パイナップル殺人事件

昔から本が好きだ。文字を読むのが好きなんだろうけど、小さな分子で形成された本という物質が好きだ。特に文庫本、あれは良い。ポケットに入れて持ち歩けるサイズ感、サラサラの中に微かに感じるザラりとした紙質、捲る度感じるワクワク感。ドラマや映画より断然本が好きだったし、今もそうだ。目の前で与えられる決まった情報よりやはり想像することが好きなのだろう。もうここまで来ると好きとかではなくクセだったり性格だったりするんだろう。箪笥退かして本棚にしたい。本が好きだけど、最近はケチるようになってしまって自分に失望している。ちなみに作者あいうえお順、同じ作者だったら作品名順で並べている。満足。

本を読めば感受性豊かに育つ。あれはきっと嘘だ。私は生まれてこの方感情が無いだの人の痛みや辛さがわからないだの、一昔前にアンジャッシュ渡部が大嶋(児嶋だよ!)にラジオで言われたようなそのままのことを何度も言われた。親だけだけど、親が言うのなら本当なのだろう。知らんけど。そんなことないか。そんなことないと思います。親と言えど、立派な他人です。これはしっかり胸に刻んでおくべき事実です。小学生時代あんなに楽しく本を読んでいたのに、こんなになるだなんて、誰だ、子供の感受性を育てるためには本を読ませましょうと言ったどこかのエライさんは。と、まあ感受性豊かでは無いであろうということがかなりのコンプレックスになってしまったわけである。私は感受性豊かすぎるので、そんなことがコンプレックスになるのだ。ドラマを見なかったから感受性豊かじゃないんだ、とどこかの誰かさんに言われたけど、それは流石に面白いっすよ

まず感受性豊かって何だ と。色々なものに感情移入しやすいことらしいが、他人のことなぞ知らんのに感情移入なんぞ出来るか!とブチ切れである。第一考えてもみろ、ネコを見て可愛いと思う人、キモいと思う人、怖いと思う人etcたくさんいる。その可能性の中から1つの(複数かもしれない)感情を見事当てることなんて不可能に近い。否、ネコを見て〜の例えはナンセンスかもしれないので、泣く理由とか。悲しい嬉しい楽しい寂しい言葉で表せないものetc。ドラマならまだしも(ドラマもまあわかんないけど)友人やテレビに映る人、感情なんてそんなの分かるわけがないのだ。だいたい感情には無数の可能性がある。ざっと多くて数億?くらいの言葉で表現されてたまるかってんだ。ちなみに昨日からの恐らく食い過ぎが原因であろう腹の違和感はやまない。

今THE RiCECOOKERSの波のゆくさきが耳元で鳴っているけど、かっこいいなぁ。ぼんやりとしか思い出せないけど唯一小学生の時を思い出せるものかもしれない。SPECも文庫本持っているはずだと思ってたんだけど無かった。

この前スーパーで見たパイナップルが思ったよりトゲトゲでした。

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