長活きはむずかしい。。

人間が他の生き物と大きく違うところが幾つかあります。その一つが老人の面倒をみるということです。

そもそも生物は何のために生きているのでしょうか?これの答えは生物学的には極めて明確で、どんな生物も「種の存続」、つまり後世にその種族を残していくのが生きていく目的とされています。

種の存続のために哺乳類は子孫を生み、魚類鳥類は卵を産み、単細胞生物は細胞分裂を行います。いずれも老化していく細胞を新しい細胞に置き換える手段で、こうして生きとし生ける全ての生物は「種」を絶やさないように常に細胞のリフレッシュを行っています。ウイルスを生物と分類するのが良いか論議があるところですが、ウイルスでさえ「種の存続」を図って媒体に感染拡大をしていきますが、媒体が絶滅するようなことがないように変異を繰り返していくと言われています。なぜなら媒体が絶滅してしまえばウイルスもまた存続できなくなるからだそうです。(ほんまかいな。)

さて、この細胞のリフレッシュの過程でかならずできるものがあります。それは「古い細胞」です。古い細胞は最後には死滅して、新しい細胞が成長し、細胞の入れ替えがなされていくわけですが、一般的には古い細胞はほったらかしになるのが普通です。野生のライオンがおじいさんおばあさんライオンを養っていくなんて聞いたこともないですし、あれだけ餌を運んでもらった親鳥の老後の面倒を子供の鳥がみることもありません。魚に至っては卵として放出されたのちに自分の親と会うチャンスなんて天文学的な確率でしょう。(そもそも会ってもわからないか。。)

さて人間です。素晴らしい!他の生物が見向きもしない自分を育ててくれた古い細胞を養って最後まで看取るなんて!でもこれってどこかにしわ寄せがいってはいないのでしょうか?

例えば50年前、まだ医療も今ほど発達していなかった時代、日本人の平均寿命は70歳に届きませんでした。しかし2021年においては男女とも80歳を超えています。絶え間ない医学の進歩によって人間は10年以上も長生きができるようになりました。素晴らしいことだと思います。
でもこの進歩によってどれだけのメリットが生み出されたのでしょうか?

人間が長生きすることでのメリットはなんでしょうか。愛するおじいちゃん、おばあちゃんが長生きしてくれて‥‥っていうことなんでしょうが、実際はそんなにハッピーなことばかりではないようです。年金をもらって悠々自適、死ぬまで子供が面倒をみてくれるなんていう老人は一握りで、この核家族社会においては80歳近くまで働かないと生きていけない独居老人が大多数らしいです。テレビで地域の老人会を取材した番組が流れていましたが、その老人会のおじいちゃんおばあちゃんの80%は「早くお迎えが来てほしい」思っているそうです。北欧の福祉国家のように一生安泰という国もあるようですが、少なくともこの国のおじいちゃんおばあちゃんはそんなに幸せな老後を送れてはいないようです。

「じゃあ、どうすればいいんだ!」ということなのですが、おそらく答えは「なるようにしかならない。」なんだと思います。今更、医学の進歩を「非」として研究をやめるわけにもいかないし、まさか姥捨て山を作って働き手とならなくなった老人を捨ててくるわけにもいかないでしょう。
対策として考えられるのは人間が生きている間は何かしらの利益を生み出せるような社会構造を作りだすことですが、これも現状不可能だと思うし、近い将来実現できるような気もしません。

考えてみれば人間の進歩はいわば自然の流れに逆らってそれまでできなかったことをできるようにしてきたわけで、自然の摂理に逆らう部分が多いのではないかと思います。また人間は一度「それ」を手にしてしまうと、「それ」を手放すことは非常に困難です。飛行機が大量の二酸化炭素をまき散らして世界中を飛び回っているのがわかっているのですが、おそらく人類が絶滅する直前まで飛行機を飛ばすことはやめられないと思います。(どこでもドアができれば話は別ですが。)
「なるように」がどういう結末を迎えるのか想像が難しいですが、明るい未来は描き難いです。

というようなことを考えていると、畑を耕して、狩りをして、飛行機も、スマホなんぞもなくて、「人生50年」で静かに一生を終える自然の摂理に逆らわない昔の人たちのほうが幸せだったんじゃないかと思えてきました。


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