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私はなぜ小説なんだろう

 私はなんで小説というジャンルを選んでしまったんだろう。昔から別にそんなに本を読むのも好きだったわけじゃなかったし、むしろ昔はお絵かきをする方が好きで、親にも絵が上手いねとさんざん言われた。絵の道に行くと思ったと言われたこともある。でも、私は言われるほどそこまで上手くはなくて、ただ見たものをそのままに近い状態で描けるだけだった。頭の中だけで描いたものは描けず、理想とは程遠いかたちで紙の上に具現化された。だからきっと、センスないんだろうなぁと早々に諦めた。それでもイラストを描くのは好きだったから、物語も絵も描けるから漫画家なんてどうだろうと思った時期もあったけど、結局想像したものを上手く絵に描き落とせないのだから同じことだった。

 小説に至った詳細は、正直あまりよく覚えていない。なんで書こうと思ったのかも、なんで書けると思ったのかも。学生の頃に書いた作文の類いも下の中くらいの筆力だったし、文章を書くことは課題だったからやっていただけで、特段好きでもなんでもなかった。実際、書き始めた当初はまったく人に見せられないレベルのお粗末な文章で、作品を最後まで書き上げたことは一度もなかった。最初のころはたぶんそれでよかったし、楽しかったんだろうな。今はむしろ、書くのがちょっと辛くなっている。いつから楽しくなくなってしまったんだろう?なんで、書くことが怖い、辛いと思う瞬間が生まれてしまったんだろう?未だに多くの物語は私の頭の中で膨らむだけで、一度もこの世に書き落とされずに消えていく。こんなんだから、私はきっと小説家にはなれないだろう。それでも、やめられないのはなぜだろう?

  絵も漫画も、一目でパッと人を惹き付けて、読んでもらいやすい。正直私も絵や漫画の方が好きだし、心惹かれる作品の方が多い。それでも、私は小説を選んだ。大学時代、あまりにも小説の文章が書けなさすぎてシナリオに進路変更しようかと一時期思ったけれど、結局はまた小説を書いている。教授に何が書きたいかと訊かれて、「シナリオです」と答えたにも関わらず、私は今、小説を書いている。小説で生きたいと思っている。なんで?なんで小説なんだろう?文字なんて大体、人の目からは滑り落ち、簡単には意味を理解できない。なのに、私は小説を書いている。小説を望んでいる。頭の中で描く物語も、文字ではなく映像だ。それでも、その映像を文字として、文章表現として落とし込もうとしている。私は私の表現を作り出したいと思っている。文章で。考えても考えても、答えが出ない。近々、私は小説を書くのをやめる日がくるだろう。それでもまた、結局は何年後かに小説を書いているような気がする。だってそれはきっと私の人生の全てで、唯一の希望で、うまく言葉では表せないけれどかけがえのないものだと思うから。こんなことも言葉に尽くせないからきっと、私は小説がいっこうに上手くならないのだ。でも今はそれでいい。これからもっと上手くなれると信じてるから。

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