読書メモ 江藤淳『成熟と喪失 “母”の崩壊』

 前回読んだ『アメリカ』は、副題に「村上春樹と江藤淳の帰還」とある。江藤淳のことをもう少しだけ考えるために、『成熟と喪失 “母”の崩壊』を読んでみる。

 1966年から雑誌『文藝』に連載された「成熟と喪失」で、江藤淳はまず、安岡章太郎の「海辺の光景」を引用する。主人公の信太郎は、母の歌を聞かされて育った。母は「どうかすると一日のうちに何遍となく繰りかへしてその歌をうたつた。たぶんそれは半ば習慣的、無意識的のものだつたにちがひない。だが、聞く方の信太郎にとつて、それは無識なだけに、母親の情緒の圧しつけがましさが一層露骨に感じられた」。

私はこういう「圧しつけがましい」情緒が、どれほどの範囲の母と息子を拘束しているものなのかよく知らない。しかし一般に日本の母親と息子の関係には、これによく似た濃い情緒が隠されているように思われてならない。それはほとんど肉感的なほど密接な関係で、たとえばエリック・エリクソンが『幼年期と社会』で語っている米国の母子関係の対極にあるものである。エリクソンは米国の青年の大部分が母親に拒否されたという心の傷を負っているという(注1)。これはいうまでもなく、いつも母の「テーマ・ソング」を聴かされ、その甘酸っぱい歌声が肌に粘りついて来るのを感じていた『海辺の光景』の主人公には縁のない傷痕である。

 この母との子の関係の違いに、江藤淳は「本質的な文化の相違」を見る。ここで名前を挙げられたエリクソンによれば、アメリカにおいて、母が子を拒むのは、「やがて息子が遠いフロンティアで誰にも頼れない生活を送らなければならないことを知っている」からだという。そこで江藤は、『海辺の光景』の母がうたう歌と、カウボーイの子守唄を比較する。

 「成熟」する間もなく母親に拒まれ、心に傷を負って放浪の旅に出たカウボーイは、誰にも頼らずに自分の死を見つめて「ゆっくり」大草原の彼方に消えて行く。彼は孤独であり、母親と絶たれているように他人からも絶たれている。(…)一方『海辺の光景』の母のうたう歌にこめられているのは、成長して自分を離れて行く息子に対する恨み―—あるいは「成熟」そのものに対する呪詛である。母親は息子が自分とはちがった存在になって行くことに耐えられず、彼が「をさなくて罪をしら」なかった頃、つまり母親の延長にすぎなかった頃の幸福をなつかしむ。

 ただ、『海辺の光景』に登場する母の「圧しつけがましさ」には、「もっと切迫したなにものかを感じる」と江藤淳は言う。それは、引っ越してまもない家に、勝手口から御用聞きがやってきたときのやりとりにあらわれる。「御用聞の小僧」は、「おたくの旦那は軍人さんですつてね」と問いかけ、その階級を訪ねてくる。信太郎が「獣医だ」と答えようとした瞬間に、母はこたつの下から信太郎の足をぎゅっとつかみ、「さあね」と御用聞きの質問をはぐらかす。

 母はなぜ、夫が獣医であることを伏せたのか。なぜそれを恥じているのか。それは、「夫もことによったら『騎兵』になっていたかも知れないのに」、獣医に甘んじていることにあるのだと江藤は論じる。「流動性のある社会」では、「誰もが『騎兵』になる可能性をあたえられている」のに、自分の夫は出世することができず、獣医をしている。

 こういう母親の心理的動揺は、階層秩序の固定化した社会には決して生れない。その意味で信太郎の母の「圧しつけがましさ」は、彼女の「近代」に対する危機意識のあらわれだといえるかも知れない。日本の「近代」は、学校教育制度の確立というかたちで階層のあいだの壁をとりはらい、「教育」によって「出世」する道を開いた。つまりよい「教育」をうけることができさえすれば、息子はほぼ確実に上の階層に移れるのである。(…)
しかし、同時にこの母親は、そうやって息子をいい学校に入れようとしている自分の努力が、息子を自分から旅立たせることにほかならないのを意識下に感じている。あの「恥づかしさ」から自由になろうとすれば「教育」をうけさせなければならないが、「教育」を受けた息子はかならず自分から離れて行く。いや、「教育」というかたちで「家」のなかに忍びこんで来た冷い無機質の「近代」というものが、(…)息子と彼女との動物的な親しさを切断する。この危機感が母親の情緒を一層「圧しつけがましく」するのである。

