見出し画像

支配?

(((今回の帰省で考えていたこと)))

▪︎東京に着いて定期入れからイクスカを抜いてパスモに入れかえてるとき、脳ミソまで入れ替わってる気がする。

▪︎今日はもしかしたら友達の命日なのかもしれない。もう一人の友達は亡くなった日の次の日の0時00分にラインを送っていたので命日を知っている。苦しい。脈がドクドクしてる。なんで私は命日すら知らないの?今日が命日かもしれない彼女とは文通をしていた。中華街に不安ちゃんに似合いそうなカフェあるから一緒に行かない?とか書いてあった。二年生からその子が不登校になっちゃってあんまり喋ってない。模試のとき一緒に保健室で受けた。二年生のとき私も保健室常連だった。たまに保健室で会ってたから、いつもの二人ねって言われた。すごくかわいくて色々知ってる大人っぽい子だった。
(色々思うことあるけど書くのはなんか良くない気がする。誰かに聞いてほしいけどこんなに重たくて暗いこと人に預けられない。だって絶対考えちゃうよね。カウンセリングまた行こうかな。)

▪︎精神科の薬飲み始めてから生理が止まって母乳が出るようになった。エストロゲンに影響が出て女の人はまれに副作用でそうなるらしい。でもなんか医者にも言いたくない。誰にバレるわけでもないけど気持ち悪い。だから飲むのやめちゃった。

▪︎人に嫌われてるんだって思ったらだいぶ元気無くなっちゃった。自業自得なんだけど。もう色んなこと考えるのやめて穏やかに過ごしてよ。自分のこと麻酔で眠らせたい。


飢餓同盟

▪︎大学生になってから自分を支配しすぎてる。そういう文章だから最近の自分の文章気に入れないんだろうな。もっと抑圧されてたあの頃の文章の方が素敵。

▪︎私横浜のことが相当好きみたい。やっぱりいると落ち着く。明るい雰囲気。みなとみらいがあるという雰囲気。ヨコハマにいたときはもっと自我がフワフワしてた。なんでかなって考えてたけど納得行く結論がでない。港が近い独特の雰囲気。地元だから贔屓してるのかな。ずっと風が吹いてる。ずっとなんかの音が鳴ってる。高いところにいるみたいな感覚。

▪︎都会の駅なんかずっと音が鳴っててシューゲイザーみたい。横浜駅にいるときとシューゲイザー聞いてるときって結構感覚が似てるかも。頭がボーッとしてる。人混みの中にいるのはわりかし好きかも。今回は珍しく仙台に帰りたくないなと思ってた。

▪︎仙台にいるときの思考はリアリストで鋭い、横浜にいるときはもっと自分でも掴みにくくてボーッとしてて難しい。

▪私が高校のとき音楽をあんまり聴いていなかったのは通学路がうるさかったからだと思う。鉄を削るみたいな音を立てる地下鉄に乗りながら、あるいはけたたましい駅のアナウンスを聞きながら、木々のざわめきのような雑踏に飲まれていたため。

▪︎いまはすっかり音楽に依存しているから、かつての通学路を通りながら音楽を聴こうとしてドラムの音しか聞こえなくてイライラした。

▪︎シブヤアンビエント、ダムタイプ

▪︎ヨコハマが好きだとはいえ、どこもかしこもトラウマだらけだ。高校時代付き合ってた人と別れてしまったこともあって、ここは誰々と歩いた……ここは誰々と……って。

▪︎「私って将来何になってると思いますか?」って先輩に聞いたら「研究者とかではなさそう。清掃員じゃない?」と言われた。

▪︎通ってた高校には中三のときはじめて行った。文化祭を見学しに行った。横浜駅から京浜東北線に乗り換えることができなくて(JRの改札にあるということが分からなくて)京急線に乗った。京急鶴見で降りてあの商店街を通って鶴見川をあの橋で渡った。なんて綺麗なんだろうと思ったことをよく覚えている。海にほど近いあの川。きらきらしてた。文化祭は他の高校に比べてつまらなかった。なんだけどなぜかいつの間にか志望校をそこにしていた。気づかなかった。
東北大には高三の夏にオープンキャンパス兼旅行で行った。青葉山の景色を見てなんて綺麗なんだろうと思った、かも。
いずれにせよ通うことになった二つの進路にはあーなんかここ通いそう、という直感があった。

