読書メモ 庄司薫『ぼくの大好きな青髭』


 手紙がわりの読書メモをつけたいと思う。これは書評なんてちゃんとしたものではなく、今年の秋に向けた読書メモだ。ただ、書かれたメモがどこかに届くことを期待して、こうして公開された状態にしておく。

 この小説は、1969年7月20日の午前10時過ぎ、新宿・紀伊国屋書店のエスカレーター昇り口で「ぼく」が突っ立っている場面から小説は始まる。僕は「この春植木屋が縁の下におき忘れていった古い麦わら帽子をかぶって素足に木のサンダルをつっかけ、薄鼠色になった古い昆虫網を小脇にかかえて、さらに(ここが重要なのだが)鼻の下にかなり立派な八の字型の髭をつけてあたりを睥睨していた」。

 この「変装」の効用。

 (…)ぼくはいまやぼく自身が、風景だけでなく、行き交う人々の一人一人に、それまでのぼくにはなかった種類の活き活きとした注意力を働かせ、溢れるばかりの好奇心を以ってのぞんでいるのが分かったのだ。そして、この活き活きとした気持、愉快千万な解放感の意味するものはいやになっちゃうほど明らかだと思われた。つまりぼくはいまや、これまで十八年間つきあってきた「御存知庄司薫くん」とは全く別な人物、しかもただ別な人物というだけでなく、いってみれば攻守逆転というか、正反対の種類の人物になっているのにちがいなかった。ぼくはいまや、例のお行儀のいい優等生で、将来を計算した安全第一主義者で、いい子になりたがる俗物で、時代おくれのスタイリストで、非行動的インテリの卵で、保守反動の道徳家で、etc etc……といった庄司薫くんではなく、その反対の人物、いやただ反対の存在なんていうだけでなく、もっと春秋に富んだ可能性の塊みたいなものだった。つまりぼくは、お行儀なぞヘノカッパの自由なる精神で、安全など省りみない真摯な革命家で、冒険を愛する果敢な若者で、情念のままに生きる自然人で、なによりも自分自身に忠実な「実存主義者」で、俗物的秩序を憎む新しい未来の象徴で、知性でなく感性に生きる純粋な魂でetc etcといった、いかにも若者にふさわしい多彩な表現のうちから、そのどれでもよりどりみどり自分のものとすることのできる輝くばかりの存在だったのだ。

 ここに登場する「非行動的インテリ」というフレーズ。この小説と同時代に進行していた大学紛争では、(60年安保とは異なり)大学教授たちが批判の的となり、庄司薫の先生である丸山真男はまさに「非行動的インテリ」として糾弾される。また、この「非行動的」というフレーズ、その対極にある「行動」という言葉から、書を捨てよ町へ出よう、という言葉も浮かんでくる。

 主人公の「ぼく」は、喫茶店のブルックボンドでコーヒーとサンドウィッチを注文する。そこに大学生風の若者が三人、相席してくる。大学生風の若者たちは「ぼく」に代表されるような新宿の若者を揶揄するように会話をするのだが、「ぼく」は初めのうちは揶揄されていることに気づかず、聞き耳を立てる。

 「彼女もそうなんだろうけど、女の子から見ると、この種族ってのはかなり魅力があるんだろうね。」と、左側の青白い青年が娘に向って訊ねた。
 「さあ、一般論としちゃそうかもしれないけど、実際にはどうなのかしら。」
 「一般論としては大昔からそうだよ。」と陽灼けした青年が穏かに主張した。「女性にとっての英雄というのはいろいろあるけれど、要するに非日常的なイメージを与える人物ってことじゃないのかな。つまりね、お掃除に炊事洗濯みたいな生活からとにかく連れ出してくれそうな男さ」(…)「この世の中には、戦争が始まって戦場におもむく兵士を送る駅頭の風景、といったものが常にあるらしいんだよ。つまりね、昨日までの甲斐性なしの馬鹿な亭主や平凡極まる恋人が、一夜明けるや途端にお国のため悠久の大義のため愛する妻や恋人を守るために戦いに出かける英雄になっちゃった、というので、女たちはもう突然熱烈な愛情に目覚めちゃって感動の余り泣きながら見送ったりする、っていったようなものだね。自分たちも突然にして英雄の妻になり恋人になっちゃったっていうわけなんだ。」