 この母親の情緒を「圧しつけがまし」く感じながらも、その手の中で、そうして「母」と密着していることで、「子」は自由でいられる。だが、その「母」は崩壊する。信太郎の母は、狂気に犯されて崩壊してゆく。その崩壊が始まるのは、終戦の翌年、父が戦地から帰還してきたことにある。

 この母子にとって、「恥づかしい」ものである父親は、同時にいつも遠いところにいる存在であった。しかしとにかく父親はいたのであり、この母子のなれあいも、あの奇妙に肉感的な「自由」さも、すべてこの父親がどこかにいることを前提にして成立していたのである。戦争は終り、息子は母親のそばで病を養い、父親はどこか遠くにいる。(…)この「自由」は単に父親が遠くにいるだけではなく、遠くにいる彼が母子の経済生活を支えていることによって保証されていた。(…)だがこの秩序と権威がやがて崩壊する。それは正確にこの主人公が強いられた「成熟」の最初の段階、あるいは彼と母親との内密な世界の喪失の第一歩である。

 戦争が終わってからも、信太郎の家には決まった俸給が支払われていた。これからもずっとそうして暮らしていけるものだと思い込んでいたが、父が帰還するとその収入も途絶えてしまい、それまで家を保っていた「秩序と権威」は崩壊する。「そしていったん秩序が崩壊してみれば、そこにいるのは父と母と息子ではなくて、二人の男と一人の女にすぎない」。

 では、秩序が崩壊したことで、息子は自立した個人になりえたのか。否、と江藤淳は論じる。そこで生じたのは、息子が一個の人間として思想的に成長し自ら独立した―—などということではなく、「敗戦という物理的な外圧としてあらわれた『近代』が、家族のあいだのもっとも内密なきずなを切断した結果生じた解体」である。

 信太郎は、こういう混乱からのがれようと考える。「……本当をいへば、自分はもう父や母といつしよに住みたくないから」である。この点で、彼は一見日本の近代小説の主人公の伝統を継いでいるかのように見える。つまり「家」を出て東京に行き、「近代」に触れて「個人」というものになろうとする田山花袋以来のあの主人公たちに。しかし皮肉なことに、そういう彼がさしあたり先頭に立ってしなければならないことは、一家三人が住む家をさがすことである。彼にはすでに「家」に反抗するなどという贅沢は許されていない。「近代」がこちらから触れに行くまでもなく先方からおしかけて来て、家族の結びつきを切断してしまったことにはすでに触れた。「個人」とは、信太郎にとっては達成すべき理想ではなく仕方なしに引受けさせられた過酷な現実である。そういう個人である彼ら三人には、さしあたり住むべき家がない。戦争中から住んでいた家からは追い立てを喰い、彼らは不法占拠で告訴されているからである。

 「海辺の光景」において、母は次第に狂気に飲み込まれてゆく。久しぶりに再会した母は、変わり果てた姿となっていた。「彼女が笑っていても、どんなに懐かしそうな声で呼びかけても、もはや信太郎はこの『正常でない』母親からどんなたしかな反応もきたいすることができない」。そこで信太郎は「恐怖」と「悪寒」を感じる。

 気が狂ってしまったということは、つまり、母はかつての母ではなくなってしまった。母は子を子と認識できなくなる。つまり、母は子の存在を拒否したとも言える。そうして拒否するのは狂ってしまった母のほうだが、「拒否された者の心に自分こそが相手を見棄てたのだという深い罪悪感が生じる」。「母を入院させた信太郎は、(…)こういう罪悪感に心のもっとも深い部分を冒されている」。ハハキトクの電報で帰郷した慎太郎は「見棄てた母」にわびるかのように、意識のなくなった母の顔にたかるハエを払う。母は最後に意識を回復させるが、そこで口にしたのは「シンチャン」ではなく「おとうさん」という言葉だった。そこで信太郎は、決定的に母から拒否されたと感じる。その決定的な拒否によって、「どうしてもぬぐい切れない罪悪感をかかえたまま、完全に母から解放されてしまう」。