▪︎京浜東北線沿いの工業系の企業に研究部門とか開発部門で就職したい。京浜東北線沿いに独り暮らし、しそう。上記のような直感が急に来たからだ。親に言ってみた。私落ちこぼれの出来損ないだけど京浜工業地帯の理系企業に就職したい、実家から通えちゃうのが嫌だけど京浜東北線の沿線で独り暮らししたいって。親は「実家帰ってこられても困るし独り暮らしすればいいんじゃない、早く高給取りになってね。」って言ってた。なんかますますそうなりそうかも。まあまだ大学一年生もまともにできてないようなもんだからまだまだ先の話なんだけど。実現できるかな。いまからでも勉強頑張ったら実現できるのかな?学科の秘密の部屋のおじいさん先生に言ってみるか~と思った。

▪︎大学に入るためのAOの面接のとき、チタン合金使った制震材料を作って潜水艦の外殻にしたいですとかなんだとか背伸びしたことボーッと喋ってたけど本当は休養したいです休養したいです休養したいですしか考えてなかった。休ませてくださいもう疲れましたって。そう思うと九月から復学する今の休学を含めて二年間くらいの休養を取れたことになる。そういう自分のことなんか思い通りにうまくやってんね、と思うけど二年もかかったね、生きるのが下手くそだねとも思う。実際オーバードーズもしてるし。復学できるかも不安だし。

▪︎私が私目線で書いた小説というか高校の記録の文章、友達の親が教育委員会に訴えるのに使うかもらしい。なんか親同士でランチとか行ったらしくてうちの母親と仲良くなってた。友達の母親、すごく気にかけてくれて好きだ。

▪︎地元にいる親友はめちゃくちゃ努力家で名門の医学部にいる。すごい、よく休まずそんなに全力でずっと走り続けられるなと思うけど、そういう人が医者を目指してくれるのが嬉しい。本当に誇りじゃない日本の。あの子たった18年の人生で3人も親しい人に先立たれてる。性被害に遭って私に泣きながら電話して、でも泣き寝入りになったこともあった。親が酷くて家出して一週間くらい家出してたこともあったのに本当にずっとあり得ないくらいタフだな。私が知ってる人の中で一番強い。あの子に出会って一緒に三年間部活が出来て、あの子の人生に関われたのが誇りかも。大好きだけど勝手に同情してちょっと心が痛むときがある。こっそりだけど。

▪︎実家に帰ったら親に「あなたは常にボーッとしてる、行動もゆっくりしてるしカメみたい」と言われた。仙台の人が聞いたらビックリするだろうなと思った。

▪︎元カレが過去に、走馬灯で出てくる場所って鶴見駅かもって言ってて私も本当にそうだと思った。というか、死後の世界が鶴見駅だと思う。みんな分からなくていいよ。

▪︎↑そういう小説を書こうかなと思っている。

▪︎仙台は療養の場所。また京浜工業地帯に戻りましょう。あんなに美しい場所どこを探しても無いよ。たじろがないで二の足でちゃんとあそこに戻れるように仙台でしっかり色んな感情を経由しましょう。

▪︎やっぱりなんか横浜にいる時の脳ミソを持った自分の方が好きだ。水中にいるみたいで。なんで変わるんだろう。いる場所によって、思考のトーンが、語り口調が、視覚や聴覚や感情の入力のされ方が。

▪︎横浜にいるときの方が私の思考や文章はカッコいいけど今はまだちょっとしんどいね。仙台のアステロの生活も楽しいよ。あのさあ、横浜に取り込まれてる。もうさあ、引き摺り戻されてるじゃん。あんまり居たくない。

▪︎高校生のとき原稿用紙に書いた小説どこいったっけ。皮算用っていう登場人物が出てくるやつ。

▪︎高校生のときまではあんまり叫びたくなったことがない。今は毎日叫びだしたくなるのを堪えるのがやっとだ。

▪︎なぎ回される生活ってこういうことです。

▪︎頑張ってればいいことある。

▪︎あの人、嫌いかも。

▪︎死なない



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?