書き出してたら戻りたくなった

託児所の話。


初日はギャン泣きしてたけど、慣れれば割と好きな場所だった。幼稚園とか学校は、「お友達と仲良くしよう」的な風潮があってしんどかったけど、託児所は赤ちゃんばかりなのでそんなものはない。なんとかちゃんとなんとかちゃんは同い年で、くらいしか覚えてない。それが良かったのだと思う。ていうか会社だって仕事してわざわざ嫌なこと言わなければそんなに人と仲良くする必要なくやってこれてるし(恵まれてるだけかも)、教育機関のあの風潮なんやったんや…。話を戻そう。


託児所は、家から車で20〜30分走ったところにある街(私が生まれる前に家族が住んでいた街らしい)の、アーケード通りから一つ外れた雑居ビルの3階くらいにあった。1階はコンビニだった気がするけど、そこを利用したことはないので、違うかもしれない。

アーケード通りのアーケードには、その通りの名前(カタカナ)が書いてあって、毎日車からそれを見ていた。私はその通りをその名前で覚えていたけれど、高校生くらいになってからその名前を出すと、母親が不思議そうな顔をしていた。みんなあそこを「本通り」と呼ぶらしい。というか当時の私はカタカナが読めたのだろうか。やっぱりもっと後の記憶だったんだろうか。


ビルの階段は怪しげに薄暗くて、カンカンと歩く音が響いた。意外と怖くなくて、それは託児所が好きなのといつも母と一緒だったからかもしれない。むしろ好きだった。

入って右のドアが、いわゆるプレイルームで、二部屋の仕切りが解放されていて、そこそこ広かった。

内容は覚えていないからすのパンやさんなどの絵本、おもちゃ、テレビがある。セーラームーンか何かのステッキと孫の手の中間みたいなおもちゃがあった。テレビでは、たまにトトロやしまじろうのひらがなを勉強するビデオを見た。しまじろうたちが虹を渡ったり(滑ったり)して冒険する。

壁の上の方には、私の母が描いた、そのとき預かっていた子どもたちの似顔絵が貼ってある。もちろん私の似顔絵もある。母は絵が好きなので、頼まれたのだろう。私はあんまり絵柄が好きじゃなかったけれど。ついでに言うと私がつり目気味に描かれていて、まあ笑うと特につり目になるんだけど、それが嫌だった。自分の顔あまり好きじゃないの原体験だ。今はわりと好きだけど。

入って正面のドアは、お昼寝室。いつも照明が消されていたので、あまりどんなか覚えていない。

入って左は短い廊下で、その先は給湯室がある。ここでおやつを食べていたと思う。誰かがカップヌードルをフォークで食べてて、その食べ方がすごく美味しそうだった気がする。


託児所で一つだけ嫌な思い出がある。

プレイルームに折りたたみの長机をいくつか並べて、みんなでご飯かおやつを食べていた。(下の?)コンビニで買って来たような食べ物が並び、私にはサンドウィッチが与えられた。コンビニのサンドウィッチというものを、私はその時生まれて初めて見た。包装は、なんとか自分の力で上手く開けられた。コンビニのサンドウィッチなので、2個か3個が重なって入っている。でも私はそう見えなくて、 パン・具・パン・パン・具・パン となっているのが、 パン・具・パン・具・パン に見えて、つまりこの厚さで一つのサンドウィッチなのだと勘違いして、分解せず1口でかぶりつこうとした。

それを見て、周りの大人たちは笑った。笑われた瞬間、自分が間違っていることが分かった。恥辱。はめられたとすら少し思った。でも自分が勝手に失敗しただけということをちゃんと分かっていた。ぶつけようのない不快感でいっぱいになった。

これが人生初の「自己嫌悪」だったかもしれない。


ところで、シッターさんのことなんか全然記憶にない。男の人か女の人か、年代も覚えていない。


来年度から幼稚園に入るので託児所は卒業というとき、発表会みたいなのをやった。場所はプレイルームだし、その時間だけ親達が集まるだけだ。キツネやタヌキのお面をつけて、トトロのさんぽを歌って踊った。

この時の私は、それからの人生の節目で何度も経験する、「卒業」と「これからは新しい場所で生きていく」の感覚がまるでなかった。それは悲しかったり寂しかったり、やっとそれまでの場所から解放される喜び(こっちが圧倒的に多い)であったりする。未来に対して何か予想するということができない歳だったんだなあとしみじみ思う。

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