 ここにある「英雄」という言葉。この青年の言葉を借りれば、かつて若者は戦争に身を投じることで「英雄」になることができた。戦争が終わり、政治の季節を迎えると、政治運動に身を投じることで「英雄」として、自分の若さを燃やすことができた。あるいは、フーテンとして新宿を闊歩することだって一種の「英雄」だろう。時代がくだり80年代になると、不良少年として教師に反発することだって一種の「英雄」だったに違いない。自分の青春を燃やすこと。ただ、そういう着火剤はもうすっかりなくなったような気がする。

 主人公の「ぼく」は別の喫茶店に移動する。そこまで追ってきた、さきほどの大学生風の若者たちは「ぼく」にこう尋ねる。「ひょっとして、きみは、ジュージカカイシュウの仲間じゃないですか?」と。十字架回収委員会とは。

 「それはね。」と陽灼けした青年もにわかに乗り出してきた感じで仲間に言った。さらに正確を期するならば、十字架回収委員会という名称によって代表されるような諸集団、を研究する有志、と言うべきだろうね。」
 「なるほどね。」と蒼白い青年はうなずくと陽灼けした青年に意見を求めた。「ところで、とにかく具体例をあげて説明すべきだけれど、何がいいかね。」
 「くたばれジャイアンツ・クラブ、あれはどう?」と陽灼けした青年は提案した。
 「ちょっと一見ふざけすぎてて、その適切な説明が難しいんじゃないかな。」
 「じゃ、あれはどう? ロールス・ロイスに絶対乗らない委員会とかいうやつ……。」

 この「くたばれジャイアンツ」というフレーズには見覚えがある。それは措くとして、「くたばれジャイアンツ・クラブ」にせよ、「ロールス・ロイスに絶対乗らない委員会」にせよ、彼らはなぜそんな活動をするのか。それは、ただ面白がってではなく、大真面目に活動しているようだ。

 「つまりですね、もしも今、この世界が確実に大変化しつつあり、人間もまた急速に変りつつあると仮定したらどうでしょう。当然そこには、さまざまな理由からその変化に適応できない多くの人々が生まれ、また一方ではそういった人々の巨大な不幸を極度に敏感に感じとる一群の人々がこれまた沢山現われても不思議でない、ということになるでしょう? で、その一群の人々のなかに、たまたまその、他人の不幸を見逃してはいられないといった気持ちを抱くタイプの人間がいると、ここに或る種の人類救済のための委員会の類いが生まれることになるわけです。」

 十字架回収委員会の考えによると、「現代における不適応」の典型例は、「大きな理想を持つ」ことだという。なぜかというと、「正義でも善でも真理でもなんでも、とにかく大きくなればなるほど単純にならざるを得」ず、そんなふうに「古めかしくも大志などを抱いている青年たちこそ、あたかも古ぼけたでかい十字架をかついでよたよた歩いている」ように見えるというわけだ。そんな若者たちを不幸から逃れさせるために、十字架回収委員会は「くたばれジャイアンツとか、ロールス・ロイスとか、十字架回収とかいったとんでもない名前なんかっつけて」「目的の、なんていうか、大小を相対化する」。

 この大学生風の若者たちは、そんな十字架回収員会を研究しているのだと語る。つまり、まずは熱に浮かされるようにして新宿に集まってくる若者たちがいて、そんな若者たちを十字架回収委員会は不幸から逃れようとさせ、そんな十字架回収委員会のことを大学生風の若者たちが研究する――といった構図だ。そんな自分たちのことを、大学生風の若者たちは「理解するだけで自己完結してしまうチャチなコマネズミ」だと卑下する。自分自身が何かを燃やすことではなく、そうして解釈の連鎖だけが延々と続いていく――その不幸を、大学生風の若者たちと一緒にいた女性は「ぼく」に語る。