 それが「成熟」というものの感覚である。といって悪ければ、少くともここに人を成熟にみちびく手がかりがある。なぜなら「成熟」とはなにかを獲得することではなく、喪失を確認することだからである。だから実は、母と息子の肉感的な結びつきに頼っている者に「成熟」がないように、母に拒まれた心の傷を「母なし仔牛」に託してうたう孤独なカウボーイにも「成熟」はない。(…)拒まれた者は決して純潔ではあり得ない。なぜなら拒否された者は同時に見棄てられた者でもあるからである。そして自分が母を見棄てたことを確認した者の眼は、拒否された傷口から湧き出て来る黒い血うみのような罪悪感の存在を、決して否認できないからである。
 「成熟」するとは、喪失感の空洞のなかに湧いてくるこの「悪」をひきうけることである。実はそこにしか母に拒まれ、母の崩壊を体験したものが「自由」を回復する道はない。

 だが、「海辺の光景」の信太郎はその道を―—「悪」を自覚して新しい自由を得る道を―—みずから閉ざしてしまう。いや、信太郎だけでなく、著者の安岡章太郎もまたそこから目を逸らしてしまっていると江藤淳は批判する。そこで新しい自由を得た信太郎のような人物のありようを考えるために、江藤淳は同じく「第三の新人」に分類される作家・小島信夫の「抱擁家族」を取り上げる。1965年に連載が始まったこの小説は三輪俊介とその妻・時子が主人公だ。

 (…)俊介にとっての夫婦の理想型は、お互いに男と女であるような二人のstrangersが出会ってつくりあげた倫理的な関係でもなければ、財産の共有または分有を中心に築かれた利益関係でもない。それはリンも責任も、利害すら超越したある自然的な結びつきである。
《夫婦がプールで泳いでたわむれている。それから芝生の上で抱擁しながら倒れる。しばらく横になっている。彼女の贅肉の一つ一つを自分の贅肉の一つ一つにじかに感じているのだが、空想の中では、俊介も妻も贅肉をおとしてずっと若々しい。まるで勇気をためしているみたいだ。それから寝室、自分は彼女を子供のように抱いていたい。自分の身体のように彼女も重いのだが。二十代の時の何倍も自分はバラ色にあこがれている。何か睦言をしよう。騒々しいのはごめんだ。静かなおしゃべりなら大歓迎だ》
 これが俊介にとっての「楽園」である。そのなかで、「自分は彼女を子供のように抱いていたい」。私にはここで「子供のよう」なのが、いったい俊介なのか妻なのかがよくわからない。しかしそのあいまいさのなかに、実は俊介が心に抱いていた「家庭」のイメイジの秘密が隠されているのである。(…)力強い腕にほっそりした小柄な「妻」を抱いた「夫」の背後から、「母」の胸に顔を埋めて乳房をもてあそんでいる「子供」の姿が浮び上って来る。換言すれば俊介にとっての妻は、なによりも先に「母」の変身したものであり、彼にとっての「楽園」は「母」である妻を中心に「子供」たちがいるような世界である。(…)

 このような母と子の関係は、「正確にあの日本の母と息子の関係の影」であると江藤淳は言う。ここで子は、大人になろうとも家から「出発」せず、そうである限り「どんなstrangerにも出逢うことがない」。この「農民的・定住者的」な関係は、結婚によっても揺らぐことはない。子は、結婚相手を「stranger」として出逢うのではなく、「姿を変えてあらわれた『母』」と認識する。

 一般に日本の男のなかで、「母」がいつまでも生きつづける根強さは驚嘆にあたいする。(…)近代日本における「母」の影響力の増大は、おそらく「父」のイメイジの希薄化と逆比例している。学校教育の確立と同時に、「父」は多くの「母」と子にとって、『海辺の光景』の信太郎母娘にとってそうであったように「恥づかしい」ものになった。しかし「父」を「恥づかしく」感じる「母」と子は同じ価値観を共有しており、そうである以上息子の「出世」の背後にはつねに「母」の影がついてまわる。彼はおそらく老年になるまで「父」に出逢うことはないが、結婚のときに「妻」を「母」と重ねあわせてしまうのである。

