ラブレター
随分と久しぶりにこのページを開いたような気がします。
また、誰に言うまでもない独り言を言いたくなったのです。
私は長生きするつもりも、前向きに生きていくつもりもありません。
ただ、私の感性が惜しいと言ってくれた、友人のために。
私はまた、自分の言葉を綴ろうと思ったのです。
きっと読みにくく、難解で、理解したとて益にはならぬと思います。
でも、私と同じ、人間の皮を被ったいきものの皆さんのために。
人の心を知っているけれど分からない、そんないきものの皆さんのために。
私は人類を愛しています。
それは信頼ではなく、個々人に向ける欲情でもなく、そしてこの思いは、等しく人類を嫌う感情と同居できると考えています。
言うなれば慈愛。簡単に言えばそういう事です。
私は人類の歩んできた道のり、歴史、文化、その全てを肯定します。
この今立っている地面の下、一体いくつのいのちがあったのでしょう。
地べたに寝転ぶと汚いと言われるのは、その下のいのちすら否定されているようで、少し悲しい。
私は全部全部模倣して生きているだけなのだと思います。
人間とは何か。人間の情動。呼吸、食事、睡眠、排泄、性欲。
私にはその本質が分かりません。
人間の群れに紛れるためにはどうすればいいか。
人間らしくあるためには。
全て、知識として知っているだけに過ぎないのです。
優しい人なら、こう答える。徳の高い人なら、こうする。
それを知っていて、それを真似ているだけ。
私は骨組みと肉の皮だけで出来た、からっぽのヒトガタなのだと思います。
見ないでください。がらんどうの私の中を、見られたくない。恥ずかしいのです。
人の形をとっているには少々飽きました。
この器では大した事が出来ません。
知りたい事が知れません。
私は人類を見ていたい。
その行く末を知りたい。
それは恐らく、この身体では叶わないでしょう。
私の今いる地点から、地球に適当に線を引いて、陸地の上で止めたとして。
きっとそこには人間がいるでしょう。そうでなくとも、いきものは何かしらいるでしょう。
その事実が堪らなく愛おしいのです。
宇宙の外から見たら取るに足らないこんな小さい星の中で、自分の中の世界だけを信じて生きているいきものがたくさんいる。
そうやって思いを馳せてみたら、なんだか悩みもちっぽけに思えてくるかもしれないですね。
種の保存というのが、いきものの最大の目的であろうと思います。
ただそれだけを一心不乱に続けるいきものもいます。
人類はそれを見て、「何が楽しくて生きているのだろう」などと言います。
自分の人生が無意味でなく、種の保存以外の何事かを為せると思い込み、他のいきものに指を指す人間の、愚かしさ。傲慢さ。
私はそういう人間にこそ、人間らしさを感じます。
全てはいつか無に還り、いきものは全て死に絶えるでしょう。
人類はそれでも、そんな日の事を思ったとしても、明日に進む事を辞めません。種の繁栄を諦めません。
全て無為だとしても、何もかも放り出す事なく、今日も文明を作っている。
私はそんな人類を愛しています。
100年前や、星の裏側、時と場所が違えども、その輝かしいいのちは変わっていません。
願わくば、最後まで、ヒトはヒトらしく在ってください。
すきです。愛しているのです。