【感想】「人は、なぜ他人を許せないのか?」を読んで
元々アンダーグラウンドな空間だったインターネット。
しかし近年、ネットの世界で度々発生している炎上や誹謗中傷といった行為が、世間的に認知されるようになりました。
当事者に対して容赦ない怒りの言葉を浴びせ、個人情報を拡散させたり、住所を特定して嫌がらせをしてしまう。
最終的には当事者が自殺してしまうケースもあり、問題となっています。
大学の卒論でこうした問題を、報道の視点で取り上げたことがあるのですが、そもそも何故こうした行為に及んでしまう人がいるのでしょうか。
疑問を感じた私は今回この本を読むことにしました。
①概要
自分や自分の親しい人が、何らかの被害を受けた場合、強い怒りが湧き、「許せない」と感じるのは当然のこと。
しかし、自分が当事者として何の関係がないにもかかわらず、強い怒りや憎しみの感情が湧き、知りもしない相手に攻撃的な言葉を浴びせてしまうのは、「許せない」が暴走してしまっている状態。
正義に溺れてしまった中毒状態、中野さんはこれを正義中毒と呼称されています。
本書は、何故人々は正義中毒に陥ってしまうのかについて国内の環境・社会性などの多角的な部分から考察し、脳科学的な知見から、中毒状態から抜け出すための手掛かりを提供する内容となっています。
②要点
ここからは本の内容から、人が正義中毒に陥ってしまう要因をまとめていきます。
ネットが隠れていた争いを「見える化」した
実際のところ、誰にでもしがらみがあり、社会的な立場があって損得勘定や忖度も働く。
こうした条件がブレーキとなり、リアルな人間関係の中では「許せない」という感情を呑み込むことが望ましい態度とされている。
本音は作り笑顔の裏側に隠しているケースが大半で、自分の意見をはっきり言わない日本にとっては、その傾向が顕著。
この状況を「見える化」してしまったのが、インターネットの出現、SNSの普及ではないか。
有名人の不適切な発言やスキャンダルなどのわかりやすい不正義に対して、無数の一般人が積極的に言及する状況を生んだ。
また一般人でさえも、赤の他人からなじられ、複数の人から攻撃的なコメントや人格攻撃を含むようなやり取りが飛び交うこともある。
いわゆる「炎上」という現象である。
日本は「優秀な愚か者」の国
日本人は摩擦を恐れるあまり自分の主張を控え、集団の和を乱すことを極力回避する傾向の強い人たちだと感じる。
集団のルールを守り、前例を踏襲し、集団の上位にいる人の教えや命令に従う、従順な人が重宝される傾向は否めない。
では何故、日本が現在のような社会性が高く、社会や組織の維持のためなら自分の考えを呑み込むことが良しとされる文化になったのか?
日本の社会性の要因は自然災害にあった?
島国である日本の独自の事情としていくつか注目すべき点がある。
日本は降雨量が多く台風も通過する。
高温多湿なだけでなく、風水害のリスクが高い。
またプレートの境界にあるために火山が多く、自身も多発する場所。
日本は数千年、数万年から変わらず自然災害が多い、そうした環境に適応できる、つまり長期的な予測をして準備を怠らない人たちが生き残ったと考えるのが自然。
日本で個人主義的な性質が強い集団よりも集団主義的な要素が強い集団が生き延びやすかったのは、災害の多さという地理的要因が大いに影響しているのではないか。
集団で効率よく、みんなで助け合っていくことが、その環境で生き抜くために最も重要だった。
その負の側面として、異質なものを冷遇し、集団内に置いておけなくなった人間を排除する現象、あるいは他の集団に対する攻撃性が出てしまいやすくなった。
集団の意思に従いがちな日本では基本的に議論が行われるケースが少なく、多くの人が議論下手、あるいは議論を避けるようになっていく。
そのため主張と人格とが分離されず、容易に人格攻撃へと繋がってしまう。
これは日本を象徴する特徴とも言える。
正義中毒は快楽
他人に「正義の制裁」を加えると、脳の快楽中枢が刺激され、快楽物質であるドーパミンが放出される。
「間違ったことが許せない」
「間違っている人を徹底的に罰しなければならない」