 「抱擁家族」の三輪夫婦の関係も、そのようなものであった――はずだった。だが、その家庭に「他人」が入り込んでくることで、そこに亀裂が生じる。その他人というのは、アメリカ兵のジョージだ。

 私は前に、『海辺の光景』の母子のあいだにあった内密なきずなを切断したのが、「敗戦」という物理的な外圧だったといったが、この外圧にはいわば顔がなかった。(…)目に見えない刃が一閃し、家族の絆が切断される。それが信太郎母子におこったことである。しかし、それから二十年近くたって「復興」した日本に生きる『抱擁家族』の作者の眼には、明らかに外圧の顔が見えている。それはジョージというひとりの「カウボーイ」の、「緑色の目をすぼめた」顔をしているのである。
 しかし、これは果して「外圧」というべきものだろうか。正確にいえばこの「カウボーイ」は、力によって俊介の「家」に侵入して来たというよりは、むしろ客として、あるいは「トモダチ」として迎え入れられているからだ。『海辺の光景』の母子は、「外圧」を受身で迎えた。それが客であれば招かれざる客であり(…)誰ひとりこの顔のない力によって秩序が崩されるのを願いはしなかった。それにもかかわらず秩序は崩壊し、母子のあいだは「近代」の冷たい刃で切り離される。だが一方三輪家の人々は、あの「カウボーイ」のひとりを進んで「家」のなかに迎え入れることによって、秩序の崩壊に自ら手を貸そうとするのである。俊介の不安はつのるが、彼にはそれを喰いとめる手段がない。それはひとつには、ジョージが文字通り百パーセントのstrangerで、これを拒む論理と能力がstrangerに出逢わない世界のなかで生きようとして来た俊介にはないからであり、さらに妻の時子がこのstrangerの抗し難い魅力に惹かれているからである。(…)

 時子は魅力に惹かれるだけでなく、ジョージと「姦通」する。そのことを知った俊介は、離婚という道を選ぶことなく、ただ下腹部に痛みを感じる。
 俊介が、ジョージのように独立した「個人」であり、それがまた別個の「個人」と出会い、「契約」として婚姻関係を結んだのであれば、事態は違っていただろう。そうであれば、「姦通」という「反道徳行為」によって、「契約」は破綻する。だが、俊介と時子のあいだにあるのはあくまで「自然的関係」であり、そこに「姦通」の「責任」は生じ得ない。

 『抱擁家族』の独創性が、なによりもまず現代の日本の夫婦のあいだに隠されている倫理的関係と自然的関係の奇妙なねじれ目に、思いもよらぬ角度から照明をあてているところにあることはいうまでもない。「家」が崩壊して「家庭」が生れ、ひと目盛だけ「近代化」が進んだなどという楽天的な議論のこっけいさは、断絶しながら同時に奇妙に濃い粘着性のある関係で結ばれ、お互いに救いようのない「淋しさ」を澱ませているのに決して「孤独」にはなれないという、日本の夫婦の現状を直視すればたちどころに明らかになる。そこには倫理的関係はないがそれが実在するかのような錯覚はあり、夫婦である以上「母子」の自然的関係を回復することは絶対不可能であるにもかかわらず、この動物的衝動が馴致されることは決してない。

 「姦通」を知って俊介は動揺するが、時子はあっけらかんとしている。「どんなふうにしたんだ」と問い詰める時子は「もういいでしょ? ねえ、あんたの方がずっといいのよ。ねえ、もうきくの止して、ねえ、やっぱり日本人同士の方がいいのよ」と語りかける。そうして俊介と時子は行為に及ぼうとするのだが、「俊介の予測どおり不首尾に終ったとき、時子がかすかな悲鳴をあげた。上半身を起こすと俊介は時子のそばからとびのき、自分の部屋にかけこんで倒れるように横になった」。そして「そのうち時子のあくびがきこえた」。

