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なぜ人混みが嫌いなのか?

人混みが嫌いだ。

たくさんの人がいる場所に行くと、頭がぐるぐるして調子が悪くなる。

昔からそうだった。

どうしてだろう。ずっと分からなかった。

でもこの前、自分の中で納得のいく答えが見つけられた、

そんな気がした。

人混みが嫌いな理由

先日、久しぶりに新宿へ行った。

休日ということもあり、ものすごい人の量だった。

人混みが苦手な僕は、前日そこそこお酒を飲んでいたことも重なり、少し気持ちが悪くなっていた。

「どうして人混みが苦手なのだろう?」

半径1m以内に見ず知らずの人が何人もいることに突然違和感を覚え、ふとそんなことを思った。


昔から満員電車や遊園地が嫌いで、落ち着いたカフェや図書館を好む性格だった。

それが当たり前のことになってしまっていたから今更、人混みが苦手な理由なんて考えようともしなかった。

だけど新宿の人々を見ていて、どうして自分は人混みが嫌いなのか、分かった気がした。


都会にはたくさんの人がいる。

人間が集まるということは、そこには人の数だけ思いがあるはずだ。


友人との食事のためにお店へ向かう人、

恋人に渡すプレゼントを悩む人、

家族で観光をしにきた人、

一人で映画を観にきた人、

特に目的もなく、歩いている人もいるかもしれない。

その一人一人に思いがあって、どこかに"人間味"を感じる。


一人一人と話していたら感じるはずの"人間味"を、人混みでは感じない。

一人一人の人生があるはずなのに、

人混みになった途端、そのすべてが透明になって、まるでなかったかのように思えてしまう。


人混みが苦手な理由の一つは、パーソナルスペースに他人がいることによりストレスがかかるからであることは間違いないと思う。

ただそれだけではない。

人混みの中では、命ある人間が"人間"に見えない。

ただの"障害物"のように思えてしまう。

それが嫌いなんだと、今更気付いた。


では、一人一人に人生の物語があると感じながら人通りの多い街を歩けばいいのか。

できるはずがない。そんなことしたらきっと、頭がおかしくなる。


なぜ人混みが嫌いなのか?


あくまで個人的な見解だけれど、

「人間が人間でなく障害物にしか見えない事実に悲しくなるから」

というのが僕の答えだった。

新宿の街が僕に大切なことを教えてくれた気がした。


大人数の飲み会が苦手なのも、これに近いかもしれない。

さすがに参加している人たちが障害物に見えることはない。

だけど、人数が多ければ多いほど、一人一人の物語が薄まってしまう。

みんなの共通解を求めなければ、場の空気が盛り上がらない。

話題も限られてしまう。

一人一人生きてきた環境が違えば、興味関心も違う。

そんな人たちが10人も20人も集まって、「さぁみんなで楽しもう」と言うほうがむずかしい。というか無理だ。もし心から楽しめる人がいるなら、自分の正解を他人に押し付け、かつそれをどうとも思っていない人くらいだと思う。

そんな卑屈なことを考えてしまう僕でも、大人数がいる場で心から楽しめた集まりがあった。

どんなに仲のよい人だったとしても会って話すと疲れてしまっていた自分にとってそれは、驚くべきことだった。

結婚報告会

大学の友人が後輩の女の子と結婚をした。

結婚をしたのはもう何年も前だったのだけれど、結婚式をやらなかったこともあり、報告の場として「結婚報告会」が開かれた。


二人の結婚報告会で、僕はスタッフメンバーとして手伝いをすることになっていた。

担当は、音響と2次会の幹事。人前に立つのが好きではない自分にとっては、とてもやりやすい仕事だった。(2次会の予約や人数調整はしたけど、乾杯の音頭や締めの言葉は、同じく幹事の友人に丸投げさせてもらいました)


僕は自分が前に出て目立ったり、主役になったりすることが嫌いだ。

仕事では散々人前に出ているくせにと思われるかもしれない。

だけど、"先生"として人前に立つのと"自分"として人前に立つのとでは、まったく意味が違う。

"自分"として人前に出ると、途端に評価されているような気分になる。

だいぶましにはなったけれど、それでも未だに"他人からの目"が気になってしまうことがある。

昔、人前に立って発言する人を冷めた目で評価していた、その悪行の代償だろう。他人をバカにすると回り回ってそのツケは自分に返ってくる。


同じ大学の先輩と後輩の結婚報告会ということもあり、全国から当時のクラスメイトが集まった。

集まったメンバーは、新郎新婦と大学時代を共にした仲間。

見知った人ばかりということもあり、大人数の会にも関わらず僕はその場を楽しむことができた。

そう結論付けようとしたとき、違和感を覚えた。

なぜ違和感を感じたのか分からなかった。

どうして僕は、この場をこんなにも楽しむことができたのだろう。

その理由を考えてみた。

①大学時代を共にした旧友と久しぶりに再会できたから
②新郎新婦の結婚を祝うという共通の目的がある場だったから
③立食パーティーのため、誰と話すかを自由に決めることができたから
④司会やスピーチをしていた人のユーモア
⑤二人の馴れ初めを知ることができる楽しいクイズ

どれも正解だと思う。でもどれもピンとこなかった。


新宿の街やくだらない仕事の飲み会になくて、この結婚報告会にあるものはなんだろう。

一日考えて、その答えが分かったような気がした。


一人一人の人間を尊重している、大切にしている、

会の最中には言葉にできなかった。だけどその場にいて確かにそう感じた。

あの結婚報告会には"人間味"があった。

そしてそこにいる一人一人が、二人の結婚を心から祝福している、そう思えた。

だから僕はそんな"人混み"が好きだった。

この場にもっといたい。

心からそう感じた。


そうだ。

人混みが嫌いなんじゃない。

"心を感じられない人混み"が嫌いなんだ。

結婚報告会の翌日

結婚報告会の翌日に友人と新郎新婦と場外馬券場へ行った。

翌日にどこに連れて行ってるんだ…と自分でも思ったけれど、その場の流れでそうなってしまったのでお許しください。

親しみのない人からしたら、競馬と言えば歯抜けのおじさんがなけなしの金を馬券につぎ込み、紙切れになったそれをびりびりに破いてしょぼくれて帰る、なんて場面を想像するかもしれない。

確かにそういう人もいなくはない。

だけど実際には、競馬にはたくさんの楽しみ方がある。
(別におすすめはしません。セルフコントロールができない人は絶対にやらない方がいいです。)


静かに競馬を楽しむ人もいれば、声を出して応援する人もいる。

稼ぐぞ!と息巻いている人もいれば、たしなみ程度で馬券を買う人もいる。


僕はその人混みを嫌だとは思わなかった。

そこにいる一人一人に感情があって、"人間味"を感じることができるから。


ギャンブルで終わるなんて何だかしょうもない感じになってしまいましたが…

新郎新婦のお二人さん、ご結婚おめでとうございました。



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