橋本倫史と平民金子がぽつぽつ語る会
4月29日。テレビをつけると、情報番組が混雑する羽田空港の様子を映し出していた。緊急事態宣言の出ていないゴールデンウィークは3年ぶりということで、久しぶりに空港にも賑わいが戻っていると報じられている。その映像を見ていると、あの混雑に自分も巻き込まれることになるのかと少し憂鬱になった。午後になって羽田空港に到着してみると、映像で見たほどの混雑は見られなかったものの、保安検査場には長蛇の列ができており、僕が登場するスカイマーク109便は定刻より20分以上遅れて離陸した。
当初の予定では離陸から55分で神戸空港に到着するはずだったけれど、着陸寸前に飛行機が猛烈に揺れ、飛行機は再び上昇し始めた。しばらく経って機長からアナウンスがあり、30メートルもの強い北風が吹いた影響で着陸を一時見合わせているのだと説明があった。もし風がやまなければ、飛行機はきっと羽田まで引き返すことになるだろう。どうにか着陸できますようにと、何かに祈るような気持ちで、座席にしがみついていた。飛行機は定刻より1時間以上遅れて神戸空港に到着した。元町の「丸玉食堂」で夕食をとろうと、荷物を宿に預けたあとで街を歩いていると、あちこちに木の枝が散乱していて、こんなに強い風が吹いていたのかと驚いた。台風が過ぎ去ったあとのような有様だった。
なにか歯車が噛み合っていない時間を過ごしているようで、ふわふわした気持ちのまま「丸玉食堂」に入り、アサヒの瓶ビールと腸詰めを注文する。瓶ビールも新しいデザインに変わってしまっている。そろそろラストオーダーなんですとお店の方に言われ、肉めしと瓶ビールを追加注文しておく。ここのお店に立ち寄ると、肉めしばかり注文してしまう。だから、他の料理がどんなものなのか、わからない。
しばらく前に、平民金子さんが「丸玉食堂」のカウンターに『文學界』を置いて連載の告知をしていたことがあった。『文學界』の隣には見慣れたうつわが置かれており、そこにはあんかけのような具材がのっかっていた。肉めししか頼んだことがない僕は、反射的に「肉めしだ!」と思った。そんなことを思い出しながら、肉めしを写真に収めて、ツイッターに投稿する。缶ビールを買って宿に戻り、音楽を聴きながら飲んだくれていると、平民さんが僕のツイートを引用RTしてこうつぶやいていた。
ああ、以前挙げていたのは肉めしではなく、中華丼だったのか……。勘違いに恥ずかしくなるのと同時に、やっぱり今の自分は、うまく歯車が噛み合っていないのではないかという気がしてきて、そわそわする。明日、しっかり話すことができるだろうか、と。
平民金子さんに「トークイベントをやりませんか」と話を持ちかけたのは、1月4日のことだ。広島に里帰りしたあと、せっかくだからと神戸に1泊することにして、もしタイミングが合えば岸壁で飲みませんかと平民さんにメッセージを送った。真冬にもかかわらず、平民さんは誘いに応じてくれて、なるべく風があたらない場所で酒を飲んだ。その時期はちょうど『水納島再訪』の出版に向けて最終的な作業を進めていて、刊行記念トークイベントをするなら相手は誰にお願いしたいかという話も出始めていた。そこで浮かんだ方は何人かいて、そのひとりが平民さんだった。
ひとつには、平民さんは水納島で働いていたことがある、ということもある。ただ、それだけが理由というわけではなく、文章を書くとき根っこにあるところについて、平民さんと話してみたいという気持ちがあった。これまで何度か岸壁でぽつぽつ話してきたけれど、記録に残す、ということへの関心が僕の中で大きいこともあって、ふたりでぽつぽつ話すだけではなくて、オフィシャルな場で、できればテープレコーダーをまわしながら、たっぷり話しておきたい。
ホッカイロで暖をとりながら岸壁近くで酒を飲んでいると、その気持ちがあらためて大きくなり、「会場はどこにするのか?」だとか、「具体的にどういうイベントにするのか?」だとか、そういったことをまったく考えていないにもかかわらず、「水納島再訪が出たら、一緒にトークをしてもらえませんか」と平民さんに切り出した。そこからツイッターのDMでやりとりを重ねているうちに、ちょっと謎のイベント感があったほうが面白そうだとなり、西灘文化会館を借りて長時間話す会にする、という方向に少しずつまとまっていった。
3月下旬には西灘文化会館に下見にも出かけた。長時間のイベントということもあり、コロナに配慮した配置にすると何席ぐらい置けるのか等々、平民さんと一緒に現地で確認した。その時点では13時から19時を予定していたものの、下見を終えたあと駅まで歩きながら打ち合わせをしていると、「13時から19時だと、最初から最後まで居続けようと思えば居続けられるのでは」という話になった。このイベントは、ただトークを聴いてもらうだけでなく、ちょっと座り疲れたなと感じたら会場周辺に広がる市場を散策してもらって、そこで何かを買い食いしたり、気になる路地を歩いたり、そういう時間を来場者に過ごしてもらいたいという思いもあった。それならばいっそのこと、「11時-21時」と銘打っておけば、「その時間割だと、最初から最後まで居続けるのは無理やな……」と思った上で来場してもらえるだろうということで、10時間のイベントとして告知を出すことになった。