「(…)私たちが大人になって、つまり大学生になった時には、もう例の十字架回収委員会とかなんとかがいっぱい活動していたんですもの。大きな理想を抱くとか大志を抱くとかいうことは、単純でナンセンスだって感じをとっくに通り越して救済の手をさしのべてやらなくちゃいけない憐れみの対象にまでなっちゃっていたんですもの。でも、それではあとに来た私たちはどうすればいいの? あとはもう見るだけ、観察して研究して解釈するだけ……、ほんとにコマネズミになるだけ。淋しいわ。分るでしょう?」

 あとはもう見るだけ――そんなふうに考えていた女性だが、この日、新宿に足を運んだことで考えが揺らいでゆく。新宿といえば、これまでは伊勢丹と高野くらいしか知らなかったが、こうして新宿にいると、「この私が生きているこの地球の運命を占うような、世界中の意味ある出来事という出来事が、みんなシンボリックな形でこの新宿に集っている」ような気がする、と。

 「もちろん私は、頭では、そんなことはないって知ってるように思うわ。あの二人が考えているように、私たちの世界は、もう見て解釈してホッとするみたいにしてやっとなんとか一時しのぎを続けるだけ。あとのこと、目の前のこの熱気みたいなものは、みんな見せかけのお祭り騒ぎにちがいないって、よく分ってるように思うの。ちょうど私が、この新宿でのお祭り騒ぎのあとには永くて平凡な日常が待っているにちがいないって。でもね、いくらそう思っても、いえ、そう思えば思うほど、かえって私のこの胸が騒ぐの。このお祭り騒ぎのヴァイタリティのそのものすごさに圧倒されればされるほど、妙に不安になるの。なんていうのかしら。これ以上どうしたらいいのか、とでもいった気持……。たとえば、なんだかよく分らないまま、とにかく私たちの世界はもう、何かの頂上に着いてしまった、とでもいったみたいなことね。分水嶺っていう言葉があるでしょう? その分水嶺が今、たった今足の下にあるっていうような気持。そして、だからもう、ちょっと動いたらすべてが変って、そして何かが決定的に決ってしまうというような気持」

 こうしてやりとりをしているのは、新宿の風月堂だ。そこには「前衛芸術家風(?)とでもいうのかヒッピー風とでもいうのか、それぞれ気ままな現代風俗で身ごしらえした若者たちが店いっぱいに溢れていた」。そんな風月堂で、「ぼく」は一年前のことを思い出す。

 (…)そう、ちょうど七月六日の土曜日の夜のことで、その翌日の七夕の日には、石原慎太郎、青島幸男が一、二位で当選し、他にもいわゆる「タレント」といわれる人々がやたらと活躍した画期的な参議院議員選挙があった。そしてぼくと小林は、あっちこっち一晩中ウロウロしてとうとう朝まで新宿にいた。そしてそう、わずか一年前のことだけれど、あの時は小林のやつにしてもずい分威勢がよかったものだ。なにしろちょうどスチューデント・パワーは世界中で燃えていて、東大でも全共闘が安田講堂をカッコよく選挙していて、すべての規制の権威は明日にも崩れそうだったし、一方では芸術からファッションまで、この新宿を中心として新しいエネルギッシュな動きが次から次へと生まれ出ていて、小林個人にしたってすごい鼻息で、真也を過ぎてもまだ新宿中に溢れている人々の群れを見ながら、新しいとんでもない時代がいよいよやってきたぞ、なんてはしゃいでいたのだ。そういえばあいつ、この春以来だんだんおとなしくなってしまっているようだけれど、今頃何をしているんだろう?

 ところで、この日、「ぼく」が変装して紀伊国屋書店にいたのは、週刊誌の記者と会うためだ。同級生の高橋が自殺未遂をして、そのことを知った週刊誌の記者が高橋の親に「取材したい」と連絡をしてきた。戸惑った母親は、高橋が親友だと語っていた「ぼく」に――「ぼく」のほうでは親友という意識はなく、同級生のひとりだったのだが――相談し、記事にしないようにお願いするために週刊誌の記者に会うことにしたのだ。その取材をきっかけに、クラスでは目立たなかった高橋が、この時代の熱気の真ん中にいたことを少しずつ知ってゆく。高橋は「一月の初め、例の安田講堂のところで」——つまり、1968年から全共闘が占拠していた東大・安田講堂が、機動隊の投入により封鎖解除となったとき―—「一人でポツンと立って」いたのだと記者は語る。「ぼく」はさらに、高橋が新宿で巻き起こっている「事件」に深く関わっていたことを知ってゆく。その「事件」の首謀しているのは「葦舟」で、「ぼく」は彼らが根城とする場所にたどり着く。その場所まで「ぼく」を案内してくれた人物は「サカナヤ」を警戒している。

