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第6回「市場中央通り第1アーケード協議会アドバイザー」

 まちぐゎーには、アーケードが張り巡らされている。このアーケードは、県内各地にスーパーマーケットが増え始めた時代に、お客さんを繋ぎとめようと通り会が独自に設置したものだ。年季の入ったアーケードを見上げ、継ぎ目をみると、時代の断層に触れたような心地がする。

アーケードが撤去される直前の市場中央通りの様子(2020年1月5日撮影)

 那覇市第一牧志公設市場の建て替えが始まると、市場に面した三面のアーケードは撤去された。市場の北側と西側の通りはアーケードを再整備しない道を選んだが、市場中央通りの第1街区では、再整備に向けた協議が重ねられている。この市場中央通り第1アーケード協議会でアドバイザーを務めているのが、社会学者の新雅史さん(48歳)だ。

 北九州市出身の新さんが初めて沖縄を訪れたのは、20代前半のころ。ピースボードに乗船して各地をめぐる中で、沖縄にも降り立った。

 「最初に沖縄に来たときは、戦跡や基地のある郊外は巡ったんですけど、まちぐゎーには全然来てなかったんです。それで、2012年に『商店街はなぜ滅びるのか』という新書を出したあと、ボーダーインクの新城和博さんから電話がかかってきて、『新さんの本はまちぐゎーとも重なる感じがするので、一回那覇で講演会をしてくれないか』と呼んでもらったんです」

 こうして2013年、現在仮設市場が建っている場所にあった「にぎわい広場」で新さんの講演会が開催された。その折に、新城さんの案内で初めてまちぐゎーを散策し、「迷路のようで面白い場所」だと感じた。

えびす通りの様子(2022年9月撮影)。新たに横丁がオープンしていた。

「20代で初めて沖縄に来たときに、基地とリゾート地をめぐったので、沖縄には郊外的なイメージを持っていました。それから20年経って新城さんにまちぐゎーを案内してもらい、広大なイメージと対照的な風景が——あまりにも密集した商業地域が広がっていることに驚いたんです。そのとき、“広い沖縄”と“狭い沖縄”——この2つの沖縄を同時に把握するのが大切なんだろうと思いました。社会学で沖縄をテーマにすると、どうしても基地というテーマが前面に出がちなんですが、商業地域が密集した“狭い沖縄”を同時に描かないと、フェンスの向こうに広がる占拠された空間の広さの意味が見えてこないんじゃないかと思ったんです」

 最初のうちはまちぐゎーの歴史に関する聞き書きをしていた新さんが、アーケード協議会のアドバイザーとして地域にコミットするきっかけとなったのは、2018年に開催された忘年会だった。その年に公開された新市場のイメージ図には、アーケードが描かれていなかった。このままだと、アーケードがなくなってしまう。どうにか再整備に手を貸してくれないかと店主たちに頼まれて、アドバイザーを引き受けることに決めた。

  「もともとピースボードにかかわっていたこともあって、プロジェクトにコミットすることに対して、拒否反応がありませんでした」と新さん。「アーケードのプロジェクトに関わったのは、もうひとつ理由があります。東日本大震災のときに、被災地に関わる機会があったんですけど、そのときに、起きている事態を客観的に観察する“研究者”なのか、起きている状況に関わっていく“実践者”なのか、自分の立ち位置を明確にできていませんでした。復興に向けて、さまざまな資源が注がれていくなかで、起きている出来事をただ観察する“研究者”という関わり方はとても難しかった。自分の立ち位置が半端なままで復興に関わったことで、いろんな人に迷惑をかけたのではという後悔を今でも持っています。今回のアーケードのプロジェクトは、個人的に、その行く末を見届けたいと思いました。ならば、研究者として半端に状況にかかわるのではなく、その状況にためらわず巻き込まれようと思いました。そして、アドバイザーになったからには、かならず新しいアーケードの完成までこぎつけようと。それが実現しなければ、私がかかわる意味はまったくないと思いました」

平和通りのアーケード

 アーケードの再整備には、越えなければならないハードルがいくつもあった。まちぐゎーに設置されているアーケードの多くは建築基準法と消防法を満たしていない「違法建築」とされており、再整備する場合には基準を満たした設計にする必要があるというのが那覇市の方針だった。ただ、それには莫大なコストがかかる上に、たとえ再整備した箇所が合法であっても、それを「違法」なアーケードと接続した場合すべて基準を満たしていない建築物と見做されるというのが担当者の見解だった。また、アーケードの再整備に向けて地主と大家の同意を得るようにと告げられたものの、まちぐゎーの土地所有者は細かく入り組んでおり、全員の同意を得るのは容易なことではなかった。何より、予算の問題がある。高いハードルがいくつも待ち構えていたけれど、アドバイザーを引き受けた新さんには「なんとかなるんじゃないか」と楽観的に考えていたという。

