います。

Republic Picturesの場合

上記のメジャーやミニメジャーには名前は上がっていませんでしたが、John Wayneの監督する西部劇の製作で有名だったスタジオとしてRepublic Picturesがありました。同社が保有していたRepublic Studiosは、LA市内ではありますが、Hollywood地区ではなく、Studio City地区に所在しています。

その後、ParamountグループのTV局であるCBSが取得し、CBS Studio Centerと名前が変わりました。なお、スタジオにはその名前が付いていますが、CBSはこのスタジオは近年手放したようです。

小括

では、メジャースタジオはHollywoodにあるのか、あったのか、を総括しておきますと、Paramount がずっとHollywood内に本拠地を置いていることやUniversalやWarnerが最初のスタジオをHollywoodに作ったことを除けば、意外とHollywoodの歴史の初期からメジャースタジオはHollywoodの外にスタジオを構えていたことがわかります。

さらにいえば、Universalは市制外のUniversal Cityに、Warner及びDisneyはBurbank市に、Sony PicturesはCulver Cityに本拠地があることになりますので、Paramountを除く5大メジャーの映画撮影の本拠地は、Los Angeles市にさえありません

手書きで恐縮ですが、Hollywoodと有名どころのスタジオの位置関係が以下の通りです。(なお、家マークが私の自宅があるところで、カバンマークがUCLAです。。笑)

年表もまとめてみると以下の通りです。

映画の都LAに吹く逆風

これまでの記載から、Hollywood映画というものは、厳密にはHollywood地区だけでなく、LA市やその近傍に本拠地を置く映画会社によって作られた映画のことである、ということが分かったと思います。そうした広い意味での「Hollywood映画」すらも脅かす存在があります。それがNY拠点の独立系映画会社と新たな撮影拠点としてのジョージア州の存在です。前者が配給機能の拠点であるHollywoodのライバルであり、後者が実際の映画撮影場所としてのHollywoodのライバルといえます

独立系の映画会社の隆盛

WeinsteinのMiramax及び退社後のThe Weinstein Companyは多くの独立系映画の製作と配給を手がけました。MeTooムーヴメントによってWeinsteinが退場したと同じころに独立系として浮上してきたのがA24です。A24は、"Hereditary"、"Lady Bird"、"Moonlight"及び"Everything Everywhere All at Once"など近年の有名作を多く配給・製作しています。

これらの独立系映画会社は、本拠地をニューヨークに置いていることが共通しています。(なお、MiramaxはDisneyに買収された後の2010年にBurbankに本社を移転させられています。)

なお、カナダ発の映画製作・配給会社であるLionsgateは、現在はLA近傍のSanta Monicaに本拠地を構えています。

ジョージア州の隆盛

近年、ジョージア州の積極的な映画誘致も相俟って、ジョージア州アトランタが新たな映画の都となっていると指摘されています。(映画のエンドクレジットに出てくる「桃」のマークがその証拠ですが、あれを出すのは追加の税優遇を受けるためです。)マーベル作品を始めとする映画だけでなく、ドラマの有名なものもジョージア州で撮影されているものが非常に増えています。その意味で、映画撮影の拠点としてのHollywoodの名声は失われつつあるといえます。

LA旅行者のためのtips

Universal Studios

Universal Studioは、映画スタジオだけでなく、アミューズメントパークも兼ねており、パークに入場すれば、追加料金なく、スタジオツアーを楽しむことができます。
『Back to the Future』が撮られた街並みに加え、『Psycho』のモーテル、『宇宙戦争』の墜落した航空機、『NOPE』の遊園地等が楽しめます。ただ、普通のスタジオツアーに参加しますと、移動車に乗って移動するだけなので、かなりざっくりとしたものにはなります。ただ、その移動車に乗ったままいくつかのアトラクションを味わえるので、映画にそこまで興味がない人はむしろいいかもしれません。
なお、パークのなかには、さまざまなアトラクションがあり、また、日本のUSJと同様に、ハリーポッターの世界を再現した箇所がありますので、ハリーポッターファンにもおすすめです。(ハリーポッターはWarnerの製作ですが、借りてきています。。笑)

Warner Bros. Studios

クリストファー・ノーランの多くの作品などはここで撮られているようです。Universal Studiosに比べれば、カートから出てスタジオにある建物の中に入ったりしてゆっくり見学ができるので、スタジオがゆっくり見てみたい人におすすめです。ドラマ『フレンズ』や『ビッグバンセオリー』の撮影地としても有名なようで、そのファンの聖地でもあるようでした。『フレンズ』のグッズが買える店やドラマに出てくる噴水といった撮影スポットがあるので、ファンはぜひ行くことをおすすめします。
また、ハリーポッターやDC映画関連の展示がいくつか置かれているので、ハリーポッターファンにも楽しい場所だと思います。

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