界隈の風物詩

お久しぶりです。𝕝𝕟𝕤𝕥𝕒𝕘𝕣𝕒𝕞(Simejiからのご提案)からの錬金術を今回は取りやめ、今の己から放出される言葉をここに示そうと思います。

自分が埋まっている某ジャンルでは最近、特殊な創作物を求められることが多い。サムネイルやラジオのジングル、クソオモシロレベチラジオメール。正直最低でも生きていた中では未曾有の展開であるため僕の脳みそは焦るばかりです。何せ絵は下手じゃないかもしれないけどそこまで上手くなく、デザインは皆無。音楽に対してはずっと悔しい感情しかないから好きじゃなくて、前の記事でも喋り散らかした某スリーピースバンドしか聞かないし、文字に縋るのには絵や音楽と比べてもっと上には上がいる。結局特筆して得意なものがなかった僕にできることは何も無くて、途方に暮れる。スポーツも楽器も絵も、お手本になぞらうことならなんでも卒なくこなせたけど、創作となると話が違うんだなと己のすり減った創造性に唾を吐く毎日です。でもそれでも何か見出したくてそういう募集にはとりあえず手をつけてきた。どんなに醜くてもとりあえず頑張った。とにかくすごい頑張ればなんでも出来るんだなと思ったけどこれは一種の才能なのかなと、今は少し鼻が高くなった気がする。

ところでまあここからは主観なんだけど、どうしても言いたくて大宮行きの電車からこの場を借りることにする。主観とはつまり僕が思っていることでありこの文を目に入れる数少ない皆々様がキレてしまう可能性は無くないのですみません。そっと閲覧媒体をぶん殴ってください。
創作物を求められたときに疎外感を感じる層が一定数居ることを前々から把握している。そりゃあそうだよな、今までやった事のないことを求められたらビビるよな。曲とか作ったことないよな。僕もなかったです。でもなんか、無理すればなんでも出来るんだなという気はするんです。皆様が絵と音楽とクソオモシロレベチ文章どれか選んで作れと言われたらクソオモシロレベチ文章を選ぶ方が多いのは、きっと文字が身近だからなんだと思います。でも、絵と言っても視界全体、頭の中全部が絵画のようなものです。音楽も、起きた瞬間の鳥の声や扉の開閉音、親の怒号、寝ている間に聞こえる聞こえるはずのない音、これ全部音楽だと思うんです。そう考えると文字は本の中、スマホの中、電車の中、場所が決まっているんですよね。以上より人間がいちばん身近なものは感覚で感じられるものだと思っているんです。
あ〜本当はこんなこと言いたいわけじゃないんだけど上手くいかないな、文字は苦手なんです。文字は苦手だけど、聞いていて心地のいい言葉を紡ぐことは好きです。それがこれです。だから話題がまとまらずいつも飛び飛びになっています、すみません。読みにくいですよね。
無理することは全く推奨しないし、自分と同じ人間は存在しないというのは承知の上ですが、1週間でコード進行を勉強しながらなんとなくの作曲が出来ました。正直コード進行の勉強はほとんど役立っていません。好きな勉強は好きですが、それをなにかに落とし込むことが非常に苦手なようであることがハッキリしました。その結果が雑学の塊だということもわかりました。感覚でやっているのでこの勉強の時間はかなりムダのように感じています。だから、本当の疎外感を感じる前にちょっと勉強してみたら、その疎外感はエンジンに変わるかもしれないってことです。完成は出来なくても疎外感を打ち消せるなにかが出来ると思うんです。某歌詞に「劣等感に感動がチェンジしちゃうのはモーツァルトが語り出す真実 そのポテンシャルは大したものだろう」というのがありますが、なんとなくわかる気がします。歌詞考察って1番恥ずかしいよね。
まあ別にどうでもいいんだけど、誰かが疎外感を感じる理由がちょっとでも無くなればいいなと思います。
ちょっと酔ってきたというのと、あと12分で大宮に着くので曲の続きを作ろうと思います。ちなみに外音は音楽だと言いましたが私は外音が苦手なのでほぼ取り込みません。

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