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叶わなかった夫婦の絆③

私は会社の殆どの業務を仕切っていたので、従業員や社長である夫の行動は何でも把握していた為に微妙で不穏な動きまで察知してしまい、知らなくて良いことまで知ってしまう羽目に・・夫は私に見せたことのない一面を曝け出すようになった。浮気を認め逆に開き直ったかのように堂々と毎日のように出かけるようになった。ある日「今日は出かけないで」と阻止すると、私の襟を引っ張り床に倒し、一度も振り返らずに出かけて行った。これが最初で最後の夫から受けた暴力だった。その時着ていたお気に入りだったレモン色のカシミヤセーターの襟元は裂けてボロボロになっていた。

翌年長男の誕生日に夫は出ていった。

あんなに信じていた優しい夫が、ひとりの女性の為に子供達と私を捨てて出て行った。「目の前が真っ暗」という喩えがあるが正にこの時初めて体験した。「まさか」「何がいけなかったの」「どうして」「私が何をしたというの」頭の中で渦巻き、現実を受け入れることができずに、毎日が悔しくて惨めで切なくて辛くて心細くて、深く絶望し、こみ上がる涙を子供達に気付かれないようお風呂でシャワーを全開にして泣いた。

反抗期に突入した長男とはよくぶつかり合った。でも決して私に「くそばばあ」とは言わなかったし、暴力を振るったこともなかった。そしてポツリと「なんで好きで結婚したのにこんなことになったん?」と涙をこぼした。その言葉が私の胸を剔った。

多感な子供達と暮らすのは、どうしようもない程心細く、不安で夜も眠れない日が続き、食欲がなくなり肌はボロボロで、生きる事に何の意味も持てず自信をなくし死にたいと思うようになった。早死にした両親の分まで絶対に長生きするんだと決めていたのに・・・寝室のドアノブにタオルを掛けたり、紐に替えたりとしていると長女が学校から帰ってきた。私は我に返り慌てて寝室を出た。

あの時首を吊っていたら、第一発見者の長女の心に一生の深い傷を残すことになっていたに違いない。


毎日のように職場で夫と顔を合わす事が何よりも辛かった。会社を取り仕切っていた重責が鉛のように私にのしかかり身動きできなかった。誰にも相談できず、どこにも逃げる所がなかった。そのうち欲しくもない高価なジュエリーや、着物や車、目に留まる物を片っ端から買うようになった。なんだか物に囲まれていると安心した。でもそれもほんのひとときだけで、やり場のない気持ちが満たされることなんか一度もなかった。

出口が見えない真っ暗なトンネルを、ただひたすら走っている感覚の悶々とした生活が続いた。

数年後夫が何食わぬ顔をして帰ってきた。どうしてなのかその時の記憶が全くない。ただ夫からの説明も謝罪も何ひとつなかった事だけははっきりしている。

何故受け入れたのか自分がとても滑稽で救いようがない。



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