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『Trip』の幻想性〜音, 詩, 演出を通して〜

名曲である。順を追って見ていく。

ASKAによる圧巻のスキャットの後、Aメロに流れ込む。

摩天の森が呼吸をしてる
恋人達は呑み込まれて
レモンの月が落とす滴
素肌に浴びたい気もするわ

この部分ではまだバッキングは極力抑えている。コードを鳴らすキーボード(+ギター)と、2小節単位のリズムパターンを刻むベースとドラム。それも、ベースは1小節目の1拍目表+2拍目裏でルート音を鳴らし、ドラムは2小節目の4拍目でスネアを叩くのみ。最小限の要素である。

次にBメロ。

しゃらしゃら 涙も溜まらないうちに
また恋の迷路 手を引かれて行く

ここでベースラインが動きハイハットが刻み出される。永続性すら感じられるほど静かでゆっくりとした時間が流れていた先程とは雰囲気が打って変わって、サウンドがにわかに有機的な色を帯び始めるのだ。

この動きに、私は冬眠していた生物たちが徐々に目を覚まし生活の営みを始める様を、生命の息吹を連想するのだが、それは冒頭で出てくる「森」というワードが情景として残っているからだろうか。

「しゃらしゃら」という言葉の響きにドラムの細かい金物の音が重なるのもまた憎い。

サビに入る。

心の隅にある 守れない場所
言葉のやさしさで 崩れ始める

キーボードを中心とした透明感のあるサウンドに硬く鋭いギターの音色が加わるが、異質感はなく、不思議と溶け込んでいる。そして

そこからは 入れ替わる シルエット

ここで激しさが収まる。それはサウンド的なことだけではなく、ASKAの歌声もまた然り。「そこからは」で一気に柔らかくなる声色に、張り詰めていた緊張が解けていく安堵を覚える。

間奏については、BIG TREEツアーのバージョンを取り上げる。
|CGFE♭|DB♭GB♭|の2小節単位のユニゾンで基本的にはよく混じり合っているのだが、1小節目の高いGの音だけ二人の声質が全く違うのが判る。更に言えば、その前のCからの上がり方、次のFへの下り方も異なる。

このGの音の二人の声の重なりこそがチャゲアスのハモリの醍醐味だと思う。全く違う声質の二つの音がぶつかりつつもうまく融け合い、一つの新しいハーモニーを作り出すのである。

次に2番へ。

過ごした部屋は 星の近く
ガラスの小箱で 舞い降りた
はしゃいだ夜に 静かな朝
街の目覚めは 恋の眠り

2番のAメロでは1番と違ってスネアに加え金物のフィルインも随所に入れており、変化が見られる。

ところで、この「街の目覚めは恋の眠り」と『Love Affair』の「夜明けが近づけば恋も変わる」の二フレーズはニュアンス的に近いものを感じる。"その夜" にしかない恋。刹那的でロマンチックでもあり、危うくもあり。

生命体が息づき始めるようなBメロの動きについては1番で述べた通り。私の中では、この曲のテーマは「動と静」。

しゃらしゃら 愛さえ使い分けされて
擦り切れた弦を いたわりながらも

そして1番と同じ歌詞のサビを歌い上げ、ストリングスで奏でられる間奏に突入するのだが、この間奏での転調も劇的だ。息をもつかせぬ怒涛の展開である。

ちなみに、調の遷移や厚いストリングスの響きで変化を付けているこのオリジナルとは異なり、ライブではフルートのソロと3拍目にスネアの音を置くリズムパターンで見せ場を作っている。冷たく静謐な、澄み切ったフルートソロはこの楽曲の世界観そのものと言っても良いだろう。推進力のあるフルートと重さを出すドラムのコントラストが面白い。

間奏部分での演出についても触れておく。BIG TREEツアーにおける演出が高い芸術性を誇っているのは言わずもがな。ライトに光り渦巻くスモークの画はさながら闇夜に燦然と輝く月。夜の森に歩んでゆくASKAの後ろ姿を月が照らす様の美しさたるや……暗闇に呑みこまれた二人のシルエットが徐々に顕になる瞬間は鳥肌ものである。

間奏の後にサビをもう一度歌い、アルバムver.では最後にサンバを付してフェードアウトで終えられる。
(アウトロのサンバはライブではイントロとして使われている。余談だが、CATCH&RELEASEのトリッキーなアウトロからサンバイントロへと繋げTripが始まるライブ構成を初めて観た時は感嘆した。名案……!)

以上の通り、『Trip』は最初から最後まで幻想的かつ神秘的な香りを纏った楽曲である。一分の隙もない。ともすれば童話や子供向けのファンタジーにも見えかねない題材(ストーリー自体は官能的だが)を、美的な感性と巧みな音楽性でもって崇高なまでの美しさに高めている。

最後に、私がこの楽曲の中で一番好きな歌詞を抜粋したい。敢えて挙げるまでもない一節かもしれないが。

レモンの月が落とす滴
素肌に浴びたい気もするわ

真夜中、月明かりに照らされる少女。これほどに胸を打つ比喩表現があるだろうか。形をもたない「光」をリキッドな物体として捉えることで、月が放つ溢れんばかりの輝きを余すところなく描写している。

月をなぞらえるモチーフとして選ばれたのが「レモン」なのも合点がいく。水分を多分に含む果実に喩えられているからこそ降り注ぐ瑞々しい輝きがイメージされるのであって、数ある他の黄色い対象では表現し得ないのではないだろうか。

このフレーズは詩として秀逸なだけでなく、音への乗せ方もまた見事である。ここで、「詞(歌詞)」というものへの個人的な見解を述べたい。

「詞」と「詩」はテキストを用いる芸術という点では共通しているが、背景となる「音世界の有無」は両者を大きく分ける。歌詞は音に乗ることによって新たな存在感を放たなければならない。つまり歌詞というのは、音と言葉、旋律と意味が一体となって何かしらの情景や感覚を喚起してこそ価値がある。
単なる「事象の説明」ではなく、音の力を借りた「感覚の描写」こそが、歌詞という芸術形態なのである。

……というのを踏まえた上で、あの一節は(詩としてだけでも純粋に美しいが、それ以上に)旋律との一体化が素晴らしいのである。「音と言葉の結び付け方」言い換えれば「音と詩の融合」が抜群に優れているからこそ、「(歌詞の)意味」が明瞭に伝わり、切に胸に迫るのではないか。