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向井秀徳、「らんど」を語る(4)

 ZAZEN BOYSにベーシストのMIYAが加入したのは、2018年のことだった。新しい体制となったZAZEN BOYSによる初めてのライブが行われたのは、那覇市の久米にあったライブハウス「output」だった(「output」は現在、那覇市牧志に移転して営業中)。

 『らんど』のリリースを記念した全国ツアーでも、4月20日に沖縄公演が行われることになった。当初の予定では、この日にインタビューを収録するつもりだったけれど、その晩は打ち上げが大いに盛り上がり、インタビューの収録は叶わなかった。それでも、どうにかして沖縄で話を聞くことはできないかと考えていたところ、6月1日、コザのミュージックタウン音市場で開催されるイベントに、向井秀徳アコースティック&エレクトリックが出演することを知った。

 『らんど』に収録された――そして、アルバムのリードトラックとしてミュージックビデオも制作された――「永遠少女」については、沖縄で話を聞きたいと、ずっと考えていた。それは、僕自身が沖縄に通い、沖縄の歴史を掘り続けているせいかもしれないけれど、この曲をライブで初めて聞いたとき、僕の脳裏に浮かんだのは、かつて沖縄という土地で起こった出来事の数々だった。

 もちろんそれは、僕の個人的な思い入れであり、思い込みだろう。4月20日、沖縄公演後の打ち上げの席でも、「永遠少女」は沖縄のことだけを歌っているわけではない、と向井さんははっきり語っていた。それでも、機会があるなら、沖縄でインタビューを収録させてもらいたいとお願いをして、6月2日の朝、向井さんが宿泊しているホテルにて、インタビューを収録することになった。向井さんの傍にはオリオンビールのロング缶が置かれているのを横目に見ながら、レコーダーのスイッチを入れた。ここに書き綴るのは、そんな旅の記録であり、対話の記録である。(聞き手・構成 橋本倫史)


――コザでライブをするのは、昨日が初めてだったんですか?

向井 そうね。初めてです。ただ――それより、あの、あなたの旅の本、ありますよね。

――はい。『観光地ぶらり』。

向井 あの本の帯に、あなたの姿を描いたイラストが載ってますよね。可愛らしい感じに描いたイラストがね。あれね、とっつきはいいと思うんだよ。ただ、その気安さっていうのは、橋本という人間が見る風景ってものと、ちょっとギャップがある気がするんですよね。もっと、松本清張みたいなさ。吉村昭みたいなさ。あるいは上原善広さんみたいな、路地の中に埋没していって、自分自身はこの風景にどんな溶け込み方をしてるのか、自問自答する。この場所にはこういう記録があって、記憶があって――場所と自分の邂逅というかね、土地の記憶と自分の記憶が重なり合う。そういうことでしょうよ。

――そうですね。

向井 だから、橋本も俺も、やってることは同じようなところがあると思うんだけどね。ただ、今日はコザにいますけど、「自分は今どこにいるのか」という現在地点をいちいち確認しながら生きてるわけではないんですけどね。あなたは商売柄、そういうことをすると思うけど。ワタシの場合、たまたまここにいるっていう。時には現在位置不明になる瞬間もありますよね。そういうときって、面白かったりするんですよ。「あれ?」とか言ってね。別に現在位置不明になることを求めてるわけじゃないんだけどね。「ふらふらしてんなー!」と。「俺、ふらふらしてんなー!」と。そうなってくると、自分の年齢も不明になってくる。「あれ? 俺、昨日は16歳だった気がする」「ああ、もう50超えてたわ」と。そういうの、嫌いじゃないんですよ。

――じゃあ、現在位置が不明になったとしても、それをはっきりさせるために、あちこち歩くわけでもなく。

向井 そうね。そのふわふわ感に乗っかっていたいのかもしれないです。そういう状態は嫌いじゃないということですね。そういうわけにはいかないからさ。ひとりの社会人として、ひとりの大人として、そういうわけにはいかんわけだ。ふわふわしたまま突っ走る人もいるけど、そういう人はロックンローラーだね。ライク・ア・ローリングストーンですね。