会場の下見までして細かい打ち合わせをしていたものの、内容についてはまったく打ち合わせをしていなかった。そこは打ち合わせをせず、ぶっつけ本番のほうが面白いだろうと思っていたから、特に打ち合わせをするつもりもなかった。
ただ、今の自分は、何もかもうまく行っていないような気がしてきたこともあって、「ちゃんと話せるだろうか?」と、前の晩から不安になっていた。イベント当日は6時に目を覚まし、スーツケースに本を詰め込んで、水道筋を歩いて会場へと向かった。途中でコンビニに通りかかるたびに立ち寄り、のど飴を買い、次の店でお茶を買い、次の店でおにぎりを買った。申し訳ないけれど、その都度1万円札で支払って、千円札と小銭を増やしておく。今日のイベントは『水納島再訪』がチケットがわりとなっていて、「当日までにどこかの書店で買っておいてください」と告知文に書いておいたけれど、当日本を買いたいという人のために、数冊だけ『水納島再訪』を持ってきてある。そのときお釣りを返せるように、千円札と小銭を増やしておく。
9時ちょうどに会場に到着して、慈憲一さんに手伝ってもらいながら、会場の設営に取り掛かる。座席を配置して、マイクをセッティングしてもらって、パソコンとモニターを接続する。ひとしきり設営が終わると、スーツケースから本を取り出す。
この1ヶ月、僕はずっと「平民新聞」を読み返していた。2003年の一番古い記事から順番に読んでいき、気になる言葉をスクラップして、引用されていた本や、なんらかの形で言及されていた本のうち、気になったものは片っ端から手に入れて、片っ端から読んでいた。あるいはそこから派生して読んだ本もある。その本とDVDをリストにまとめると、以下の通り。
平民金子『ごろごろ神戸。』
平民金子「神戸の、その向こう」朝日新聞
平民金子「めしとまち」文學界
前田隆弘『何歳まで生きますか?』
松澤健『鉄のバイエル』
友部正人『ちんちくりん』
金子光晴『どくろ杯』
金子光晴『塵芥』
金子光晴『下駄ばき対談』
萩原朔太郎『猫町』
ナット・ヘントフ『アメリカ、自由の名のもとに』
『ラングストン・ヒューズ詩集』
諏訪優『ビート・ジェネレーション』
『ギンズバーグ詩集』
深沢七郎『流浪の手記』
吉田喜重『小津安二郎の反映画』
土本典昭『逆境のなかの記録』
保坂昌康『さまざまなる戦後』
泉昌之『かっこいいスキヤキ』
こうの史代『夕凪の街 桜の国』
『東京情報コレクション』
『写真とことば 写真家二十五人、かく語りき』
迫川尚子『日計り』
牛腸茂雄『SELF AND OTHERS』
須田一政『人間の記憶』
『鉄西区』
『悪名』
『新・悪名』
『たまの映画』
『その街のこども 劇場版』
『フェリーニのアマルコルド』
ここに挙げた本は、じっくり読んだものもあれば、部分的にぱらぱら読んだだけのものもある。1ヶ月で読める量には限りがあったけれど、それでも「読んでおかなければ」という気持ちになったのは、平民金子という書き手がどんなものに触れてきたのかを追体験することで、その根っこにある部分を話すことができるのではないかと思ったからだった。
トークに向けて、話してみたいことのメモは膨大に用意してあったものの、はたしてほんとうに話すことができるだろうか。平民さんが会場にやってくるのを待ちながら、ずっとそわそわしていた。誰かと言葉を交わすというのは特別なことで、それはいつ、どんなタイミングでも可能なわけではなくて、ごく限られた場合にだけ成立する稀有なことだと、僕は心のどこかで思っている。たとえば、上のリストに挙げた友部正人の『ちんちくりん』という本について、何か考えていることがあるとする。その考えていることは、いつ、誰とでも話せるわけではないだろう。まず、そのことについて話したいという気分が語り手になければ、それが言葉として語られることはないだろう。話したいという気分があったとしても、目の前にいる相手に向かってそれを話したいと思わなければ、語られることはないし、些細なことでその気分は移り変わってゆく。
気づけばイベントの開始時刻は30分後に迫っていた。まだ誰もやってこない会場に、ひとりぽつんと座り、前野健太『ワイチャイ』を聴いていた。座席は30席近く用意してあるものの、今日のイベントは事前予約というものを受け付けていないこともあって、どれぐらい来場者がいるのかまるでわからなかった。唯一不安だったのは「会場に入りきれないほど来場者がいたら、特に受付スタッフを配置していない今回のイベントで、どうやって整理をすればよいのだろう?」ということだったけれど、少なくともその心配は杞憂に終わりそうだなと思いながら、アイスコーヒーを飲んでいた。