 この空虚さはしかしある濃密な実在感に充たされている。行為が不首尾に終ったとき、倫理によってではなく生理的不快感によって俊介は時子から切り離された。それは時子のなかの「母」が汚されたからにほかならない。しかしそれは彼には心ならずも「母」を拒み、「母」の影である妻に反抗するという「悪」をおかしたことであるかのように意識される。このとき彼と時子のあいだの隠された結びつきも破壊される。「性」が成立しなければ、そのなかで「夫婦」と「母子」が重ねあわされていた隠微な関係も成立しなくなるからである。俊介はあきらかに決定的な喪失を体験している。しかしこの「喪失」と「悪」の感覚とが、どれほど稠密な実在感に充たされているか。それこそ俊介が初めて味わっている「自由」の感覚である。

 俊介が「喪失」し「自由」になったということは、あらゆる役割から解放されたことを意味するのだと江藤淳は言う。「彼は今、『夫』でも『子』でもなく、また『父』でも『大学講師』でもない」。あくまで一個の個人として世界に放り出されている。だからこそ、彼は彼の身近な風景を――それまではただの風景に過ぎなかったものの一つ一つを――みずみずしく、曇りなく認識する。「それは生の感覚であり、世界というものの重みであり、同時に俊介という完全に孤独な人間の視線がとらえたものの感触である」。

 一方、ジョージとの貫通を知られてしまった時子はどうか。彼女は、「もっと若かったら、アメリカでもどこでもついて行ったのに」と「出発」願望を口にする。それとは反対に、俊介は「出発」を望んでいない。その妥協案として、家庭を立て直すために、三輪夫婦は家を新築する。

 三輪夫婦が、「家の中」の「たてなおし」にあたって、郊外に「カリフォルニアあたりの高原の別荘のよう」な、完全冷暖房つきの豪勢な家を新築しなければならないのは、夫婦の志向のあいだに「出発したくない」者と「出発したい」者の根本的な喰い違いが潜んでいて、それを中和させようとすれば家を新築・移転する以外にないからである。しかし同じ志向の喰い違いは、三輪夫婦のみならずどんな現代日本の夫婦のあいだにもひそんでいるかもしれない。なぜ男は「出発しない」ことを欲し、女は「出発しよう」とするのか。(…)
 私は前に、俊介にとっての「楽園」が、妻とのあいだにあの農民的・定住者的な母子の濃密な情緒が回復されている状態だといった。それが「楽園」だと感じられるのは、そこに限りない安息があり、そこにいるかぎり彼にはどこにも「出発」する必要がないからである。農耕社会の文化のなかに生きる者にとって、土地を離れて「出発」することは第一にoutcastになることであり、第二に彼を恐怖させる「他人」に出逢わなければならぬことである。(…)学校教育を受けて近代社会の「フロンティア」に「出発」させられたのちでも、彼の意識の奥底に潜むoutcastの不安や「他人」に対する恐怖が深ければ深いほど、彼は「母」に密着していることができた幼児期を「楽園」と思い描くようになり、この「楽園」を回復しようとする願望を結婚に託して、(…)妻を「母」と同じ形に切りとろうとする。(…)
 だが、皮肉なことに、時子にとっての「楽園」は(…)俊介が回復しようとした旧い安定した情緒にはない。より正確にいえば、「子」である夫が安息の象徴である幼児期を回復しようとすることは、時子に「母」の役割をあたえることを――つまり彼女の青春を奪って、あるいは老年に近づけることを意味する。それは決して彼女に「楽園」をもたらしはしないのである。

 俊介は母と自然的関係で結ばれていた「楽園」を夢見ていて、それを回復させるべく、妻を「母」化しようとする。妻の側からすれば、自分自身は若い私でいることは許されず、年長の母として扱われ、「家」に縛り付けられることを意味する。そうである限り、妻がこの「家」から「出発」しようとするのは必然である。だから時子はジョージという「他者」を積極的に「家」の中へと迎え入れる。

 しかし、皮肉なことに『抱擁家族』の作者は、このジョージという「近代」を時子と話の通じない人間に描いている。彼は日本語をほとんど解さず、時子は英語を知らないのである。つまり時子にとってジョージを理解することは不必要でなければ無意味である。彼はただ「近代」の象徴であり、青春、幸福、あるいは美しい王子等々でありさえすればよい。だから彼女がついにジョージを理解しなければならなくなったとき、彼は意外な正体をあらわし、そのことに三輪夫婦はショックをうけるのである。