 「さっき言ってたサカナヤってのはなんなんだい?」
 (略)
 「ほら、テレビとか週刊誌とか、マスコミでいろいろやる人たちのことよ。」
 「え?」
 「ほら、すぐさ、きみたちは新鮮だとかその話はイキがいいとか悪いとか、そんなこと言うじゃない。」
 「なるほどね。」
 「悪い人たちよお。」と彼は声をひそめた。「なんていうの? 若いコがいろいろ意気がって新宿に出てきたりするでしょ? そうすると、なんでもものすごくオーバーに面白がってね、すぐ、テレビに出る気がないか、なんてきくわけよ。若いコなんか、もうすぐ昂奮して一所懸命になっちゃったりするわけじゃない?」

 そうしてそそのかされてしまった一つの例として、彼は自殺してしまった女の子のことを語る。母親がおらず、学校が嫌いな女の子がいた。サカナヤたちは「学校が嫌いなのは、学校の方が悪いからじゃないか」「そのことをテレビで自分で言わないか」とはやしたて、テレビに出演させる。彼女もその気になり、学校をドロップアウトし、テレビ番組が評判を読んで週刊誌などにも何度か取り上げられる。ただ、そうして話題になっていたのは一ヶ月ほどで、それをすぎると忘れられてゆく。周りはもう誰もおぼえていないのに、彼女はテレビなんかに出演して活躍したことが忘れられず、今更学校にも家にも帰れなくなってガス自殺してしまった。そうするとテレビや週刊誌は再び「悲劇の女王」「現代の英雄」と囃し立て、葬式のことを記事にする。そんなふうに扱われた若者が数えきれないほどいたという。

 では、なぜサカナヤたちはそんなふうに若者たちを囃し立てるのか。そのことについては、「葦舟」でシヌヘと呼ばれている青年がこう説明する。

 「おれたちがほんとうの夢を持ったからさ。」と彼はかすれた声で言った。「もちろんやつらは、若ければ誰だっていいわけだ。あいつらの手口にかかると、みんないい若者、夢を抱いてて、世界を愛してる情熱豊かな若者になっちゃうんだ。そして、メチャメチャになっちゃう。みんな夢と情熱と可能性でいっぱいの、素晴らしい若者になっちゃう。(…)いいかい、きみ。もしね、お前たちはダメなやつだ、夢のない若者だってやられれば、おれたちはつまり安心して静かに生きられるじゃないか。ちょっとよいことをして満足もできるだろうし、ほんの小さな夢をこっそり持つことさえできるかもしれない、そうだろう? ところが彼は逆をやるんだ。彼らにかかるとみんな素晴らしい若者になっちゃうんだよ。(…)チャチな猫だと知ってるくせに、虎かもしれないってやるんだ」

 素晴らしい若者だなんて思っていないのに、素晴らしい若者に仕立て上げる。一体なんのためにそんな記事を書くのだろう?

 「復讐さ。」
 「なんのための?」
 「彼らは、この世界が嫌いなんだよ。」と彼はまたはき出すように答えた。「この世界で、まだ夢なんか持つ人間なんて目障りで許せないんだ。彼らはそうやって、この世界に復讐してるんだ。だってね、おれは、やつらが言ってるのをこっそり聞いちゃったんだよ。あいつはね、若者の時代はもう最終的に終った、なんて言ったんだよ。若者が世界を動かすという夢なんてもう最終的に滅びようとしてるんだってさ……。」

 この小説では、電話が重要なツールとして機能する。当たり前だが携帯電話はなく、喫茶店から電話をかけたり、喫茶店にいるところへ「ぼく」宛に電話がかかってきたりする。いつでもどこでも連絡できるわけではなく、そのことが何かを生じさせる。「ぼく」は、ときどき同級生の小林に連絡をとる。「ぼく」が見聞きした話を聞いた小林は、こう語る。

