韓国にまつわる思い出

幼い頃
祖母が写真を撮る時に上手くいかないと 

これはばかちょんカメラだ
とカメラのせいにするのを聞いたことがあった。
お馬鹿ちゃんをいい間違えたのかな?
酷い差別の言葉なのも知らずに、のんきに捉えていた…

小学5年生の時、転校してきたつり目の可愛い姉妹の家に遊びに言った。
おやつに白い板チョコのようなものを一欠片くれた。
私はさっさと口にいれようとしたが、
彼女達は両手を組み合わせてお祈りを始めた。
お祈りが終わって初めて口にした。
キリスト教徒だったのだろう。
初めて間近でお祈りを見たので、おやつが何か異国の不思議な味がするように感じた。

中学生の頃
電車の中できれいなスラッと背の高いお姉さんを見かけた。彼女は初めて目にする形の制服を着ていた。
胸からプリーツが長く出ておりスカートなのかワンピースなのか?きれいだな…でも変わった形だなと思った。
あれはチマチョゴリ、かつて朝鮮学校の制服だった。
目を引きやすく、暴漢に切られたり汚されたりあまりにも差別や暴力被害が酷いので今は廃止になったそうだ…。

派遣バイト先で知り合った、大柄で元気で明るくてリーダーシップのある女の子。
何度か会って話して、韓国人の彼氏がいて彼女のお母様が韓国の人だと聞いた。私は外国人のお友達が出来たと興奮した。
私の無知の恥はまだ続いていた。
在日の人は日本人が憎いという噂は嘘なんだと安心した。
親しくなってくると彼女は本当の名前を教えてくれた。韓国語であるその名前を、とても美しいと思った。

しかしお付き合いをするうちに、私自身の病気のせいもあって徐々に彼女のパワーに着いていけなくなり、勇気を出してしんどいので距離を置きたいと伝えた。
彼女は激昂して、そんな弱々しい人間こそ自分に従うべきで、そうしないあなたは最低だと強く言った。考え直して私に着いてこいと。
韓流でにぎわうあの町の真ん中で。

それでも私が折れないので、彼女はあなたなんか幸せになれないと言って去っていった。

在日の方に日本人の私は嫌われてしまった。私はそう思い込んでしまった。これは私のしてしまった差別だ。

東日本大震災がおこり、心身ともに疲弊していたとき韓流アイドルにはまった。
彼らのひたむきさやハイレベルな音楽やダンス、ステージにすっかり魅了された。
しかも日本のアイドルとは違って、憧れの彼らと握手までできるという。

生活のためにきつい嫌いな仕事を辞められない辛さから常軌を逸してのめり込んだ。
しかしそれもファン同士の終わらない争いに疲れ、マウント合戦に破れ、嫉妬に狂い、心身を更にすり減らしていき体を壊したことで終わった。

まともな思考力もなく毎日垂れ流されるTVメディアの嫌韓報道を信じ込み、私は勝手に疑心暗鬼に駈られて自滅した。
好きだけど憎い…韓国語の勉強もKPOPファンも辞めて韓国の情報を全て遮断して封印した。

なげやりで何も楽しくない失意の日々を送っていたとき、友人の付き合いで行った宝塚にはまった。今思えばKPOPアイドルに似た風貌の男役さんにばかり惹かれた。
ある劇場で外国人らしき女の子が何か困っている様子なのを見つけた。私は話しかけた。彼女は韓国の女の子だった。あまりにも嬉しくて必死に説明した。彼女の笑顔がとても嬉しくて私は泣きそうだった。片言の英語でしか話せなかったけれど、全身がしびれるほどに嬉しかった。

そしていまは再び韓国が大好きと堂々と言えるしK-POPアイドルの推しも居る。推しは癒しであり支えである。私ができることをちまちまやるだけである。

ちょっと熱くなりすぎてまた推し疲れたからゆるく楽しみたい。やりたいことだけやればいいんだ…。

関心を持つことに正直でありたい。日本を客観的に見たい。世界は広いと思う…。

推しのお陰で視野が広がったと思うし、自分を許そうと思う。


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