見出し画像

★大川隆法、その生涯を振り返る。 幸福の科学ニュース特別号

筆者は2021年4月から、月刊「今月の幸福の科学ニュース」シリーズを連載。教団の最新動向などをお伝えしていましたが、同年9月から休載していました。しかし今年3月、教祖・大川隆法が突然亡くなったことを受け、久々に記事を書いてみます。

――――

大川隆法総裁が死去(享年66)

宗教法人「幸福の科学」を中核とし、教育事業や政治事業などを手掛ける「幸福の科学グループ」。その創始者で、絶対的なトップとして君臨し続けた大川隆法総裁が死去した。3月2日午後に各メディアが訃報を伝えた。

正確な死亡の経緯については議論があるが、2月28日に倒れ、病院に搬送されていたとする報道が多い。また、各社が「関係者の話」として死を伝える中、TBSは「捜査関係者への取材」としている。

ジャーナリストの山田直樹氏によると、「2月28日、自宅で脳梗塞の発作」と公安関係者が語っていたという(週刊実話WEB)。(教団広報は、『週刊新潮』3月16日号で脳梗塞を否定)

訃報はYahoo!ニュースの主要欄に掲載され、コメント数急上昇1位を獲得。ツイッターでは「大川隆法」がトレンド1位になった。

本記事では、元2世信者である筆者なりの視点で、故人の人生を振り返る。


総裁の経歴〜様々な物議を醸した人生〜

誕生〜1990年代前半

大川総裁は1956年、徳島県生まれ。宗教や思想に興味を持つ父親は、大川少年に「一番だけは違うよ」と"ナンバーワン志向"を説いた。猛勉強し、地方から1浪で東京大学へ。

大学では司法試験に落ち、女性にフラれ、大学院進学も断念するなど挫折を味わったと、著書で自ら告白していた。

1留で法学部卒業、総合商社に入社。"東大から総合商社"なら、三菱商事や三井物産のような名門かと思いきや、1975年時点で業界7位の「トーメン」(現:豊田通商)だった。

やがてスピリチュアル活動を本格化し退社、86年、幸福の科学を設立した。

当初、大川総裁は神を自称していなかった。また、一人で活動していたのではなく、父と兄と3人で、歴史上の偉人や神の言葉を降ろした「霊言」を発表。幸福の科学は「神理の学習団体」「人生の大学院」を標ぼうする集団だった。

だが1991年、教団は宗教法人の認証を得るとともに、大川総裁は、地球で最高の権限を有する全知全能の神「エル・カンターレ」を名乗るようになる。いわば"高学歴脱サラ系地球神"の誕生だ。業界7位の総合商社を辞め、"ナンバーワン"を宣言したのである。

父と兄は存在感を失っていき、総裁より先に亡くなった。
こうして教団は、"生きる神様"大川総裁を信奉する、個人崇拝的な宗教団体となった。

ちなみに筆者は、総裁がエル・カンターレになってから生まれた「2世信者」であり、総裁こそ神だと親に言われて育った。なので、かつて彼が神を名乗っていなかったとは、未だに信じられない気分だ。

90年代、総裁が東京ドームで講演する際に身に着けていた数々の派手なコスプレは、マニアの間で語り草となっている。

東京ドームで講演する大川隆法総裁。なお、羽は自動で動く
「ネオ・ジャパニーズ・ドリーム」より
同上

91年、週刊誌『FRIDAY』は教団に批判的な記事を複数掲載。これに対し教団は、発行元の講談社に対し、大量のFAX送信などの嫌がらせを行った。東京地裁はこれを「組織的で違法な業務妨害」だと認定した。当時の新聞記事を読むと、そのすさまじさが伝わってくるので、一部引用する。

東京地裁(藤村啓裁判長)は二十日、抗議行動の違法性を認め、一千万円を支払うよう幸福の科学側に命じる判決を言い渡した。教団側の請求はすべて棄却した。
(中略)
幸福の科学の会員らは(※1991年)九月二日以降、講談社に抗議の電話を間断なくかけ続け、ファクス文書も約五万五千通を送信。さらに、同社前に会員数百人が集まってシュプレヒコールを繰り返したり、社員の出社を妨害したりする行為もした。
判決は、「会員らの行動により講談社の業務に著しい支障をきたした」「ファクス文書は宗教活動としての品位を備えた相当な抗議文とは評価できず、その程度も到底社会的に認められない」などと述べ、一連の抗議行動は会員らの共謀に基づく業務妨害行為にあたる、と認定した。
 そのうえで、会員らの行動は幸福の科学の統一的指揮・指令に基づくものだったとし、「教団は民法が定める使用者責任を負う」と結論づけた。

1996年12月21日 
朝日新聞朝刊p25
「講談社への行動は違法 幸福の科学に賠償命令 東京地裁」
強調は筆者


いったん沈静化、そして2009年以降の激しい活動

総裁は、1990年代後半から派手な行動を起こさなくなるが、2009年に一転。幸福実現党を創立し、衆院選に337人という桁違いの候補者を送り込む。全員落選。その後も国政選挙に挑み続けている。

