「たよりないもののために」―華金感想回&大好きなラッパーを讃える回
結論から言うと、華金明けの25日はいつにもまして仕事が手につかなくなるくらい最高だった。余韻のせいで1日ぼんやりしてた。
「なぁんか生きづらいよなァ~」と思うことはぶっちゃけ多い。まぁ誰でも思うことなんだろうけど、それぞれにその人の生きづらさがあると思う。
ただ、こういうライブイベントでそういう気持ちをヨシとしてもらえる日が来るとは、正直思ってなかった。何となく、今まで見てきたのは楽しい歌をうたって、明るいこと言って終わってたから。
それはそれで素敵なんだけど、自分は非常に根暗なので「ああいう雰囲気の楽しさを感じることはないだろうな」と漠然と思っていた。
小さいライブハウスとかクラブに来るアーティストは、ポジティブに頑張ってる明るいやつらを応援してて、陰気な人間に用はないんだろうなとも。
自分が最初ヒップホップにハマったのは多分、歌詞から感じる「自分に自信があって堂々としてる感じ」がかっこよく見えたから。それか韻が気持ちよかったんでしょう。
だけどどうしても、音楽が強すぎて聴くのがしんどく感じるときがある。
生きていくために頑張る気力が湧かない日。一旦でいいから遠くへ行きたいなぁと思うような日は、般若さんに「戦うことを覚えんだ」と言われても「許してください」と思ってしまう。
そういうときに、とりあえずその場にとどまることを選ばせてくれるのは、だいたい梅田サイファーの、中でもKZさんの曲。
なんとなく毎日必死であることをわかってくれてる気がするし、ひぃひぃ言いながらそれでも毎日頑張ってることを認めてくれている気がしている。前回の「エモさ」の話じゃないけれど、KZさんの曲には言葉にできない不思議な優しさがある。
ヒップホップの曲で「今日生きたこと」を肯定してもらえるとは本当に思わなかった。無理やり生きることを続けさせるんじゃなく、肩の力を抜いてくれるような、生きることを選ぶよう促してくれるような感覚。
「どんな人でもダンスは続いていくから、自分なりの踊り方見つけようぜ」
って言われている気がした。ひとりで勝手に思った。
たよりないもののために、KZさんは何度も夢をみて、そして歌ってるんだろうかと、考えながらstompのカウンターでマリブコークを飲みました。
前2記事以上に主張のわからない記事になったけど、最後にこれだけ。
これだけ聴いていってください。
明日からは通常運転です。これが俺のエモ。
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