「俺らの目的は、人に聞かせることですからね」


――2018年にMIYAさんがZAZEN BOYSに加入されるとき、MIYAさんが沖縄在住だということもあって、他の皆さんが沖縄に通ってリハを重ねられてましたよね。それで、新体制で一発目のライブも、那覇の「output」で開催されましたけど、そのライブの前日に那覇で飲んだときのことが、すごく印象に残っているんです。そのとき向井さんは、「ワクワクするのと同時に、緊張感がある」とおっしゃっていて、それが意外な感じがしたんです。ZAZEN BOYSのライブは、その日の一発勝負というより、スタジオで何度となくリハを重ねて、鉄壁とも言えるサウンドを作り上げて、ライブで披露するという印象が強いんですよね。新しいメンバーを迎えて最初のライブであるにしても、「緊張感がある」というのが意外に感じられたんです。

向井 練習とか、するんでしょうけどさ。練習を100回しても、1回のライブをしないことには始まらないということですね。練習というのは、言ってみればシミュレーションということになりますよね。ギターであれば、こういうふうに弾いたらいいんじゃないか、と。このフレーズを弾いたらいいんじゃないか、と。ギターを弾くのが楽しいというのであれば、そこで完結するんだけど、俺らの目的は人に聞かせるということですからね。そのために練習するんだけども、そこでこう、「このフレーズをうまく弾けたら、人はどう思うか」ってことは考えながらやるわけです。

 ただ、100回練習して、「これはもう完璧に弾ける、やったぜ」と思っても、それは自己満足なんですね。いや、自己満足で終わってもいいんですよ。嬉しい、やった、気持ちいい、と。それも音楽なんです。自分が楽しけりゃいいんだから。でも、その向こうには、聞く人がいる。相手がいる。そうすると、100回練習して完璧に弾けるようになったフレーズを、1回の本番で鳴らしたときに、「で?」って言われることもあるわけだ。「で、どうした?」と。「だからなんだよ」と。自分としては完璧だったつもりなんですけど、すいませんでした、っていうね(笑)。そういうことは、よくある。これはもう、コミュニケーション絶望状態ですね。そういう状態はよく知ってますよ。


ーー練習を重ねたところで、それが本番でうまくハマるわけではない、と。

向井 ええ。ただね、これ、「じゃあ練習しても無駄やろ」ってなるかというと、そういうことじゃないんだよね。自分が聞かせたいこのギターのフレーズを練習して、「聞いてくれ!」って本番に臨んでいくことは必要だし、その気持ちが原動力になるからね。このギターのフレーズを聞かせたいからライブをやりたい、と。でも、必ずしも疎通はできないんです。だからこそ、ライブというのは空気が重要になってくるし、お互いの心情と心情の関わり合いが重要になってくるわけです。


「絶対的な存在感というのがないと、バンドはやりたくない」


――4月には那覇でZAZEN BOYSのライブがあって、昨晩はコザで弾き語りのライブでしたけど、今のお話からすると、バンドのアンサンブルがどうなるかってところはあるにせよ、リハーサルをいくら重ねても本番どうなるかわからないっていう緊張感があるという点では、バンドでもソロでも変わりはない、ということですか。

向井 ソロでやるときは、全方向から自分に責任が集中しますよね。それはでも、ナンバーガールをやってるときから、おんなじことやけどね。結局のところ、俺がケツを持たないといかんわけだ。これね、皆思ってますよ。バンドだろうがソロだろうが、「このメガネが」と。これはね、ライブの出来がよかろうが悪かろうが――いや、違う。良いときはね、「誰々の演奏が素晴らしかった」という話になるんだ。でも、悪かったときは、メガネの責任になる。これもう、メガネ代くれやって思うけど。でも、それがバンドなんです。