同09年から、それまでほとんど休止していた「霊言」を再び活発に行うようになる。教団は自らインターネット上に宣伝動画を公開。大川総裁はネット上で(ネタ的に)認知されていき、霊言は彼の代名詞となる。

これと前後して、妻・きょう子氏との不仲が露呈してゆく。「女神アフロディーテの生まれ変わり」とされていた彼女は、過去世を「裏切りのユダ」へ変更され、悪魔として扱われるようになった。

教団は「悪妻封印祈願」を行い、「悪妻よ なんじ この世に生まれてくる必要なし」とさんざん罵倒して教団から追放した。

参照 やや日刊カルト新聞:幸福の科学・教祖離婚時のトンデモ祈願映像流出!「汝は生きる悪霊なり」
http://dailycult.blogspot.com/2015/03/blog-post_36.html?m=1 

きょう子氏は週刊誌で教団の内情を暴露、教団は名誉毀損で訴える。
離婚成立から約1ヶ月後、29歳年下の教団職員・近藤紫央と結婚。余生をともにする。

2010年には、「幸福の科学学園 那須本校」が開校。全寮制の中高一貫校で、積極的な宗教教育を行っている。13年、滋賀県に分校である関西校も出来た。

15年には、大学ではないのに大学っぽい体裁の無認可校「ハッピー・サイエンス・ユニバーシティ(HSU)」が開学。これまでに推定約2000人の2世信者が、本物の大学や専門学校への進学を放棄して通う異常事態となっている。
筆者としては、いま世間で言われている統一教会やエホバの証人と同種の、深刻な「宗教2世問題」と捉えているが、その実態は世間に知られていない。マスコミが報じることもほぼ皆無という、憂慮すべき状況だ。

17年に2世信者・清水富美加氏が、女優の仕事を途中で放り出して芸能界を引退。教団職員になり、総裁から「千眼美子(せんげんよしこ)」と名付けられた。

18年、長男の大川宏洋氏が離反、YouTube上で教団を激しく批判。教団は彼を悪魔扱いし罵倒、さらに名誉毀損で訴えた。

2020年以降、新型コロナウイルス感染症が猛威を振るうなか、教団は様々なイベントを通常通り開催。大川総裁はいくつも講演会を開き、聴衆である信者のほとんどがマスクをしていないことをネタにして笑いを取る場面もあった。別の講演で総裁が、幸福の科学学園やHSUも休校せずに通常通り授業を行ったと語ると、聴衆は拍手を送った。まるで称賛されるべきことかのようだ。

さらに、信仰心さえあればコロナに対抗できる、とする文脈の中で、「信仰心無いやつから(感染して)死ね」と言い放つ霊言を発表した。(「草津赤鬼 コロナウイルス撃退説法」)

さらに2022年以降、総裁の"暴走"ぶりに、ますます歯止めがかからなくなる。例を挙げると、

・小説を執筆し、気に入らない実在の人物をモデルにした登場人物を死なせる
・ロシアを擁護し、ウクライナのゼレンスキー大統領を非難
・自らの音痴な歌唱音声を、一万円で信者に聞かせる(「原曲体感研修」各種)
・「LGBTQは地獄で釜茹でにする」という霊言を発表(「草津赤鬼の「色情地獄論・同②」)
・核戦争や地球滅亡の危機をあおり、それを回避するために教団への信仰を求める書籍、『地獄の法』を前面に押し出す

そんな中、今年3月2日、突然の訃報だったのだ。

最期の最期まで、教義の矛盾ぶりを露呈し続けた

先述のように、大川総裁はなぜか途中から神になってしまった不思議な人だ。そんな彼は、著作『黄金の法』で、2037年(数え81歳)ごろにこの世を去ると予言していた(新版で同記述を削除)。

今年1月には、大川紫央夫人に「最低90歳まで働け」と発破をかけられたと明かし、2050年(数え94歳)までには混迷する世界情勢にケリをつけたいと語っていた(「『地獄の法』講義」より)。だが実際には66歳でこの世を去った。

人類史上最高レベルの霊能力をもち、過去・現在・未来を見通せる仏陀の生まれ変わりを自称する大川総裁は、自身の最期をまったく予想できていなかったのだ。

おまけに、大川総裁は自称救世主で、時事問題にも積極的に言及してきた身でありながら、新型コロナのパンデミックを全く食い止められず、中国・ロシア・北朝鮮情勢など世界が混とんとする中、あっけなく亡くなった。これには多くの信者や2世の心が揺らいだのではないだろうか。教団はフライデー事件のころから、教団に批判的なマスコミ記事や出版物に「信者の信仰心を傷つける」と抗議を繰り返してきたが、当の大川総裁が、一番信者の信仰心を裏切ってこの世を去ったと言える。

かねてより、大川総裁はさまざまな物議をかもす言動により「最強の幸福の科学アンチ」と皮肉られてきたが、教団初期から最期まで、その姿に変わりはなかった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?