【LA備忘録】1930年代のHollywoodとルーズヴェルト政権
前回のLA備忘録でHollywoodのスタジオの歴史を振り返ってみましたが、その中で、Hollywoodのスタジオ業界関係者がどのように政党政治にかかわったのか、という点に興味が芽生えたので、あまり脈略はありませんが、1930年代に絞っていくつかの政治的事象とそれに対するハリウッド側の対応・働きかけを簡潔にまとめてみようと思います。
前回の投稿が前提になっている部分もありますので、やや長いですが、興味があればこちらご覧ください。
1932年の大統領選挙
1920年代は、ハーディング、クーリッジ、フーヴァーという三人の大統領を共和党が続いて出した共和党の時代でした。そして、1932年の大統領選挙がやってきます。共和党は現職のフーヴァー、民主党はフランクリン・D・ルーズヴェルトが候補者でした。
フーヴァーと昵懇だったのが、MGM社長でロシア系ユダヤ人のLouis B. Mayerでした。MGMを作り上げたMarcus Loewは東海岸を離れたくなかったため、Louis B. MayerがMGMの指導権を握っていました。
これに対して、RKOを率いるJoseph Kennedy(ケネディ元大統領の父)は、1932年の大統領選において、ルーズヴェルトへ資金援助を行った上で、新聞王William Randolph Hearstを支持に引き込む等、ルーズヴェルトの勝利に貢献しました。しかし、アイリッシュ系の彼は、反ユダヤ主義の思想の持ち主であり、イギリス嫌いもあってかナチス・ドイツ贔屓でしたし、アメリカの孤立主義の重要性を信じて疑わなかった人でした。彼は愛国心が強く、当時駐英大使を務めていた当時、米国を辱めるという理由で、コロンビア映画のフランク・キャプラの『スミス都へ行く』(1939)がヨーロッパに輸出されることを批判したこともありました。
また、Kennedyとは全く異なる立ち位置からではありますが、ポーランド系ユダヤ人であるWarner Brothersの長兄Harry Warnerも、もともとは共和党支持でしたが、ルーズヴェルトの選挙キャンペーンに協力しています。これは、ナチスの台頭に対する危機感があったものと推察されます。(その後、彼らは、第二次世界大戦で、マイケル・カーティスに戦意発揚映画を撮らせていくことになります。)
ルーズヴェルト政権とハリウッドの蜜月と崩壊
内藤篤『ハリウッド・パワーゲーム』が詳しく記載していますが、ルーズヴェルト政権は、ニューディール政策の下で、1933年の全国産業復興法(NIRA)により、不況カルテルとしてハリウッドの競争制限的・独占的な不公正な取引慣行を許容し、ハリウッドと政権の蜜月関係が始まりました。
しかしながら、1935年にNIRAは連邦最高裁により違憲とされ、業界慣行は再び適法のお墨付きを失います。そして、1938年にルーズヴェルト政権のDOJはハリウッドのメジャースタジオ相手に独占禁止法違反の訴追を開始しました。この訴追によって、結びつきは崩壊したとみるのが一般的です。
しかし、内藤先生は、前掲書で、その蜜月関係は終わっていないではないかとみているようです。Warnerは、1939年に"Confessions of a Nazi Spy"を公開するなど、反ナチス映画の製作を進めており、その裏には、両者の関係は続いていたのではないかという可能性を示唆しています。
また、1938年に訴追が始まったものの、日米対戦の開戦などもあり、上映と製作・配給の分離という一番の狙いは果たせず、多くの慣行はそのままになっていたようです。この裏には、反ナチス映画や戦意高揚映画によるハリウッドの政権への協力があった可能性は否定できません。なお、反独占の動きが再び強まるのは、終戦を待たなければいけません。
ルーズヴェルト政権下のHearstとMayer
Hearstは、経営するCosmopolitan Productionsから"Gabriel Over the White House"(『独裁大統領』)を1933年に公開しました。これは、腐敗した政治家である大統領が、交通事故に遭って人格が一変し、独裁的に奔走して政治を変えてしまう、という話です。村田晃嗣『大統領とハリウッド』24頁に触れらているように、事故に遭うまでの腐敗した大統領の姿は1920年代の共和党の大統領に重ねられており、ルーズヴェルト新大統領による政治の再生を期待した応援映画であるといえます。(配給したのはMGMでしたが。)
しかし、そのHearstは徐々に保守化し、ルーズヴェルトから離れていくことになります。その重要な局面を描いているのが、David Fincherの『Mank/マンク』です。
この映画で描かれるのは、名作『市民ケーン』がどのように生まれたのかであり、いわばハリウッド内幕ものですが、重要なキーになっているのが、1934年のカリフォルニア州の知事選です。カリフォルニア州の知事選で民主党の候補となったのは、(映画"There Will Be Blood"の原作である”Oil”の作者として知られる)Upton Sinclairでした。これに対して、共和党側候補を支持するのはMGMのLouis B. Mayerで、彼は有権者がSinclairに投票しないようニュース映画を使った政治運動を繰り広げ、時にはフェイク・ニュースも駆使して、共和党候補へ投票するように促しました。この動きに徐々に保守化していたHearstも加わることになりました。
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