「私は正しく、相手が間違っているのだから、どんなにひどい言葉をぶつけても構わない」
いくら攻撃しても自分の立場が脅かされる心配がない状況などが重なれば、正義を振りかざす格好の機会となる。
問題を解決しよう、既存の知識と経験だけに頼らず新しい知見を得よう、難しい状況を抜け出して新たな答えを見出そうとするよりも、その場で自らの正義に酔い、相手を一方的にけなすことに満足感を覚えてしまう。
しかし多くの人は元々怒りっぽいわけでも、誰彼構わず攻撃を仕掛けているわけでもない。
ある話題、ある状況になると人は豹変してしまいやすくなる。
ネットの広がりが正義中毒を顕在化させ、より強めているのではないか。
「なぜ私は、私の脳は許せないと思ってしまうのか」を知ることこそが、自分にとって、ひいては社会全体にとっても大きなプラスを生むのではないか。
そのためには、脳の仕組みを知っておくことが有用なのである。
感想
ここからは、本書を読んで感じたことをまとめていきます。
かなり根深い問題だった
読む前までは「ネットの世界」に限った内容なのかなと勝手に思っていましたが、人が正義中毒にいたるまでの過程に日本人特有の問題が関係していたことは驚きでした。
日本の社会性が高いのは島国だから。
では同じ島国でもイギリスとはどう違うのか?
環境の面から日本の社会性を関連させ、人が人を許せなくなり、正義中毒に陥ってしまうまでの過程がよく理解出来ました。
「許せない」という感情は、誰しもが持っているからこそ、誰しもが陥ってしまう可能性がある。
決して他人事ではありませんでした。
正義中毒の定義
中野さんは児童虐待のニュースを例にこう述べられています。
「ひどいやつだ、許せない!こんなやつはひどい目に遭うべきだ、社会から排除されるべきだ」と心の内でつぶやきながら、テレビやネットニュースを見て、自分には直接関係ないのに、さらなる情報を求めたり、ネットやSNSに過激な意見を書き込んだりする行為。これこそ正義中毒といえるものです。
(P122 正義中毒のエクスタシーより抜粋)
メディアはこうした事件を煽情的に報道するでしょうし、見ている私たちにも悲しみや怒りの感情が湧き出てくるのは当然です。
しかし「正義中毒」の定義をこの範囲にまで広げるとしたら、ほとんどの人、SNSユーザーは特に注意しなくてはならないのではないでしょうか。
とはいえ、今後一切ニュースを見ないというのも中々厳しいものがありますし、常に自分を客観視できるくらいの余裕を持つことが重要となってくるのだなと思いました。
印象に残った言葉
本書を読んで、印象に残った言葉があります。
「自分にも他人にも一貫性を求めない」
過去の発言や行動が問題となり、ワイドショーなどで取り上げられる芸能人を度々目にします。
人間である以上、言動に矛盾があるのは当たり前、過去の発言や振る舞いを覆してしまってもしょうがない。
(P209 自分にも他人にも「一貫性」を求めないより抜粋)
そもそも一貫性を求めてしまっては更生も反省もできない状態になってしまいますよね。
「期待をしない」「どうでもいい」という感情が、良くも悪くも正義中毒との距離感に繋がることを学びました。
まとめ
本書では正義中毒に対する解決策は、具体的には述べられていません。
重要なのは、解決に向けて、自分が正義中毒から離れるために何ができるのかと、考えることをやめないことだと思いました。
自分なりの解決策を見つけ、実践し、それを習慣化させる。
あらゆる情報で溢れている中で生活している私たちは、「許せない」という感情と一生向き合っていかなくてはなりません。
いったん立ち止まって自らの行動を見直し、制御するという働きは、脳の一部である前頭葉の前部にある前頭前野が担っているようです。
この前頭前野を鍛えることが、問題解決へのヒントになると本書では述べられています。
そのトレーニング法も記載されており、大変参考になりました。
私も普段なら読まないような本を手に取ってみるなどして実践していきます。
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