 三輪夫婦とジョージは話し合いの場を持ち、大学講師である俊介が通訳しながら会話が進んでいく。時子は「私は私で責任を感じるが、あなたは責任をかんじないかって、きいてみてちょうだいよ」と俊介に頼む。そこでジョージが「責任? 誰に責任をかんじるのですか。僕は自分の両親と、国家に対して責任をかんじているだけなんだ」と答えると、俊介はカッとなって相手を突く。その言葉を時子に通訳すると、俊介はさらに動揺し、「ゴウ・バック・ホーム・ヤンキー」と、まったく思いがけない言葉をわめく。

 俊介が「カッとなって」ジョージに手を出したり、「ゴウ・バック・ホーム・ヤンキー」とわめいたりしながら、結局「何をしていいのか分らな」いのは、彼が完全に虚をつかれたからである。それは内部に幼い部分を維持しようとして生きている弱者である彼らに比べて、ジョージがはるかに輪郭鮮明な、孤独な強者として現れたからだけではない。おそらく(…)ジョージの言葉が、俊介の無防備な部分を突如急襲したからである。
 最初に彼がジョージの頰を押したのは、嫉妬の衝動からにちがいない。しかし二度目に彼が「カッとなっ」たのは、おそらく「国家」という予期しない言葉がジョージの口から出たためである。つまりこの強者——この「近代」の象徴の背後から、「国家」という強い「父」のイメイジが顔をのぞかせたためである。(…)

 ここで江藤淳は、「ジョージの背後には『両親』がいるが、その背後にはさらに『国家』がある」と論じる。つまり、彼に影響力を及ぼしているのは「母」ではなくて、「国家」というかたちをした「父」である、と。ジョージにとっての「国家」とは、つまりアメリカである。アメリカは、「ヨーロッパという『父』に対して反抗し、独立したという『子』のイメージを内包しており、カウボーイは容易に自分をこの『父』と一致させることができる。つまり彼は父性的な文化のなかで育てられた人間である」。

 三輪夫婦にむかって、ジョージが「僕は自分の両親と、国家に対して責任をかんじているだけなんだ」というとき、彼は少くともこれだけの事実を背負っている。この論理に対して俊介夫婦がたじろぐのは、彼らが「恥ずかしい」父のイメイジを極力消去しようとする近代日本の文化のなかで生きて来たからにほかならない。そこに敗戦という事件が大きな影響を及ぼしていることは否定できないが、「父」のイメイジを希薄化したのはかならずしも敗戦だけのせいだとはいえない。俊介の「ゴウ・バック・ホーム・ヤンキー」といううめき声にはあるみじめなこっけいさがある。俊介を動揺させているものが、米軍撤退などで少しも片付かないほど根深い欠落の意識であることを、読者は直感的に感じるからである。
 前述のように、近代日本の社会では世代の交替につれて必然的に「父」のイメイジが希薄化されて行く。その背後に作用しているのは、母とともに父親を「恥ずかしい」ものに思った息子が、成長して妻と息子に「恥ずかし」く思われる「父」になる、という心理メカニズムである。(…)もともと「父」を「恥じる」感覚の底に、「他人」の眼に対してという比較の衝動が潜んでいることはつけ加えるまでもない。ここでいう「他人」が西洋人であることはいうまでもないであろう。

 戦後日本における「他人」(=西洋)は、なによりアメリカだ。その点については解説でも触れられている。僕が今手にしている講談社文芸文庫版の『成熟と喪失』は、上野千鶴子による解説が掲載されている。上野はこの書を、「時代の自画像を写しだす、鏡のような作品」であり、「その自画像のあまりの正確さに、わたしたちはひるみ、目をそむけたい思いにかられる」と評している。

 『成熟と喪失』は、「“母”の崩壊」という副題を持っている。「母の喪失」ではない、「崩壊」である。そのことだけからでも、この本がフロイトのエディプス・コンプレックスのような母からの自立の物語でも、寺山修司的な「母殺し」の物語でもないことが知れる。「成熟」が母子共棲的なユートピアの「喪失」と引き換えに得られるものであることは、あまりにもありふれた物語だが、江藤は個人の成熟を「母の喪失」として抒情してみせる代わりに、時代が強いられる成熟を、取り返しのつかない「母の崩壊」の物語として描くことで、同時代の文学テクストを扱いながら、作品論を超えた文明批評に達している。

