幕間 1 -高倉夜斗-


本日は休診日。
溜まっていた洗濯物を一気に洗い、庭の物干し竿に吊るす。
1人の生活だから、溜まっていたと言ってもそう多くない。

お湯を沸かしてマグカップにいれる。
そこに直接、1杯分ずつパック包装してあるお茶を入れ抽出する。
洋兄さんの所で買った漢方茶。
ブレンドされている茶葉の名前や種類は忘れてしまったがこれを飲むと身体が1日中温かいままで、余計な力が入らずリラックスできる。
なので、休診日の朝食後は必ずこれを飲んでいる。

お茶が抽出されるまで庭に面したテラスにあるガーデンテーブルの上に置いておく。
そしてリビングに居る唯一の同居人に声をかけた。
「おはようございます。カメさん」
大きな水槽越しに声をかけると寝床にしている半分に割って伏せた植木鉢の中からのそのそと顔を出してくれる。
『おはようございます。夜斗さん』
鈴を転がすような澄んだ声が聞こえた。

これが僕の力。
高倉家の家長に憑くモノからの恩恵…と言われている。
先代の父が亡くなってからソレは僕に憑いて、この力を授かった。
洋兄さんや秀都と違って、僕自身には何の力も備わってない。
しかしこの力は、獣医という職業柄とても便利なものだ。


「今日は太陽が心地よい日です。久々に外で甲羅干しいたしませんか?」
『あら、良いですね。そうしましょう』
「どうぞ、こちらに」

水槽の上から手を入れ、カメさんの前に差しだすとゆっくりと乗ってくる。
ちょうど掌と同じサイズのカメさんをそのままガーデンテーブルに連れて行く。
テーブルにカメさんを下ろし椅子に座る。

『今日はあたたかいですね』
「そうですね。1時間ほど甲羅干ししたら水槽に戻りご飯にしましょうか」
『こう暖かいと、起きたばかりなのに眠ってしまいそうです』
うふふ。と笑いながら瞼を閉じ、太陽を気持ちよさそうに浴びている。
その光景を見ながら抽出されたお茶を飲む。

今日は昼過ぎに、麓の方にある果物屋を見に行くだけでこれという予定はない。
病院の方も、昨日避妊手術をした子が退院したのでその日のうちに清掃等全て終わらせた。
部屋の掃除は果物屋から帰ってきたらやれば良いし…。
さあどうしようか。

風に揺れる洗濯物に、時折桜の花びらが当たり、そのままひらひらと落ちていく。
今日も山の公園には花見に行く人がいっぱいだろう。
桜は嫌いではないが人が苦手なので花見に行くつもりもない。

さあ、どうしようか。

庭を囲う生垣の一部からカサカサと音が聞こえ、茶色い虎柄の右耳先をV字に切られた猫が顔を覗かせた。
洋兄さんの所の猫君だ。
「猫君。おはようございます」
『おはよう先生。邪魔する』
低いが通りの良い声で応えらた。
「どうぞそちらの椅子に。カメさんがテーブルの上で寝てますので、どうかお静かに」
『そ、そうか』
向かいにある椅子に乗り、前足をテーブルにかけ覗くようにテーブルの上を確認する。
カメさんの姿を見て、尻尾がピンと立った。

少し強く風が吹いて、桜の花びらがカメさんの額にくっつく。
『む』
猫君が恐る恐る前足を伸ばす。
カメさんの額についた花びらを避けたいのだろうが迂闊に触れて起こしてしまうわけにもいかない。
それに力加減がわからないのだろう。
猫君は自分の爪の鋭さを知っている。
その爪をカメさんに向けたくないのだ。
「取りましょうか?」
『すまない先生。頼む』
そっと花びらを取ったのだがカメさんが目を開けた。
『あら、わたしったら、ついウトウトして…』
カメさんと猫君の目が合い、猫君がゆっくり瞬きをした。
『猫さん。おはようございます。良いお天気ですね』
『あ、ああ…。おはよう、ございます』
照れ臭そうに視線を逸らし顔を洗う仕草をした。

猫君はよくこうしてカメさんに会いに来る。
尋ねた事はないが、猫君はカメさんが好きなのだろう。と思っている。
そしてカメさんから以前、猫君に好意を寄せている事を聞いた事がある。
だがカメさんは種族が違う者同士だから、この感情はきっと正しくない。と言っていた。

しかし僕は、誰に対しても恋愛感情を持つのは自由だと思っている。
僕自身、世間から見たら正しくない相手に恋愛感情を持っているからだろう。

『先生。…カメさん。聞いてくれ』
『はい、何でしょう』
猫君は照れ臭そうに視線を逸らす。
『オレ、正式に高天原の猫になった』
「そうですか、おめでとうございます。という事は名前をつけてもらったんですね」
『ああ』

以前から洋兄さんの所に世話になっている猫君は今でも野良のつもりで過ごしている。
それでも野良として生きていくには色々危険があるので、と彼を説得したら
いつか正式に名前をつけられたら洋兄さんの家の子になると決めてくれていた。
『お名前、なんていうのですか?』
カメさんが尋ね、猫君は照れ臭そうに名乗り
『…オレには勿体ない名だ』
と付け足した。

『ばあちゃんが、元々娘に…洋の母だな。
に、つけようとしていた名前らしい。予定より早く産まれたから変えたそうだ』

元々付けようとした名前か。
どうやら洋兄さんは参考にすると言っていた案をそのまま採用してお婆様に相談したみたいだ。
『良い名前を頂きましたね』
うふふ。とカメさんが笑う。
『その…。できたら、カメさんに、呼んでもらいたい』
猫君はカメさんに向けて瞬きをした。
『呼んで、くれる、か?」

少しだけ2人きりにしようと思い
そっと、席を立ちリビングに入りガーデンテーブルの2人を遠巻きに見守る。

鈴を転がすような澄んだ声でカメさんが猫君の新しい名を呼び
猫君の尻尾が嬉しそうにピンと立つ。


今の時期だと、秀都が好きな梨はないからな…。
でも苺や林檎…キウイとかあるし
他にも、色々な種類を揃えておこう。
きっと喜んでくれる。

後で向かう果物屋で何を買うか、自分自身の想い人のことを考えながら
ゆっくりとお茶を飲み干した。