自己の乖離 融解 分裂思考
太宰さんの"人間失格"を、中学生ぶりに読みました。
まだ私が今より少々まともだった頃。
記憶はあまりありませんが。
そうです。私も、恥の多い生涯を送ってきました。
誰に誇れるものもなく、ただ一点、大事な大事な愛だけを抱えて生きてきました。
きらきらの愛。
あなたに出会う前の私は、私じゃないような気がするのです。
ヒトの細胞は、およそ7年で全て入れ替わるそうです。
あなたに出会って、11月末には8年になりますね。
あの頃あなたに恋をした私と、今の私を形作るものは、何一つ同じでは無いのに。
それなのに、あなたへの気持ちだけは変わらず、相変わらず、すきなのです。
これって結構、すごい事だと思いませんか。
自分の器と精神を結びつけるのは、痛みしかないのだと、最近気づきました。
身体が傷つき痛むと、この器は私の入れ物だ、と認識できるのです。
時々己が分からなくなります。
ひとつの身体にはひとつの魂であるべきです。
私の中に、私を否定する自分がいるような気がして、ならないのです。
やる事なす事全てに文句をつけてくる、そんな自分の声で、私は度々前に進めなくなる。
理由のない焦燥感、何もしていないのに、何も出来ないのに、何かをしなければ、しなければ、しななければ、そうやって毎晩毎晩ぐるぐる回る思考の渦に巻き込まれて、眠れない。
いつか思考が止まる日が来るのなら、早く早く。
きらきらのいのち、輝くいのち、あなたたちが眩しくて、眩しくて、網膜を焼かれて、私に暗い影がおちて、何も見えなくなったとしても。
焼き付いたその輝きに、迷いながらも手を伸ばしてしまうのでしょう。
私のきらきらの愛たち。
眩しいいのちたち。
きっと、いつまでもきらきらでいてね。
そしていつか、その前に進まんとする確かな足取りで、私の事を追いかけてきてね。
人畜無害のもふもふのいぬになりたい。