 「東日本大震災の復興プロジェクトにかかわったときに、『経験』という言葉の意味について考えさせられました。研究者やコンサルは、復興のプロジェクトが進まなくても、自分のキャリアにその経験を位置づけることができます。でも、地域の方たちからすると、その経験は、やり直しがきかない一回きりの出来事です。研究者やコンサルは、“失敗を活かす”ことができる職業がゆえに、当事者の一回きりの重さをどう受け止めるかが、とても大切なことだと思いました。ただ、地域の方たちは、一回きりの重さがゆえに、身動きがとりづらいことがあると思います。たとえば、今回のアーケードのプロジェクトでも、那覇市から何度か『選択肢がない』と言われました。そのたびに当事者の方たちは、絶望的な気持ちになったようです。だけど、僕は沖縄の外側にいることで、他の選択肢を考えたり、調べることができる状況にいます。『内地にはこういう事例もありますよ』と、選択肢を増やすフィードバックをすることが自分の役割かな、と思いました」

市場中央通りと交差する松尾東線。こちらはアーケードを再整備しない予定だ。

 アドバイザーを引き受けてからは、2週間ごとに沖縄に足を運び、協議を重ねてきた。協議会会長の佐和田清昌さんや副会長の武藤三千夫さん、事務局の宇田智子さんなど——市場中央通りとしてお店を構える人たちが熱意を持って取り組む姿に背中を押されるように、まちぐゎーに通い続けてきた。

 「江戸期からある建造物や、明治・大正期の建造物は、“文化的なもの”として保存されやすい状況があります」と新さん。「ただ、戦後の建造物——特にまちぐゎーにある建物は、保存する制度もなく、知らず知らずのうちに壊されることが多い。でも、まちぐゎーの建造物やアーケードは、戦後の那覇を象徴する風景を形成しているという点で、文化的に重要な意味をもつと思います。既存のルールに基づくと、現在のアーケードに対して行政がさまざま言いたくなる気持ちもわかるんですけど、全国的にはいろんな例外もある。だから、アーケードを文化的なものと位置付けて、どうにか更新する方法はあるんじゃないかということを、協議会の皆さんと考えてきたんです」

今年2度目の火災に見舞われた北九州市・旦過市場(2022年8月11日撮影)

 那覇の市場も建て替えという節目を迎えているけれど、新さんの出身地・北九州にある旦過市場もまた、数年前から再整備に向けた計画が進められている。昔ながらの市場をそのまま残すか、真新しい建物にリニューアルするか——二者択一の議論になりがちだが、第三の道があるのではないかと新さんは語る。

 「現在の那覇の建物やアーケードは、現行ルールに基づいていないものが多いため、建て替えようとすると、とてもエネルギーが必要となります。だけど、だからといって、いまの環境を100年後にそのまま残せるかというと、それは無理だと思います。このあいだ旦過市場でも火事がありましたけど、ある程度、現行ルールに基づいて防災や防火のことを考える必要があります。『今のまま残すべき』と言うのは簡単だけど、自分の立場としては無責任かなと思うのです。ただ、防災や防火のために『再開発しないといけない』というロジックにも反対したい。現状維持と開発——このふたつのあいだに答えがあるはずだと信じているんですよね。人類学や社会学は記述することに重きを置く学問で、記述することは大切なことだと思うんですけど、街が大きく変わってしまうのを指咥えて見てるほど、私は学者に徹することはできません。まちぐゎーは沖縄の戦後を景観的に感じられる空間だと思うので、それをどう次世代に継承していくか。僕が10年近く前に感じ取ったようなことを、50年後の若い人が同じように感じ取れるような空間に出来たらなと思っています」

市場中央通りの第一街区に設置されている仮設アーケード(2022年9月10日撮影)

 新しい公設市場は、年末に竣工することになっている。それに先駆けて、現在市場中央通りに設置されている仮設アーケードは、10月には撤去される予定だ。新しいアーケードは、来年の完成を予定している。


市場中央通り第1アーケード協議会アドバイザー・新雅史さん


フリーペーパー「まちぐゎーのひとびと」
毎月第4金曜発行
取材・文・撮影=橋本倫史
市場の古本屋ウララにて配布中

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