noteで有料記事を作るのって金の亡者なの??

はあちゅうさんの記事を読みまして。noteで有料記事を増やすと金の亡者って思う人がいるの??

ごめんなさい。その感覚、私には分からない。

確かにブログで個人が書き綴る事は今まで多くのものが無料でした。そこには有益な情報がゴロゴロ転がっていて、知りたいと思う事を瞬時に調べられる便利な新しい世界があっというまに広がっていきました。

子供からの複雑な質問も、例えば数日前息子から問われたことですが…「まま、だーくまたーってなに?」私、「…自分でiPad様に聞きなさい」というふうに、図書館に行かなくても自宅のソファの上で解決出来るのです。

それは無料で瞬時に何でも調べられるという、ネット文化が構築してくれた本当に有難い環境です。

でもこれは今までのネットが積み上げてきた有難い文化であって、今はひとつステージが上がり文化が変わる要なんじゃないかな。

次世代は個人が持つ情報も有料化される。それは、情報というものが、質量のある「もの」と同じ価値観を勝ち得てきているから。錬金術で生成されているようなイメージ。

ただのうんちくではなく、その人の中で練られた情報や知識は「商品」として扱われるのは当然の事だと思う。消費する側が商品を買うか、買わないかを選べるのは当然の事だし、商品に値段を付けて金もうけ企んでるんでしょうっていう人達の感覚も全く理解出来ないです。

でもね、有料ばっかりでつまらないという感覚はちょっと分かります。

noteで人気の出た記事、収益などを有料にされていたり、そのノウハウに値段をつけられたりしているのは商品として妥当な事だと思うんですけど、私がnoteにときめいたのは作家の新しいフィールドの場、技術が収益にも繋がる情報の場だと思ったから。

例えば個人の写真を売り買いしたり、描き方を有料化して公開したりそういうのをもっとフランクに、出来るのではないかと。個性、能力がもっと収益に繋がるサイクルがここで活性化するのではないかと思って希望が見えたから。

日本では未だに作家は食えない、大きなお金を得るには沢山の下積みと苦労が必要っていう文化が根っこの部分に絡みついて取れないでいる。

大道芸人をやられている知り合いが、ニューヨークでは良いパフォーマンスをすれば自然に投げ銭いっぱい貰えるのに、日本では投げ銭を要求すると白い目で見られるんだよね。と言われていた事があり、日本ってつくづく得体のしれない物が怖いんだなーって感じました。なんらかのお墨付きのものじゃないと安心出来ない国なんだよね。

自分を感動させてくれたもの、応援をしたいと思うもの、もっと自然に共振してみたらいかがでしょう。言葉で表現することプラス、お金で気持ちを表現するのは次世代には欠かせない行為だと思います。

お金を今までと違う使い方をするっていうのも、新しい時代を切り開いていく素敵な足がかりになるはずです。

今まではシステム化された有名で大きなお墨付きマーケットに払っていたお金を、ネットの力で生産者に直接届けられるって素敵な事だと思いませんか?

その値段と対等な価値があるか無いかを判断するのは購入した個人であり、売る力だけでなく、買う力も試されるわけです。

そんなわけで、noteの新しい切り開かれた世界を期待しています。

不自由を選ぶのも、自由を選ぶのも、自分次第なのですね。

人は何もない、フラットな世界を目の前にすると恐怖を抱いてしまうものです。

#ちゅうハヤ
#有料記事

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