 だから、バンドであろうがソロであろうが、責任の重大性は変わらないんですね。どっちにしろ、メガネが背負い込んでおりますもんでね。でも、我々がやってるバンドは、メガネがやってるということなんです。でも、良いときはもう、「誰々の演奏が素晴らしかった」って、ワタシ以外の誰かが全部持っていく(笑)。ただ、それでいいんです。非常に個性が際立っている人たちの集まりというのがワタシの求めるところだからね。「あれ、ベースの人、いたっけ?」みたいなバンドも、世の中にはいるかもしれない。「あれ、ベースの音、鳴ってたっけ?」と。そうじゃなくて、絶対的な存在感というのがないと、バンドはやりたくないからさ。ただ、その終着点にはメガネがいるっていうのは事実なんですね。


「戦争つうのはそういうもんだろうと、想像したいんだな」


――今回の『らんど』を聴いたときに印象的だったことのひとつは、こどもたちの姿なんですね。たとえば「ブッカツ帰りのハイスクールボーイ」も、部活帰りの高校生たちの姿が曲になっている。その姿から呼び起こされた自分自身の記憶を歌っている部分もあるとは思うんですけど、歌詞の中にこどもの姿が登場することが増えているなと思ったんです。

向井 そうですね。見えてきたよね。こどもの姿っていうのは、これまでそんなに目に入ってこなかったかもしれないけど、まさに年齢を重ねることで見えてきた部分はあるんです。年をとればとるほど、黄泉の国へ近づいていくわけだ。それとは反対に、こどもっていうのは、これからいろんな人生が始まっていく。ストーリーが始まっていくわけですよ。年をとると、自分の終着点が見えてくるからこそ、これから始まっていく存在が気になってくるところはあると思うんですよね。そして、街の中でも、こどもの姿が見えてくる。そういう部分はあるんじゃないかと思います。

――今のお話ともどこか繋がってくるところがある気がしますけど、今日は「永遠少女」について話を伺いたいと思っているんです。この15年ぐらいですかね、「自問自答」を歌うときに、「1945年」という年号であるとか、「6月23日」、「8月6日」、「8月9日」という日付を口にされることが、ライブではごく稀にあったと思うんです。だからきっと、それは歌詞として書かれる言葉ではなくて、ライブでだけ語られる言葉なんだろうと思っていたところがあって。だから、「永遠少女」を聴いたとき、かなり驚いたんです。

向井 曲の始まりにはよくあるパターンなんですけど、ギターのコードがまずあるんですね。ギターコードのリフね。「永遠少女」という曲は、EマイナーセブンスとFメジャーセブンス、このふたつのコードしかないんです。この2コードを繰り返して、ずっと突っ走る。これがワタシの中でビリビリきまして、これを曲にしたいと。この2コードのみでドライブさせるためには、相当なテンションが必要だし、やはり言葉の圧力が必要だ、と。

――言葉の圧力。

向井 それを表現するとしたら、「人間ちゅうのはこんなもんだ」っていうことを、はっきり言う、と。そこから始めたわけです。この世の中は嘘ばかりだ、と。特に大人は嘘にまみれている、と。でも、人間というのはそういうもんなんです。それを表すとすれば、たとえば1945年の戦争中にはこういうシーンがあっただろう、と。私はそのとき生きてないし、見てもいませんよ。でも、ある場所では、こういう場面があったんだろう。戦争中には、言葉に表せられないぐらい凄惨な、壮絶なシーンが山ほどあったんだろう。それを歌の中の表現する。この歌詞とは比べられないぐらいの、もっとヘヴィなことがいっぱいあったはずなんだ。こんなもんじゃないですよ。戦争つうのはそういうもんだろうと、想像したいんだな。想像をするべきだと思ったんですね。人間というのはこういうもんだということを踏まえた上で、じゃあどうすりゃいいかって言ったら、想像するしかないだろう、と。「正しく生きましょう」とかじゃなくて、想像するしかないんですね。つらい情景を歌うことによって、少しでもイマジネーションに繋がればいいなと思ったし、これを今歌わなきゃいけないという、ある種の使命感みたいなものは少なからずある。


「自発的に、ひとりひとりとして想像したり、ものを考えたりしたい」


――『らんど』がリリースされるおよそ1年前、2022年の2月に、ロシアがウクライナに侵攻しました。今まさに戦争が巻き起こっている状況を前にしたときに、この曲を歌わなければ使命感が生まれた、と?