 ここで寺山修司の名前も引き合いに出されているが、1966年に連載が開始された「成熟と喪失」を、寺山も読んでいただろう。寺山修司と江藤淳は、60年安保に反対する「若い日本の会」で一緒になっている。憶測の域を出ないけれど、「“母”の崩壊」という副題のついたこの批評に寺山が関心を持たなかったはずはないと思う。

 話を解説に戻す。

 上野千鶴子は、江藤淳がアメリカに対して執着することにやや疑問を呈する。

 音からいえば「情事」とも読めるこの「ジョージ」は、ほんとうに「アメリカ人」でなければならなかったのだろうか。八〇年代の「セントラルヒーティングつきの家」では『金曜日の妻たち』が姦通ならぬ不倫にふけっている。時子の欲望は(…)やすやすと達成される。「情事」は主婦的日常のガス抜き、妻の気晴らしの一種であって、それがもとで家庭をこわす理由にならない。(…)妻たちは「出発」した先にもたいしてかわりばえのしない日常が待っていることを、すでによく知っている。そう考えれば「金妻」たちは二十年後の時子の姿であり、この「情事」は相手の国籍に関係なく、ある普遍性を持っているように思える。

 前回の読書メモで取り上げた坪内さんの『アメリカ』で詳細に論じられていたように、1960年から1980年のあいだの20年間で、日本とアメリカの関係はすっかり変わってしまった。『成熟と喪失』が、そして『抱擁家族』が書かれた1960年代に比べて、日本はすっかりアメリカ化した。そのことは上野千鶴子もこの解説で指摘している。

 「アメリカ」は日本にとって、というより江藤にとって、運命的な「他者」である。江藤の「アメリカ」に対するこだわりは、その後も一九七六年の村上龍の『限りなく透明に近いブルー』(講談社、一九七六年)に対する評価や、一九八〇年の田中康夫『なんとなくクリスタル』(河出書房新車、一九八一年)の評価にくりかえし現われる。風俗としての「アメリカ」が日本の戦後史のなかで果たす役割の転換点に、江藤はそのつど敏感に反応する。それを江藤の世代のアメリカンコンプレックスと呼ぶのはやさしい。
 だが、江藤が「アメリカ」というシンボルに見るのは、「父の文化」である。小島はジョージという青年に、「責任? 誰に対して責任をかんじるのですか? 僕は自分の両親と、国家に対して責任を感じているだけなんだ」と言わせている。およそ教養のなさそうなこの青年の口から「国家」という言葉が出たことに、主人公は、そして江藤も、虚を衝かれる。(…)
 ここで私たちは、「母の崩壊」にかくされた主題、「父の欠落」に出会う。(…)その主題は、江藤によれば「内にも外にも『父』を喪った者がどうして生きつづけられるかという問題(152)である。この問題は、「時子自身が求めていたのも『父』だった」として正当化されるが、このあたりから『成熟と喪失』の主題は、奇妙なねじれを見せてくる。(…)

 上野千鶴子はここに、「戦後の(男性)知識人の北米体験に共通な『「アメリカ」の影』」を見る。それは単純に、敗戦国に生まれ育った人間が抱く、勝者に対するコンプレックスではないのだと言う。「彼等はアメリカに『父の文化』を発見し、自分たちが負けたのはこの『父』の不在のせいなのだと、短絡したがる」。江藤淳は、二年の北米体験ののち、「あたかも日本文化における『父』の欠落を新発見したかのように、息せいて『成熟と喪失』を書き上げ」、「自己のルーツ探しに向かう」。「それは一言で言って、『治者』へ向かう道である」。

 江藤淳に限らず、多くの男性知識人がこの道を辿っていると上野千鶴子は指摘する。北米体験をきっかけに、「近代主義」の洗礼を浴びて、日本に帰還したのちに「保守主義」へと「転向」してゆく、と。

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