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セルビアとベオグラード市の歴史

さて、久しぶりに海外出張(セルビア)の予定が入ったので、セルビアの歴史のお話をしたいと思います。約8ヶ月前、セルビアへ行くのは初めて(というかヨーロッパが初めて)であったため、緊張していたことを覚えています。


セルビアとベオグラード市の地理、国名

セルビア共和国は、南東ヨーロッパ、バルカン半島中西部の内陸に位置する共和制国家で、北にハンガリー、北東にルーマニア、南東にブルガリア、西にボスニア・ヘルツェゴビナ、南に北マケドニア、南西にモンテネグロと国境を接している内陸国です。
首都はベオグラード市で、現在関わっているプロジェクトの対象地もここベオグラード市になります。

図1

グラードは、クロアチア語・スロベニア語(セルビア語の親戚のようなもの)などで「都市」、「街」、「城」といった意味です。ベオは「白い」という意味ですので、ベオグラードで「白い街」という意味ですね。

近縁言語を扱う国々でも、以下のようにグラードを用いた地名が多くみられます。
ロシア: レニングラート、スターリングラートなど
モンテネグロ: チトーグラードなど

ユーゴスラビア連邦という過去

セルビアは元々、ユーゴスラビア連邦(現在は解体され存在しない国です。)を構成していた国・地域の中央に位置しており、政治的にもその中心となる国でした。ベオグラード市も同様に、ユーゴスラビア連邦の首都でした。

図2

セルビアで仕事をする上で避けるべきタブーはいくつかありますが、ほんの30年ほど前までは国境が目まぐるしく変わっていますので、近現代まではさかのぼって、セルビアとユーゴスラビア連邦を構成していた周辺国のルーツを知っておく必要はあるでしょう。

今回はセルビアがユーゴスラビア連邦を構成する中心国家から、現在のセルビアのみとなってしまった流れをおおまかに紹介できればと思います。

ユーゴスラビア連邦の誕生から解体まで

第二次世界大戦中の1943年、ユーゴスラビア連邦は、ユーゴスラビア連邦のカリスマ指導者である、ヨシップ・ブロズ・チトーの活躍により、時代の強国であったドイツやソ連から独立しました。
独立後、ユーゴスラビア連邦は、戦後の政権党となったユーゴスラビア共産主義者同盟による政策の下、国づくりを始めていきました。同同盟は社会主義を国家運営の原理に据えていましたが、異なる思想(自主管理社会主義)を持っていたため、同じ共産主義による国家運営を行っていたソ連とは距離を置くこととなり、他の東側諸国とは異なる立場を取ることとなりました。同時に、ユーゴスラビアは西側諸国との良好な関係を築くとともに、非同盟運動を推進し、どちらの陣営とも近づきすぎない第三世界の主要国としてのピークを迎えます。
しかし、1980年にカリスマ的指導者であるチトーが亡くなった後、ユーゴスラビア連邦を構成する複数の国・地域が次々とセルビアからの分離を求め、セルビア人との対立が深刻化するなどの民族対立や、地域の経済格差が顕在化していきました。
この後の紛争や事件の話をしてしまうと果てしなく暗い話になってしまうため、各国・地域の連邦脱退年、脱退理由、脱退のきっかけを簡単に箇条書き形式でまとめます。

図3

こうして、2006年にモンテネグロが独立したことにより、第2次世界大戦後にスロベニア、クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、セルビア、モンテネグロ、マケドニアの6共和国で誕生したユーゴスラビア連邦は完全に解体しました。

コソボの燻り続ける独立運動

しかし2021年となった今でも、セルビアでは依然として独立に関する懸念があります。それは、セルビアの南端に位置するコソボ自治州です。

コソボは、2008年にセルビアの自治州でありながらセルビアからの独立を宣言しています。一方、セルビアはコソボの独立を認めておらず、現実的にはセルビアの同意のないまま、一方的に独立(=実効支配の状態)することとなりました。
国際的にみてみると、コソボの独立を承認している国連加盟国は2013年の時点では100カ国程度に留まっていますが、日本はコソボの独立を2008年に承認、2009年日には外交部署を発足させるなど、コソボ側に有利な立場をとっています。

現在、セルビアはEUへの加盟を目指していますが、EUからはコソボとの関係改善が加盟条件として提示されているため、共にEU加盟を目指すセルビアとコソボは関係改善を模索し続ける状況が今もなお続いています。

さいごに

いかがでしたでしょうか。一つの国として長い歴史を持つ、我々日本人からすると、ほんの30年前までひとつの連邦として共に暮らしていた国民が、今は6つの国にばらばらに暮らしている状況は想像しにくいですね。
今後もコソボにおける独立に関してはセンシティブな事柄ですので、引き続き気を付けながら過ごしたいものです。
次回の記事では、セルビアの街並みについて書きたいと思います。皆さんもコロナが明けたら、是非セルビア含め中欧の国々をめぐってみてはいかがでしょうか。


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