向井 この曲はもう、2021年には大体出来ていたんです。それが2022年になって、世界がますます深刻な状況になって――そういう状況の中で、アルバムをリリースする前から、ZAZEN BOYSのライブでは「永遠少女」をずっと歌っていたんですけど、これは非常にツラいんですね。でも、この曲は歌うべきだろう、と。そして、アルバムのリード曲として、ミュージックビデオも作ったほうが、いろんな人に届くんじゃないかと思ったわけです。そうやってこっちからのメッセージをぶつけてるっていうところでは、他の曲とはちょっとだけ違うかもしれないですね。

――さっき向井さんがおっしゃった、「想像するべきだ」だというのは、とても印象的な言葉だなと思ったんです。ただ、「想像する」って、結構大変なことだと思うんですね。自分以外の誰かを、こことは違うどこかを想像し続けるのは、かなりタフな作業だと思うんです。だからこそ、想像し続けることは難しいし、戦争も起こってしまうのかもしれない。それでも「想像するべきだ」というのは、なぜそう思われるんでしょう?

向井 ワタシはまだ50年しか生きてないんだけどもね、少なからず感じ取るものがあるわけですよ。それこそ世の中の空気として、ある種のあきらめを感じる。「もう、どうだっていいや」と。そういう気分が、全世界的ににじみ出ているような気がしてならんのですよね。「いろんな物事を考えずに、お気楽に過ごしたい」と。そうやってものを考えるのをやめてしまうのは、やっぱりよくないことだと思うんですね。「自分で考えるのは面倒くさいから、誰かの考えにのっかっておこう」――そうじゃなくて、自発的に、ひとりひとりとして想像したり、ものを考えたりしたいと思っているんです。そうやって自分自身で考えるっていうことをするべきだと、ワタシは思っているんですね。わからないなら、探してほしい。そういうメッセージはぶち込んだよね。

――曲の最後に繰り返される「探せ」という言葉は、すごく強く響いてきます。この曲の最後にどういう言葉を置くかっていうときに、いろんな言葉がありえたと思うんですけど、最後に何か一言手渡すとしたら、「探せ」ってことに尽きる、と?

向井 そうだね。こっちから与えられるものなんか、何もありませんよ。そんなものはないんです。自分がどうするかってことでしかないんだから、それは探してほしいね。見つめてほしいね。


「「永遠少女」が、2024年の話として、そのまま成り立ってしまう」


――ちょっとしつこい感じになるかもしれませんけど、「永遠少女」について、もうちょっと話を伺っておきたいことがあるんです。さきほどの話で、2コードで引っ張るためには、言葉の圧力が必要だって話がありましたよね。

向井 ええ。

向井 言葉の圧力ということで言うと、たとえば「自問自答」も、非常に強い圧力を持った言葉が込められた曲だと思うんです。ただしそこで言葉にされているのは、向井さん自身が見た都市の光景と、そこで自分の脳内に生じた思考だったと思うんですね。それに対して、「永遠少女」は、自分自身が経験していない1945年という時代のことを歌詞にしている。そこで1945年を歌にしようっていうのは、どういうところから生まれてきたものだったんですか?

向井 凄惨な場面っていうものを表そうと、意識的に思って歌うわけですけども。たとえば、新宿・歌舞伎町で、ヤクザ者同士の喧嘩を見たとしましょう。ヤクザ者同士が喧嘩を始めて、ナイフを取り出して、目玉をくり抜いた、と。そこに警察官がやってきて、止めに入ったんだけれども、そのときにはもう目玉はなくて、指は5本全部なかった、と。それを俺はずっと見ていた、と。そこまで凄惨じゃなくても、もっとスモールなシーンはいっぱいあると思います。でも、目玉が飛び出たヤクザ者の顔というのは、私が歌ったとしても伝わらないと思うんですね。そういうシーンじゃなくて、誰もが想像できる場面が必要だと思ったんです。それは2011年の震災の場面なのか、1969年のデトロイトの場面なのか――そうやって考えていくと、昭和20年、1945年という言葉が持つ響きというのは、とても強いわけですね。そこで何があったのかといったら、戦争ですよ。それは日本だけじゃなくて、全世界が戦争の真っ只中でしたよ。俺は習った、それを。ただしそれは、2022年、2023年、2024年というのも、戦争真っ只中かもしれない。「永遠少女」の歌の内容が、2024年の話として、そのまま成り立ってしまう。それはね、やっぱり嫌なんですよ。怖いんですよね。

