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誰の「ために」やっているのか

サービスマンならお客様の「ために」

営業なら取引先の「ために」

学校の先生なら子供達の「ために」

全部間違いじゃない、そういう思いのなかに生まれる「想い」は偽りがなければ強い

実際現場とそうじゃないところにいる人達との温度は違う

「ために」ではできないこともあるかもしれない
自分だってそう。

最終的に「自分だったら」「自分がされたら」は大きな判断材料になる

聖人君子になんてなれないけれど、自分の中の大切な判断基準は裏切らない

ここに大切な事がある

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