きつねのこばん

小学校から少し歩いたところに、神社かお寺があって、そこに2、3回だけ行ったことがある。クラスメイトの子についていったので、当時も道を覚えていなかった。1人では、たどり着けない。

昔は神社とお寺をあまり区別して考えていなかった。地図記号を覚えるときでさえ、似たようなものと思っていた。テストでは間違えなかったけど。その山の中の神社だかお寺は、いややっぱり鳥居はなかった気がするのでお寺とする、昨日書いた車輪同様、幼少期のときめきの一つだ。当然かもしれないが、滅多に行けなかったとか、飽きる前に失ってしまったとか、そういう物事の方が、大人になってからもきらめきが衰えない。

お寺にはもちろん遊具なんてないし、カラフルな何かがあるわけでもない。ただ、そこには、『きつねのこばん』なるものが落ちていた。私の知る限り、他所にはそんなものはない。

くすんだ黄色い米粒みたいなやつに、横線が数本刻まれている。まさにミニチュアの小判だ。正体がなんなのかわからないが、まあ木の何かの部分だろうと頭のどこかでぼんやり考えてはいたものの、同級生がみな『きつねのこばん』と呼んでそれ以上何も詮索せずに夢中になって拾うので、とにかく『きつねのこばん』でしかない。その得体の知れなさが魅力だった。それに、なんとなく縁起物な気がする。拾って集めて、それをどうこうした記憶はない。


子どもの頃は、今よりずっと、植物が近かった。幼稚園のときは小さな黄色い花をAちゃんに教えてもらって一緒に食べてたし(大丈夫なのか?)、別の何かの花の蜜を吸いまくってたし(大丈夫か?)、たんぽぽを摘んだら花の中からアリが出てきてちょっと嫌になったこともあった。小学校の帰り道に、鬼灯だかウツボカズラだかみたいなやつをとって割いてみたらハンドクリームみたいな白い粘液が出てきて手に擦り込んだこともあった。植物じゃないけど、岩を近くでよく見ると赤虫(とみんな呼んでいた)がけっこういた。家の茶の間にどっかからアリが行列をよく作っていた。アリにはでかくてなんだかムキムキしたようなやつと、小さくて脚が短くて絵本の絵みたいにかわいらしいやつがいて、後者の行列を見つけて私が「かわいい」と言ったそばから母親が潰しにかかったのはちょっとショックだった。今だってその気になれば近くにいるのを見つけられるのだろうけれど、虫に関してはそれはいいやってなるのはなぜだろう。昔はダンゴムシまでくらいなら平気だったのに。

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