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あの世のお父ちゃんへ

お父ちゃん。お父ちゃんには言いたいことが山ほどあるのよ。お父ちゃんが逝ってもう36年も経つのになんでこんなに腹立たしいのだろう。「お母ちゃんが先に逝ったのは、R子の体が弱かったからや」と私のせいにしたお父ちゃん。毎晩のように泥酔して大声で帰ってきては近所に迷惑をかけたお父ちゃん。私の進路に関与しないどころか、試験前、試験中でも関係なく酔ってはくだを巻き試験勉強の邪魔をしたお父ちゃん。お父ちゃんが妹を子供のいない伯母夫婦に託したのに、妹が可哀そうだと私に「伯母ちゃんの子になれ」と言ったよね。いつも酔っては泣いてたお父ちゃん。そんな思い出しかない。

毎日職場で一緒にいるお姉ちゃんと、色んなことを話すうちに、最近わかった事がいくつかあるよ。お父ちゃんは会社のHさんと再婚したかったんだね。私が小5くらいだったかな「お父ちゃん結婚してもいいかな?」って聞いてきたよね?私はお母ちゃんの事が本当に大好きだったから「お母ちゃんと呼べるのは一人だけしかいない」と答えたのをよく覚えてるよ。でも、お姉ちゃんは「毎日お弁当作るの嫌やからちゃんとご飯作ってくれて、お兄ちゃんと呼べる兄弟連れてきてくれたらもっといいな」と言ったらしいね。つい最近そんな事をお姉ちゃんから聞いたよ。衝撃だった。なんでお父ちゃんは私たち姉妹に個別に聞いたのかな?家族で向き合って話していたらこんな事にならなかったのではないのかな?しかもお姉ちゃんは「お母ちゃんには、行きたくもないそろばん塾に行かされたり、毎日計算ドリルと漢字ドリルを数ページ終わらせないと遊びに行かせてくれなかったから鬱陶しかった」と、私が抱くお母ちゃんの思い出とはかなりかけ離れていた。お姉ちゃんの意見はつくづく、なるほどなと思わされる。あの時お父ちゃんの再婚会議をしていたら、私ももう少し柔軟に受け止めていて、お父ちゃんも自暴自棄になっていなかったのではないかとも思う。

でもね、伯母夫婦の養女になれば良かったかなと思う時があるのよ。教育熱心でピアノも習わせてくれるし3度のご飯もきっちり作って食べさせてくれる。伯母夫婦はお酒は飲まないしきっと環境は良かったはずだ。遠足に爆弾みたいな大きなおにぎりだけ持たされて恥ずかしい思いをした事なんてあなたにはわからないでしょう。

毎晩飲んだくれた挙句末期の肝硬変で入院、一時退院してから上着の内ポケットに帯付の100万円束を忍ばせていた。自分の葬儀代で持っていたの?そんな用意周到(?)な事はしていたのに、毎日欠かさず甲斐甲斐しく病院に通った私には一言も遺してくれなかったね。あれだけ詩を書くのが好きで会社の文集にも載せていたくせに・・担当医は「お父さんに容態の変化があればいつでも連れてきなさい」と言っていたのに、救急搬送受け入れてくれなかったのはどうしてかわかる?病室でもお酒飲んでいたからでしょう。担当医に匙を投げられたから退院したのよね?入院中、私がまだ病院に着いてない事を良いことに、先に病室にいた当時付き合っていた夫に「酒買ってこい」と言ったそうじゃない。それも一度だけではないよね?夫も断れなかったと言っていたけど、そんな事墓場まで持って行ってくれたら良かったのに、時効だとでも思ったのか、ほんの2年ほど前打ち明けられた。愕然とした。夫も夫ならお父ちゃんあなたはもっと最低です。どんな悪人でも死んだら良い人になるんだと思っていたけど、そうじゃない事を思い知った。

動脈瘤破裂で大量吐血して倒れたのが1月10日深夜。全身の穴という穴から出血して・・本当に苦しんだよね。お母ちゃんとお祖母ちゃんの死目には合わなかったけど、お父ちゃんの壮絶な最後を目の当たりにした私は暫く立ち直れないでいたんだよ。その5日後私は成人の日を迎えるはずだった。お父ちゃんはいつも私の節目にはいなかった。小学校の卒業式、中学、高校の入学式に卒業式・・いやもっと言えば私にまつわる全ての事・・中学3年の進路面談も一度も来なかった。塾も家庭教師も全部自分で探してきた私にあなたは「R子は自分でちゃんとしてる」とかってどの口が言ってるのだ?本当に寂しくて悔しくて惨めな思いしてきたのよ。父子家庭ということで理不尽な対応されたことだって多々あったのに、いつもお父ちゃんは肝心な時に私の楯になってくれなかったよね。多分お父ちゃんはお母ちゃんを死に追いやった私の事が嫌いだったんだよね。

今ではとっくにお父ちゃんの年齢を越したけどまだまだこの世を満喫したいから、暴飲暴食しないで、毎日規則正しく生活するよ。生きてきたように死ぬという悪い例を見てきたからね。自分を大事にしてあと30年は生きるよ。

お父ちゃん今どこにいるの?天国?地獄?天国なら必ず探しだして一発往復ビンタさせてもらうからね。その時まで待っててね。

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