1/17 稽古記録

1/17 H-TOA「ガリレイの生涯」稽古 14:40-19:00 参加者:峰松、里見、朝比奈、蜂巣 14:40-15:40

マッサージ、筋トレ(体幹歩き、虫、大瀧ジャンプ、すり足移動)

15:45-16:50

蜂巣さんとお話 どうすれば、どんな演劇ですか?と言われた時に上手くいいえれるか。

16:50‒18:40 ガリレイの生涯をどう扱うかを考える、読んでみる。

稽古での決定事項や思案 蜂巣さんは、俳優が生理感覚をどう扱い、意識化して、表現としてコントロールするかという問題 意識をもち、そしてそれを上手く使えるための枠組み作りを蜂巣さんは戯曲を通して行っている、 と理解しました。 里見さんはそもそも生理感覚、感情などなく、自分自身は言われた目的や行為を行うだけである という考えを持っている。おそらくこれは俳優の意図を嫌う性質から来ているのかもしれないと 私は思った。それゆえに?のちの稽古でしっくりこない状態が続く、自分の意図に基づいて動く 言うということに違和感があるようだった。クオリティを保証できないということだった。では 何故他の方法はクオリティの保証ができるのか。決められた動きだからだろうか。即興的である ということはクオリティの保証を落とすということなのだろうか。 後半は長台詞を文節に分けてそれを体として表現してみるということをした。見立て(ジェス チャー)と振り付けによって、演劇っぽさとダンスっぽさが分かれるということがなんとなくわ かった。 表現において、物語以外の部分で何が面白いと感じるのか、という問いを抱えることとなった。 動きにおいて新しい動きなどもう存在しない、では何かを掛け合わせるのかといっても掛け合わ せた物自体、コンテンポラリーダンスのようになってしまう。今となっては動き自体もコンセプ チュアルになっていくのか。。

作品の基本方針として、過去歴史物語など既存の大枠にとらわれつつ存在している私たちにとって それに真っ向から向かうよりも別角度からの視点や新たな見地を挟むことによって少し希望が持 てるのではないか。というのがある。 超ざっくりいうと、既存概念を疑い直して新たに組み立てようということで、それが誰かの救い になるかもしれない、ということである。

次回への考察や課題

次回は身体に関して少し整理できたらいいなと思う。

あと面白いということはなんなのか。

引き続き、劇言語と劇身体とはどうあるべきなのか。


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