 「(…)いや、おれの方はたった今突然に分って、とたんに納得してしまったんだ。恐しいもんだな、このスピード。いや、おれのスピードじゃなくこの時の流れみたいなもののスピードのことだけど。しかしなあ、その、若者の夢が駄目ということは、要するに言葉の本質的な意味において、青春がなくなるってことじゃないか?」

 この小説の中で重要な問題となっているのは、若者の夢(とその終焉)だ。「葦舟」が敵視している新聞記者は、「ぼく」にこう語る。

 「つまり、高橋くんが最終的に辿りついたらしい見解はね、この世界ってのは、若者の夢とか情熱をエネルギーにして燃えていてね、そしてこの新宿なんてのは、そのエネルギー源になる若者をつかまえるための典型的な罠で、この罠にはまった若者はたちまち細いタキギみたいに燃えつきちゃう、っていうようなことらしかったんだな。(…)高橋くんによれば、そんなことは許しがたいんだ。つまりそんな、若者をいけにえにして、その夢とか可能性を食い物にして活気を維持しているような世界は許せないってことになるわけだね。」

 その構図については、サカナヤである男も同じように認識している。ただ、記者である彼は、それを許し難いことだとは考えていない。夢を燃やそうとした若者が新宿にやってくる。その夢は薪程度の夢でしかなく、そんな夢を抱えて新宿に出てきたところで、すぐに燃え尽きてしまうのは目に見えている。そこで「こんなところに出てきてもすぐに燃え尽きてしまうんだから、おとなしく家に帰りなさい」と教えてあげるのが正しい対応なのか―—。記者である彼はそんなふうに考えておらず、だからこそ若者たちを追い、記事を書くのだと語る。それは決して食い物にしてやろうという気持ちからではなく、「こりもせずに若者の夢と情熱に期待し続けた」。そして「そこにすべての問題があったと思うわけなんだ」と彼は言う。だが、その期待が実を結ぶことはなかった。

 「ということは……。」
 「そう。要するにね、少くともぼくが生きている間でのことだろうがね、若者の時代はもう最終的に終ったんだということだな。」と彼はあっさりと続けた。「なんていうのかな、要するに若者がね、その青春という限られた時期に短期決戦で世界を動かすという種類の試みが、このたった今、最終的に敗北しつつある、ということなんだろうね。ということは、あとは言ってみれば、誰にとっても年甲斐もない馬鹿騒ぎ、といった感じの長い人生が残るということになる。湿った薪みたいにいつまでもジクジク燃え続けて、決して炎にならない煙を出してはお互いに咳きこむ、といったわけなんだ……。」

 ところで、僕が読んでいるのは、2012年に新潮文庫から刊行された『ぼくの大好きな青髭』だ。この文庫本には坪内祐三による解説がある。

 この連作(『ぼくの大好きな青髭』は、庄司薫による「赤・黒・白・青」の四連作——「赤頭巾ちゃん気をつけて」「さよなら怪傑黒頭巾」「白鳥の歌なんか聞えない」——の一つである=引用者注)の主人公である庄司薫は一九六九年春に都立日比谷高校を卒業し、東京大学の入試中止のあおりを受けて浪人を余儀なくされた青年だが、この連作は現実世界とほぼリアルタイムで時が進んで行くのだ。そのタイムラグはせいぜい一年(いや数ヶ月)に過ぎない。
 ところが「ぼくの大好きな青髭」の連載が『中央公論』で始まったのは昭和五十年新年号からだ。連載は二十四回(丸二年)に渡り、単行本になったのは昭和五十二年七月。
 つまり『白鳥の歌なんか聞えない』から『ぼくの大好きな青髭』まで六年以上の時間が経っているのだ。
(略)
 私たちは、その間に起きた事を知ってしまっていた。
(略)
 それはもちろん「よど号」ハイジャック事件であったり三島由紀夫事件であったり成田新空港をめぐる三里塚闘争であったりするのだが、最大の「その事」は連合赤軍事件である。


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