――1945年の光景が、今また繰り返されてしまうのがおそろしい、と。

向井 1945年に何があったのか。沖縄の西海岸から始まった戦いがあった。東京では3月に空襲があった。8月には人類史上稀に見る大殺戮があった。そのいろんな場面を、歌の中でひとつひとつ詳しく言うことはできないんだけどね、「1945年」っていう一言で、その数字だけで、改めてびくっとすると思うんだよね。びくっとしろや、と。知らないわけがないと思うんだよ。知らないなら教えたろって思うけど、大人だったら絶対知ってるわけだ。だから、ここに一瞬だけ、びくっとしろや、と。そのために放ったよね、「1945」って数字は。それだけですね。そこで何があったかって、それは説明しませんよ。

――1945という数字は、どの土地にも関係があるものだとは思うんです。どの土地も戦争と無関係ではなかったでしょうし、どの土地にも戦争の記憶は刻まれていると思います。ただ、ここ沖縄という土地は、地上戦が繰り広げられた場所で、まさしく「永遠少女」に出てくるような光景が巻き起こっていたと思うんですね。今ここにライブを聴きにくる人自身は戦争を経験していなかったとしても、それこそ母親やおばあちゃんが体験したという人たちがたくさんいるわけですよね。「永遠少女」は沖縄だけをモチーフに描かれた曲ではないと思うんですけど、沖縄で演奏するにあたって、プレッシャーを感じるというところはあるんですか?

向井 ワタシはね、背負い込みたくない人間なんです。できれば責任逃れをしたい人間なんです。ただし、こういう歌を歌っている以上、そうも言っていられないんですね。これは「自問自答」ができたときにも思ったことなんだけれども、どうしてこういう曲を歌わなければならないんだろうって、自分でも思うわけです。でも、歌が出来るときって、そういうことなんだよね。「世間がラブ&ピースなムードになってきてるから、ここらで一発ハンセンソングを」って――そうやって作られる曲もあるとは思うんですけど、ワタシの場合、そういうのは無理なんだよね。時代のムードにのっかって、人を元気づけよう。皆が弱っているから、元気づけよう。そんな責任感は背負い込みたくないわけだ。じゃあ、なぜ「永遠少女」という曲が出来上がったのか。それはやっぱり、自分自身の中に、「これを歌わなきゃいけない」って気持ちがあって生まれてきた曲なんでしょう。今のZAZEN BOYSのバンドサウンドをもってすれば、こういう曲が歌えるんじゃないかと思って作り上がったんでしょう。それは――1945年の状況と、2045年の状況は、ある場所ではまったく同じかもしれない。もっと酷いかもしれない。だから、非常につらいんだけれども、歌わざるをえないということになったんだと思う。思ってしまうよね。自覚なきままに歌が出来上がってしまうということは、ほんとに数少ないことなんですけども、「永遠少女」がそういう曲であることは確かですね。それを沖縄で歌うことに意味があるかどうか、自分の中では意識してないんだけどね。どの土地であっても、今この曲を歌うってことの意味合いであれば、日々感じてますね。

第5回に続く
2024年6月2日 沖縄県沖縄市にて収録


ZAZEN BOYS 日本武道館公演決定!!


武道館ではメンバーの誰もがコードを全く憶えていない名曲などを含め豊富なセットリストを組み、二部構成をもってして3時間超の公演を行う。(向井秀徳)

ZAZEN BOYS MATSURI SESSION
2024年10月27日(日)日本武道館
出演 ZAZEN BOYS
開場16:00 開演17:00
前売 ¥8,800
一般発売:8月18日(日)10:00~

(問)ホットスタッフ・プロモーション
050-5211-6077<平日12:00〜18:00>

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