そもそも今回のイベントは、あえて「トークイベント」というフレーズは用いなかった。それは、来場者に向けてサービス精神を持って奉仕する「トークイベント」という形では、平民さんとうまく言葉を交わすことはできないような気がしていたから、というのもある。ある言葉を交わすためには、次から次へと矢継ぎ早に語るというわけにはいかず、沈黙が流れる場面も出てくる。ただ、誰かに話を聞く仕事をしていると痛感するのだけれど、誰かに何かを言葉にしてもらう上で、沈黙というものはどうしても生まれるものだし、その沈黙に耐えかねて空白を言葉で埋めてしまうと、本来語られるはzぅだった言葉も語られなくなってしまう。だから、今日のイベントに足を運んでくれる人が何を求めてやってきてくれるのかはわからないけれど、そこはあえて意識の外に置くことで、自分がほんとうに話したいこと、聞いてみたいことだけを語ることにしよう、と心に決めて、11時を待った。
最初に話そうと思っていたのは、『鉄西区』のことだった。それは瀋陽にある工場を映したドキュメンタリー映画で、3部から成り、トータルで9時間にも及ぶ長編映画だ。今回のイベントについて相談している流れで、平民さんがこの映画をアテネフランセに観に行ったときの記憶について話してくれたことがあって、そういう、長時間に及ぶ“イベント”の記憶への残り方っていうのは独特なものがあるということで、今回のトークも10時間に設定することになった。『鉄西区』のことは、平民さんによるイベント告知文の中でも言及されている。
11時になって、トークがゆるゆると始まったところで、僕は『鉄西区』の話と、その時代の話をした。この映画がアテネフランセで上映されたのは2004年のことで、それは平民さんがインターネット上で日記を書き始めてほどない頃だった。そんな昔の話を今更聞かれても――と、そうあしらわれてしまう可能性もあるなと、どぎまぎしながら話を振った。でも、平民さんは真摯にその時代のことを振り返って、話をしてくれた。その段階でもう、ああ、今日このイベントを企画してよかったなあ、、としみじみ思い始めていた。話したいことリストを作成している時点で薄々気づいていたことではあるけれど、話したいことをぽつぽつ話し、途中で休憩時間も適宜挟んだこともあって、話そうと思っていたことを話しきる前に日が暮れて、21時になっていた。それでも、文章を書く上でああでもないこうでもないと考えていることについて、ぽつぽつ話すことができたのは、とても幸福な時間だった。
平民さんはイベントを振り返って、こう書かれている。
これを読んで、平民さんは平民さんで同じようなことを感じていたのだな、という感じがした。
たとえば、平民さんの日記を読み返しているときに強く印象に残った名前として、友部正人、高田渡、中上健次、金子光晴、といった人たちがいる。今回のトークイベントで、金子光晴の話はぽつぽつしたけれど、僕はせいぜいこの1ヶ月で付け焼き刃のように読んだだけで、根っこのところは話しきれていないような気がしている。あるいは、友部正人のことも、僕はこれまでまったくといっていいほど通ってこなかった。ただ、今回のイベントでそのことについて話してみたかったから、『ちんちくりん』を読んだ上で、自分にとっては向井秀徳の存在が大きいということを前提として話した上で、「平民さんにとってはきっと、友部正人さんがそういう存在なんですよね?」と話を向けた。僕自身は友部正人を通ってきていないのだから、ずいぶん乱暴な話の展開ではあるのだけれども、そのことを平民さんに言葉にしてもらいたいという感じがしたのだった。
高田渡のことと、中上健次のことは、付け焼き刃すらつけることができなかったから、今回はほとんど話さなかった。ただ、僕の本棚には中上健次の本は何冊かある。それは、危口統之さんが中上健次のことが好きで、いつか読んでみようと思って買っていたものだ。高田渡が撮影した写真を集めた『高田渡の視線の先に』も、イベントの直前にネット通販で購入したものの、まだページをめくらないままテーブルに置いてある。それを読んだらきっと、また話したいことが増えていくだろう。そんなふうに話をしたい相手がどこかにいるということは、とても幸福なことだと思う。
イベントが終わったあと、最初から最後まで同席してくださっていた慈さんや、平民さんと一緒に会場の片付けをして、近くにある「jinan」というお店に入り、やたらとうまそうなまかない料理が鉄板の上で調理される様子を眺めながら、黒豆マッコリを飲んだ。23時過ぎにお店を出て、慈さんと別れ、平民さんとふたりで灘駅のほうに向かって歩いた。ぽつりぽつりと話しているうちに、僕が宿泊している宿にたどり着き、「じゃあ、また」と言って別れた。またいつか、今日のイベントの続きを、西灘文化会館で話せる日を心待ちにしている。
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